57.リオール










「なんだありゃ」

 教会に埋まるようにして巨大な像が斜めに建っていた。
 は休みを利用して単身リオールの街に来ていた。ここも国土錬成陣の一部だ。エドワードとアルフォンスがペテン教主の不正を暴いて東方司令部に知らせはしたものの、突然中央司令部に司令権が移り、テロが過激化した。多くの血が流れた。
 エドワードかアルフォンスのどちらかとコンタクトを取るならば、彼らが一度訪れた街の方が確率高いだろうとの考えだ。しかも国土錬成陣の一点。訪れていてもおかしくはない。誰かが見張っているかもしれないが、今更だ。それには長い髪をキャスケットの中にすべてしまって、眼鏡をかけていた。最低限の変装だ。

「そこのお姉さん」

 声をかけられ振り返る。

「お姉さんも食事いかがですか?」

 にっこりと、女性に声をかけられた。
 食事の配給を行っているようだった。

「いえ、大丈夫です」

 は笑顔で断った。

「この街の方じゃない、ですよね?」
「ええ。セントラルからちょっと用があって」
「セントラルから。そんな遠いところからどんなご用事で?」

 はふむ、と思う。

「最近、私のようによそから来た人っていないですか?」

 そう問いかけた。配給を行っている女性ならば、街への人の出入りはある程度把握しているに違いない。

「ええ、来ましたよ。男性がひとり」
「男性……」

 男性というからには大人だろう。エドワードではないし、アルフォンスでもない。当てが外れたかとは肩を落としてため息をついた。

「あ、あの方ですよ。ホーエンハイムさん!」
「はいはい。何かなロゼ」

 そちらに目を向けて、は目を見開いた。
 ホムンクルス達の親玉が、そこにいた。

「な、んで……」

 ホーエンハイムと呼ばれた男性は、首を傾げてを見た。

「ロゼ、こちらのお嬢さんは?」
「最近外からこの街に来た人を探しているみたいで」
「そうそう、この方を探してたんですよお!」

 は満面の笑みでホーエンハイムの腕をとった。

「もう、おじさまどこへ行ってたんですか? ちょっとあっちでお話しましょ」
「え? え?」

 はホーエンハイムの腕を掴んで路地へと連れてくる。

「えーと、俺に何か用かな」

 ホーエンハイムは困ったように頬をかいた。無害そうに見える男性だ。
 はキャスケットを外し、眼鏡を取った。

「あなたに問う。ホムンクルスの仲間か? 否か?」
「……」

 ホーエンハイムの目が変わった。

「……お嬢さん。そういう事はこんな狭い路地でするものじゃないよ。俺が敵だったらどうするんだ?」
「少なくとも被害は私一人で済むでしょう?」

 は当然のように言った。ホーエンハイムは深いため息をついた。

「君は、自分が犠牲になることを躊躇わない人なんだね」
「それに、ホムンクルスの仲間なら、人柱候補の私をこんなところで殺したりしません」
「うん。それも確かだ」

 ホーエンハイムが頷いた。

「ということは、君は国家錬金術師なのかな。そして俺を見て引きずって来たということは、俺と同じ顔のあいつに会った事があるという事だね?」

 は頷く。

「国軍少将。流水の錬金術師です。改めて初めまして、ホーエンハイムさん」
「ヴァン・ホーエンハイムだ。こちらこそ初めまして」

 ホーエンハイムがにこりと笑った。もようやく笑みを見せる。

「あなたが『お父様』とそっくりということは、あちらの事を少なからず知っているとみて良いですか?」
「うん。いいよ。ほぼすべて把握している」

 は腕を組む。

「さて、困ったな。ここでいろいろ話を聞きたいところですが、誰かホムンクルスが聞き耳立ててるかもしれないし」

 ホーエンハイムは首を振った。

「大丈夫だよ。一番遠くまで手が出せるプライドは、ここの地下トンネルが限度だ。本体が追って来ないと聞き耳を立てたりはできないよ。ここは国土錬成陣で一番外周に近いところの一つでもあるからね」

 そこまで言って、ホーエンハイムはあっと声をあげる。そして頭を掻いた。

「えーと、今の話どこまでわかったかな」
「全部わかりました。大丈夫です」

 ホーエンハイムは驚いた顔をして、そうかい、と笑みを見せた。

「ところで、お嬢さんはどうしてリオールへ? 本当に俺を探しに来たわけじゃないだろう?」

 ホーエンハイムが問う。

「うーん、今居所がわからない友人達がいるんですけど、ここに一度来た事があるはずなので出会えるかと思って来たんですけど。当てが外れました」
「へえ。なんて名前の人だい?」
「エドワード・エルリックとアルフォンス・エルリックです」

