54.始まりの









「私は賢者の石なしで生きることはできないの?」

 ジュデッカは動かしていたフォークを止めた。
 いつものようにがジュデッカの前に座っていた。はスプーンでスープを飲んでいた。

「前に言った通りだ」

 ジュデッカは食事に戻る。

「今後の可能性について聞いてるの」

 スープに髪が入らないように耳に髪をかける。赤いピアスが見えて、ジュデッカは眉を寄せた。もう片方のピアスは、自分が右耳につけている。

「そうだな。お前の身体、賢者の石でも使って全部構成しなおせば可能性はあるかもな」
「じゃあ、それやってよ」
「俺は錬金術師じゃねえ」

 はスプーンを動かすの止め、眉を顰めた。

「錬金術師じゃない? じゃあ、どうやって私の治療したの。それに、シュウの記憶があるなら、それなりの錬金術の知識だってあるはずでしょ」

 ジュデッカはため息をついた。

「錬金術をやらされてるだけだ。俺は錬金術師になろうと思ったことはねえ」

 そういうことか、とは納得する。錬金術の知識もある。でも、それは自分が学んだわけではなく、記憶にあるだけ。自身が望んで錬金術師になったわけではないと彼は言う。

「じゃあ、無理にやらせるわけにもいかないね」

 は食事に戻りながら言った。

「……いいのかそれで」
「なんで? やりたくないんでしょ? 無理強いはしないよ」

 はスプーンを置いて、コーヒーカップを手にとった。そしてジュデッカに目を向ける。

「錬金術はやりたいからやるものだと思ってる。やりたくない人に無理にやらせようとは思わないよ」
「……」

 ジュデッカもフォークを置いた。

「お前、なんで国家錬金術師になったんだよ」

 二人の視線が合う。

「あれは、人柱を選出するために作られた制度だ」
「地位や権力をつけるための基盤にしようと思ったからだよ」

 ははっきりと答えた。

「私はイシュヴァールの殲滅戦を見て、殺さない軍人になろうと決めた。その為には、強くならなければならない。軍の命令に反しても、私を手放すのが惜しいと思うほど、軍にとって有益な人間にならなければならない。上からの命令が下らないように地位をあげなければならない。……その足掛けが国家錬金術師になることだった。ただそれだけ」
「……」

 国家錬金術師は少佐相当の地位がある。は国家錬金術師の資格を取ってから、駆け上がるように地位を上げて行った。それは今思えば大総統含むホムンクルス達による計画の一つだったのかもしれないが、の目論み通りになっているので文句は言わない。すべてを知ったからといって、この青い軍服を脱ぐつもりもないし、国家資格を返上する気もない。自分のすべてを軍と錬金術に捧げると決めたことは変わらない。
 は頬杖をついて顔をずいとジュデッカに近づけた。

「なに? もしかして心配してくれてるとか?」
「ばっ……!!」

 ジュデッカは顔を真っ赤にして立ち上がった。

「そんなわけねえだろ!」

 トレイを持って速足にいなくなってしまった。

「……ふむ。面白い」

 シュウと似た表情をすることもあれば、シュウと違う反応をすることもある。後者の方が圧倒的に多い。だからこそ、は今になってはジュデッカを見てシュウであるとは思わない。
 そして、向こうから疑問を投げかけてくることが少しずつ増えて来た。会話が長く続くようになった。はその変化を楽しんでいる。

「なんだ、もう食べ終わったのか」

 声が聞こえて目を向ければ、トレイと書類を持ったロイが立っていた。

「ここいいか?」
「どうぞ」

 はコーヒー飲みながらロイの書類に目を向ける。

「こんなところでまで仕事してんの」
「追いつかなくてな。優秀な部下がいなくなってしまったから、毎日大変だよ」

 左手でサンドイッチを食べつつ、右手でペンを走らせる。はコーヒーを飲みながらペン先を目で追っていた。

「そういえば」

 ロイが突然声をあげた。

「君、昔大総統邸に遊びに行っていたよな?」
「うん? 行ってたよ。セリムの遊び相手にって」
「最近は行っていないのか?」
「もう何年も行ってないよ」

 ロイは眉を寄せ、顎に手をあてた。

「なに?」
「いや、何というわけではないんだが……」

 ロイはペンをくいっと釣り竿のように持ち上げて見せる。

「最近はどうしているかと思ってな」

 が眉を寄せる。

「……たまには顔見に行ってみるのも有りか」
「はは。きっとお喜びになるだろう。ぜひともお会いした様子を伺いたいところだね」
「気が向いたらね」

 そう言って、は立ち上がった。

「じゃあ、またね」
「ああ、また」

 ロイを置いて、トレイを持って立ち上がる。トレイを片付けて、は息を吐く。

「腹ごなしに歩いてくるか」

 大総統邸に、セリムに何かがあるというのならば。


***


「あれ」

 外を歩いていると、大総統夫人がお付きの者と一緒にショッピングを楽しんでいるところに遭遇した。偶然とはいえ、こうもタイミングが良いことがあるだろうか。

「奥様」
「あら、さん」

 会釈しながら近づくと、夫人は驚いたような顔をした後、にっこりと微笑んだ。

「お久しぶり。随分見ない間に大人の女性になったわねえ」
「いえいえ、そんな。まだ子供ですよ」

 は苦笑しながら手を振る。

「セリムは一緒ではないんですか?」
「ええ。家で勉強中です」

 そうですか、とは言う。
 セリムがいないならばちょうどいい。夫人からも何か情報が聞き出せれば、より多くの情報を得られるというものだ。

「奥様、お伺いしたいことがあるんですけれど」
「あら、なにかしら」

 頬に手をあて、夫人は不思議そうな表情をした。

「シュウ・ライヤーをご存知ですか?」

 ははっきりと問いかけた。

「シュウね、もちろん知っているわよ。うちの養子の一人です」

 夫人は微笑んで頷いた。

「シュウと仲良くしてくださっていたんだったわね。長く行方不明だったのだけど、この間ひょっこり帰って来て。私、もう嬉しくて」

 数年ぶりに顔を見せてくれたんですよ、と夫人は言う。

「何度か大総統のお宅にはお邪魔していますが、シュウと出会ったことはなかったと思うのですが」
「あの子、一人が好きみたいで、軍に入ってすぐに一人暮らしするのに出て行ってしまったのよ」
「そうだったんですか」

