60.『約束の日』に向けて
『グリードが離反した』
そんなメモを受け取ったのは年が明ける直前だった。
突如大総統邸に襲撃し、ラースと争った後、行方をくらませたという。
「ああ、確かに大総統邸への襲撃ありましたね。警備員じゃ対処できなかったとか」
リッドが言う。
「グリードがラースを襲った? 何の目的で」
「仲間割れってことですか?」
「そうなるよね」
グリードにはダブリスで会って以降会っていない。ダブリスで大総統――ラースに痛めつけられているはずだから、それで表に出て来なかった? あるいは別の何か理由があるのか。
「後で聞いてみるか……」
メモをライターで消し炭にしながらが呟く。
「そうそう。ドラクマとのドンパチのせいで、今年の北方演習が無くなったそうです」
リッドがコーヒーを作りに立ち上がりながら言った。
「演習? 北と東がいつも合同でやってるやつ?」
「そうです。春に時期を変えて、東で軍事演習をやるとか」
「ふーん。春ねえ」
マグカップに口をつけながらが言う。
「それって、もしかして『約束の日』に?」
「合わせてるだろうねえ。グラマンじいさんも一枚噛んでるみたいだし」
東方司令部のグラマン中将は、も随分可愛がってもらったものだ。東方司令部に行く用事がなくなってしまったため、しばらく会っていない。
隠居したいような事を言っておきながら、まだこの国のトップを狙う機会をうかがっている事をは知っている。昔、冗談めかして言っているのを聞いただけだが、決してあれは冗談ではなかった。
東で軍事演習を行ってホムンクルス達の意識を東方へと向ける。その隙に中央で事を起こす作戦だろう。イシュヴァール戦を経験した東方の兵達の力はも知っている。
「さて。私たちはどう動きますかねえ」
が腕を組んで椅子の背もたれに深くもたれかかる。
「中央司令部は危険になりますかね」
レインが問う。
「可能性はあるね。ここが中心になるわけだし、戦場になる可能性はある」
が頷いて答えた。レインが恐る恐る手をあげた。
「あの……受付や事務にいる女の子達が……」
「あー……」
はがしがしと頭を掻いた。確かに、事情も知らない事務員たちが、この戦いに巻き込まれないようにしなければならない。
「当日家で大人しくしておいて貰うのが安全か」
びしっと指をリッドへと向けた。
「リッド。・名義でいい。事務職員は全員、当日司令部に来ないように文書作ってくれる?」
「へいへい。もっともらしい理由つけときますよ」
リッドはコーヒーを啜りながら席に戻った。
「あとは当日の足と銃火器類か」
「足はともかく、銃火器類は自分で調達できるんで大丈夫でーす」
「あ、そう?」
はーいと手を上げてレインが言った。銃の類いはレインにしか期待していなかった。彼は鷹の目に並ぶ程の銃の使い手だ。ただし、それを知る者はあまりにも少ない。
「家にもいくつかありますし、贔屓にしてもらってる銃器屋さんもあるので」
「調達、見つからないようにしてよ」
銃器屋へ入るところをつけられても面倒だ。今のところリッドもレインも、上層部には目をつけられていないから大丈夫かとは思うが。
「足は俺のがあるんでいいっすよ」
「助かる」
「壊れたら修理代」
「はいはい、新しいの買ってやるから」
リッドが笑顔になった。
「マジすか。じゃあ壊そう。新車欲しかったんすよ」
「じゃあ、壊れる前提で、窓ガラスとタイヤ変えといて」
「金は?」
「あとで払うからつけとけ」
「ボクのもお願いしまーす!」
「はいはい」
請求書置いとけ、と言っては立ち上がった。
今日も食堂にはジュデッカがいた。仕事をしているのか、右手で書き物をしながらである。
「空いてるね」
ジュデッカが顔をあげると、が目の前に座るところだった。
「仕事?」
「そう。午前の市井視察の結果報告」
は手帳を取り出し、同じようにトレイの右横に置いた。文字を書く。
コンコンとペンで合図する。ジュデッカの視線がの手帳へと向いた。
『私がそっちで人質扱いされてるって本当?』