 ホーエンハイムは目を丸くした。そして自分を指差した。

「父親です」
「……は!?」
「いつも息子達がお世話になっているようで」
「ちょ、ちょっと待ってください!? 父親!? 二人が小さい頃に出て行ったっていう!?」

 ホーエンハイムは頷く。は額に手をあてて俯いた。

「当てがはずれてごめんね」
「いえ……遠回りして当たった気がするんで大丈夫です」

 は深いため息をついた。

「さて、話を戻しましょう」

 は顔を上げた。

「ホムンクルスの一人を仲間に引き入れました」
「ほう? 誰だい?」
「ジュデッカという八番目のホムンクルスです」
「ジュデッカ?」

 ホーエンハイムは腕を組んで首を傾げた。

「やつが捨てたのは七つの感情のはずだけど。八番目も生み出していたのか」
「やつ……やはりあの男を知っているんですね」
「うん。話が長くなる。座ろうか」

 無造作に置いてある木箱を指差して、ホーエンハイムが言った。
 木箱に腰かける。ホーエンハイムは土嚢の上に腰かけた。

「さて、どこから話そうかな。お嬢さんはどこまで知っているんだろうか」

 ホーエンハイムがを見て問いかけた。

「大体は知っていると思います。国土錬成陣のこと、賢者の石のこと、ホムンクルスのこと、あなたと似たホムンクルスの親玉とも会いました」

 はホーエンハイムをまっすぐに見る。

「来春の『来たるべき日』は皆既日食の日で間違いないですね?」

 ホーエンハイムは唖然とした顔をして、満面の笑みで微笑んだ。

「君は素晴らしい錬金術師だね。そこまで自分で調べてしまったのか」
「私だけの力ではないです。手を貸してくれる部下と、先程言ったジュデッカからの情報からの推測です。その様子だと、『来たるべき日』についての推測は間違いないようですね」
「うん。合っているよ」

 ホーエンハイムは頷いた。これで推測が確信に変わる。も頷いた。

「じゃあ、この国の成り立ちから話そうか」

 遠い昔。クセルクセスという巨大な国家があった。その国は奴隷制度があり、奴隷二十三号というのかホーエンハイムの名前だった。
 クセルクセスでは錬金術の研究が盛んに行われていた。その国の錬金術で、フラスコの中の小人――ホムンクルスという生物が生み出されていた。その名の通り、フラスコから出ることはできない。膨大な知識をもった生物だ。それは、奴隷二十三号の血を使って生み出された。
 ホムンクルスと出会った奴隷二十三号は、ヴァン・ホーエンハイムという名前と、様々な知識を得ることとなる。読み書きから始まり、錬金術も少しずつ学び、そうして国のお抱え錬金術師の助手へと地位を上げていった。
 ある日、クセルクセス王が不老不死の法についてホムンクルスに問いかけた。それは、「可能だ」と答えた。
 こうしてクセルクセスという国を使って国土錬成陣が作り上げられた。用水路を円状に掘り、指定された村を血で染め上げる。こうして準備は整った。
 だが、そこで予想外の事が起こった。錬成陣の中心にいたはずのクセルクセス王や錬金術師たちが苦しみ出したのだ。それだけではない。国中の人間が苦しみ、倒れて行った。
 ホーエンハイムの手の中にいたホムンクルスは言った。

『血を分けた家族、ホーエンハイムよ。今、君と私が全ての中心だ』

 そうして、扉が開いた。
 気が付くと、静かすぎる国にただ一人立っていた。
 そんなホーエンハイムに声をかけた人物が一人だけいた。自分と同じ姿の人物が。その人物は言った。

『君の血の情報を元に容れ物を作らせてもらったよ』

 それはホムンクルスだった。

『血をくれた礼に名を与えた。知識を与えた。そして――朽ちぬ身体を与えた。この国の人間全ての魂と引き替えにな。ま、半分は私が貰ったがね』

 嘘だと叫んだ。自分の内にいる無数の魂が殺せと助けてと叫び続ける。
 こうして、『フラスコの中の小人』とヴァン・ホーエンハイムは賢者の石になったのだ。ホーエンハイムは人間の姿をした賢者の石へ、ホムンクルスはホーエンハイムの姿をした革袋に入った賢者の石となった。
 その後、ホムンクルスはアメストリスへと移動した。そうして手駒を集め、国を繁栄させる裏で、もう一度扉を開けようと準備を進めている。

「――というわけなんだけど、わかったかな」
「はあ……」

 それはため息と一緒に吐き出された言葉だった。

「じゃあ、錬金術をこの国に伝えたという東の賢者はあいつだったってことですね」

 ふむ、とは顎に手をあてて頷いた。

「……信じるの?」
「信じますよ。クセルクセスが一夜で滅んだというおとぎ話も納得しました。国土錬成陣のせいなんですね」

 はハキハキと答えた。ホーエンハイムは首を傾げる。

「嘘だと思わない? ていうか、びっくりしない? 俺、賢者の石だよ?」
「いえ、特に」

 は言う。

「死んだ人間が生き返るくらいじゃないと驚きはしませんよ」

 が肩を竦めた。

「俺を使えば可能だ」

 ホーエンハイムは親指で自分を指した。

「君は賢者の石を使ってでも生き返らせたい人がいるか?」
「……」

 は首を振る。

「……いいえ。そんな事をすれば怒るような人ばかりですので」

 そう言っては苦笑した。
 シュウにしても、ヒューズにしても、賢者の石で自分が生き返っただなんて知ればを叱るだろう。どうしてそんな事をしたんだと怒るだろう。だから、自分は死んだ彼らを生き返らそうとは考えない。

「そうか。すまない。変な質問をした」
「いえ。気にしないでください」

 はひらりと手を振った。

「次は私の話を聞いて貰ってもいいですか?」

 が言う。ホーエンハイムは頷いた。
 はシュウに生き返らされた時の話をした。彼が賢者の石を使っての魂を錬成したことや、自分の心臓に賢者の石を埋め込んだことを話した。

「心臓に賢者の石を、か」

 ホーエンハイムが腕を組んだ。

「人間は心停止から四~五分で脳が回復不可能な障害を受ける。きっとその子は、死んだ君が生き返った後に障害無しに生活できるように賢者の石を心臓にサポートとして入れたんだろう」
「それが脳にどのような影響を?」
「心臓が動くことによって脳に酸素が行きわたる。つまり、心臓に賢者の石を入れることで、血と共に石のエネルギーを循環させ、脳の障害を間接的に取り除いたんだ」

 なるほど、とは思う。ジュデッカはそこまで説明はしてくれなかった。

「私が賢者の石なしに活動できるようになることはあるんでしょうか」

 が問う。

「可能だと思うよ。君という人間を頭から足の先まで全部完全な状態に作り直す。心臓は正常に機能し、脳細胞も綺麗に整い、障害は何もない。そうなれば賢者の石のサポートは不要になるはずだ」
「それを行うには、やはり……」
「うん。賢者の石は必要になるだろうね」

 は肩を落とした。賢者の石は使えない。自分の体内に入っているとしても、そのためには使いたくなかった。

「私は、今ホムンクルスと同じ状態なんでしょうか」

 はぽつりと呟いた。

「いや、君は人間だよ」
「え? でも、私の体内には賢者の石が……」

 ホーエンハイムは首を振った。

「君の核となっているのは、君という人間だ。賢者の石じゃあない。ホムンクルスは賢者の石を核とした人間だ。君とは違う」

 はホーエンハイムを見つめる。ホーエンハイムがにこりと微笑んだ。

「大丈夫。君はちゃんと人間だよ」

 は俯き、両手で顔を覆い、深い息を吐いた。
 本当はホムンクルスなのではないかと、何度も思った。それはジュデッカにすら聞けなかった。それでも、自分は人間なのだと、そう言って貰えた。

「……ありがとうございます」

 掠れた声で、が言った。
 自分の存在を認められた気がした。魂が違うと言われても、ロイが昔と変わらないと言ってくれた。それで良かった。例え人間じゃなくても。そう思っていた。だが、ホーエンハイムはが人間であると認めてくれた。それは、自身が自覚していなかった不安を取り除く言葉だった。

「話を戻しましょう」

 が顔をあげて言った。

「国土錬成陣の発動を止めることはできないんですか?」
「うーん、止めることはできるかもしれないけど、難しいかもしれないね」

 ホーエンハイムが頷く。

「でも、発動した後のカウンターは用意してある」
「カウンター?」

 うん、とホーエンハイムが頷いた。

「君は何故、皆既日食が『来たるべき日』だと思ったのかな?」
「太陽が月に隠され、そこに日光の輪ができるからです。その円と国土錬成陣が呼応して扉を開こうとするのが目的だと考えています」