二人だけがわかる創作文字。グリードの件と共に知らされたことだ。ジュデッカは無言で頷いた。はため息をつく。お互いがお互いの足を引っ張っている形になった。さすがにジュデッカに構いすぎたか、とも反省する。
は更に文字を書く。
『グリードがダブリス以降表に出て来なかったのは?』
ジュデッカは今まで書いていた紙の下から白紙の紙を取り出した。
『今のグリードはリン・ヤオという人物が元になったホムンクルスだ。前のグリードは死んだ』
「は? リン?」
は思わず声をあげて、ジュデッカを見た。
「なんだ、知り合いか」
「うん、知り合い」
は腕を組む。これで、ここのところリン達を見なくなった理由がわかった。リンはグリードとなってホムンクルス側につき、ランファン達は身を隠しているか中央を離れているかどちらかだろう。
そして、グリードはホムンクルス側から離れることになった。
恐らくは一番厄介なのがプライドだろう。ホーエンハイムがリオールの地下までやって来れると言っていた。中央から東の端まで目が届くのであれば、中央司令部を視野に入れることなど簡単だろう。下手に隠れて密談するよりも、こうして人の多いところで無言でやりとりする方が恐らく安全だ。
「ここ空いているかしら?」
二人が視線を上げると、ホークアイが立っていた。
「どうぞ」
が隣を指して言った。ホークアイは、ありがとう、と言っての隣の席に座った。
「大総統付きになってどう? 忙しい?」
が問う。
「そうねえ、でも休みは大佐の時より取れてるかも」
「あらま。ロイ無能説再来だな」
「でも、閣下の周りってガードマンばかりだから肩が凝るわ」
首を動かしながらホークアイが言った。
そして視線を、ジュデッカの手元の走り書きへと目を向けた。ホークアイは首を傾げる。が手帳を左側に置き、左手でホークアイでも読める文字を書いた。
『昔、二人で作った創作言語』
「ああ、なるほど」
ホークアイが納得したように声を出した。
今日の情報交換は終了だと、は手帳とペンをポケットにしまった。ジュデッカもメモを下にして、報告書を書く作業に戻った。
「食事中も仕事をしているのね」
「は? はあ……他にもやる事あるんで」
まさか話しかけられるとは思わなかったという顔で、ジュデッカが答えた。
「大佐もこの間仕事しながら食事をしていたわ」
「私と一緒の時も仕事してた。回ってないみたいだね。中尉がいなくなったから」
「これで一人で仕事するペースを覚えてくれるといいんだけど」
はあ、とホークアイがため息をついた。くすくすとが笑う。
「じゃあ、自分はお先します」
そう言ってジュデッカが立ち上がった。
「おー、またねー」
ジュデッカは何も言わずにトレイと書類を持って去って行った。
「彼、安全なの?」
ホークアイが小声で問う。
「もう仲間だよ」
パスタを巻きながらが答えた。ホークアイは目を丸くする。
「……さすが。手が早いわね」
「打てる手は先に打っておかないとね」
はもぐもぐと口を動かす。
「そういえば、ハボック少尉がそろそろ東部の病院に移るらしいわよ」
「えっ、まじで? いつ?」
「いつかまでは聞いてないけれど……体調が安定したらって言っていたから、もうすぐじゃないかしら」
ハボックは今はもう一日一本煙草を吸うのを許可されている程、体調は安定している。となれば、手続きが終わり次第東部に移る事になるだろう。
「いなくなる前にお見舞い行かないとなあ」
「あなたの顔見たら喜ぶと思うわよ」
「私の顔で喜んで貰えるなら毎日通うよ」
「あら、本当のことよ? ハボック少尉、あなたの事好きだもの」
「あっはっは。間接的に怪我させた人間が好きと来たか」
は頬杖して笑った。ホークアイが眉を寄せる。
「……あなたのせいじゃないわ」
「前から言ってるけど、間接的に私のせいなんだ。これは確かだから」
はパスタを食べきると、コーヒーを一気に飲み干した。
「先行くね。ジャン少尉の情報ありがと」
ひらりと手を振ってはトレイを持っていなくなる。その背を、ホークアイは眉を顰めて見送った。