 は指を二本立てる。

「太陽と月を合わせると雌雄同体、完全な存在となります。あのホムンクルスがあなたの姿をした革袋に入っているのであれば、あれは完全な存在になろうとしているのではないでしょうか」
「君は本当に優秀な錬金術師だね」

 ホーエンハイムは嬉しそうに笑った。

「私もここまで錬金術の話を出来る方と出会ったのは久しぶりなので嬉しいです」

 も笑みを見せる。

「それじゃあ、皆既日食の時に出来るもう一つの円はわかるかな?」
「もう一つの円?」

 は考える。
 皆既日食の時に出来るもう一つの円。空ではもちろん一つの円ができている。これが国土錬成陣に関わっている。ではもう一つの円は? アメストリス全土が中心食となる。その時できる、もう一つの円は――

「……本影ですね?」

 確認するように目を向けると、ホーエンハイムは微笑んだ。
 大きさを持った光源を物体が完全に遮る場合、これを本影という。皆既日食は月が太陽を完全に遮ることをいう。本影は、皆既日食が見える地域に落ちる影のことだ。

「なるほど、時限式のカウンターというわけですね。でも、それは相当な量の計算が必要だったんじゃ……」
「うん。やっと準備が終わったところなんだ」

 ホーエンハイムは頷く。は眉を寄せる。

「もしかして、家族を置いて家を出たのはその為に……?」

 ホーエンハイムは苦笑した。

「うん。まあ、でも結局のところは家族を置いて家を出て行っちまったぼんくら親父さ」

 は首を振る。

「生きているなら、二人に会ってあげてください」

 は言う。

「嫌われたって、怒鳴られたっていいじゃないですか。生きているんですから。会ってあげてください」
「……お嬢さん、家族は」
「どちらもいません。母は私を生んですぐに。父が育ててはくれましたが、軍が忙しくてほとんど顔を合わせなかったので」
「はは、うちも同じだ。俺はあいつのやっていることの計算に没頭していたから、息子たちを構ってあげられなくてね」
「でも、あなたは生きています」

 は真っ直ぐにホーエンハイムを見た。

「会って、話をしてあげてください」
「……うん。会えたらそうするよ」

 ホーエンハイムは眉を下げて笑った。


「もう戻るのかい?」

 路地から出ながらホーエンハイムが言った。

「はい。あまりセントラルをあけていて、変に疑われるのも面倒ですし」

 キャスケットの中に髪の毛を隠し、眼鏡をかけながらは言った。

「あ、そうだ」
「なんです?」

 ホーエンハイムが足を止めたのに合わせ、も足を止めて振り返る。

「さっき言ってた八番目のホムンクルスだけど、『ジュデッカ』って言ったよね」
「ええ、言いましたけど」

 が首を傾げる。

「七人のホムンクルスが、人を罪に導く可能性のあると見做される感情の七つから名前がとられているのは知っているね」
「はい。だから八番目がわからなくて」

 ホーエンハイムが頷く。

「ずっと考えていたんだけど。まず地獄という概念がある」
「天国と地獄の地獄ですか?」
「うん。地獄には多くの罪を持った罪人が流れ着く。地獄は円を描くように出来ていると考えられていて……その円の最深部にあるのが、最も重い罪の者が流れ着く『裏切り』の地獄『コキュートス』。そこに更に四つの円がある」

 ホーエンハイムは人差し指を立てた。

「その円のひとつに『ジュデッカ』というものがあるんだ」

 が目を瞠った。

「あいつが七つの感情と共に捨てたかったもののひとつ……たぶんだけどね。そいつは、『裏切り』のホムンクルスだ」

 裏切りのホムンクルス。それがジュデッカ。
 シュウ・ライヤーという彼らにとっての裏切者が被った名が、裏切りを表す「ジュデッカ」という名だというのか。
 シュウ・ライヤーに裏切られたからこそ、フラスコの小人は裏切りの感情を捨てようと思った? それとも、シュウ・ライヤーという裏切り者に裏切りの名を被せてジュデッカを生み出した? まるでそのレッテルを貼るように。

「あはは」

 が急に笑い出した。そして不思議そうにを見るホーエンハイムに、は笑ってみせた。

「ありがとうございます。あいつが私たちの仲間になるって確信が持てました」

 だって彼は、裏切りのホムンクルスなんだから。