 微笑みは絶やさない。可能な限りの情報を聞き出す。

「あの、シュウとはどういう出会いで……?」

 一番聞きたかった事を問いかける。シュウは四歳の時に母親に捨てられている。一体どこで出会ったのか。だが、の思いとは裏腹に、夫人の答えは簡潔だった。

「セリムと同じく、主人の遠縁の親戚の子ですよ」
「セリムと、同じく?」

 の顔から表情が消えた。
 セリムと同じく。そう言った。
 セリムが養子であることは勿論知っていた。それがどちらの親戚だったかなど気にした事はなかった。
 だが、ブラッドレイの方の親戚だと、確かに言った。

「シュウに聞いたことはなかったのかしら?」
「え、ええ。あまり家庭に関する話はお互いしていなかったものですから」

 は苦笑して返す。脈が速い。

「それでは、奥様。私はこの辺で。仕事に戻りますので」
「ええ。たまにはまたうちに遊びに来てね」
「はい。ありがとうございます」

 頭を下げ、歩き出す。

「シュウとセリムが、ブラッドレイの養子……」

 有り得ないのだ。ブラッドレイはホムンクルスだ。生まれた時から大総統となるべく育てられた。そう、以前の家の中で話をした時にロイに聞いた。親戚などいるはずがない。
 では、セリムはどこからやってきた? シュウはどうやって家族に迎えられた?
 は大総統邸へと向かった。夫人は先程の様子ではまだ帰って来ることはないだろう。

「そんな都合良くセリムも出てきてないか……」

 柵から中を覗き見る。偶然出会ったのはどのくらい前になるだろうか。あの時に、シュウが大総統の養子であることを知った。セリムは何故わざわざシュウの話を出したのだ?
 また別の機会に来ようと、柵を離れようとした時。

「あ、さん!」

 声が聞こえ、セリムが嬉しそうに走って来た。

「いたよ、まじか」

 は思わずそう声に出していた。
 セリムが柵までやってくる。

「この辺に用事ですか?」
「うん、たまにはセリムに会おうかなと思って」

 はそう言ってしゃがみ込んだ。セリムの顔がぱあっと明るくなった。

「本当ですか!? 嬉しいです! あ、門を開けましょうか? 中に入ります?」

 は首を振る。

「仕事にすぐに戻るからここでいいよ。聞きたいことがあってね」
「聞きたい事ですか? 何ですか?」

 セリムは首を傾げる。

「君は何者かな?」
「はい?」

 不思議そうな顔をするセリムに、は続ける。

「本当の名は? プライド? スロウス?」
さん、何の話ですか?」
「隠さなくていいんだよ。さっき奥様に会って聞いたから」
「お母さんに? 何を?」

 は笑みを崩さない。

「ブラッドレイの遠縁の親戚だそうだね?」
「……」
「もう一度聞く。プライドか? スロウスか?」

 セリムは俯いた。そして顔を上げると、今までとは違う表情で笑った、

「……私の正体を聞いてどうするのです? 排除しますか?」

 口調が変わった。は問いが間違っていなかったことを理解する。

「何も。私は真実を知りたいだけ」
「興味だけで私のところに単身やって来るとは、度胸がありますね、将軍。……いえ。あなたはそういう人でした」

 ふう、と息を吐いてセリムは首を振る。

「あなたは問いましたね。プライドか? スロウスか?」

 ぞわり、と悪寒がした。何かが身体に巻き付いてくる。

「私があのなまけものと同列に問われるのは心外ですので、答えを教えましょう」

 が視線を落とす。セリムの影が、に向かって伸びていた。陽の向きが違う。の腕に、首に、セリムの影が巻き付いていた。

「私はプライド。始まりのホムンクルスです」
「始まりのホムンクルス……言葉のままをとれば、最初に『お父様』に生み出されたホムンクルスってことか」

 セリム――プライドの影はまるで弄ぶようにの身体に細い傷を残していく。

「シュウをどこから連れて来た」

 は気にせず問いを続けた。

「捨てられていたものを、拾っただけですよ。ちょうど人間の手駒が欲しかったところでしたしね。幼少期から育てれば良い研究員になると思ったのですが。残念ながら、あなたと出会ってしまった」
「それは残念だったね。私と出会ったことで、シュウはあんた達の言うことを聞かなくなった。その上、私を助けて死んだ」
「ええ、そうです。あの事件はあなた一人を消すつもりで画策したものでしたのに」
「え……」

 の頬がプライドの影に傷つけられ、血が流れた。

「なぜわざわざ東部の事件に中央からあなた方が派遣されたか考えた事がありますか?」

 プライドは笑った。

「邪魔だったんですよ、あなたが。あなたと出会って、シュウ・ライヤーはどんどん人間のようになってしまった」

 確かに、が出会ったばかりのシュウはまるで生きる人形であった。はそれでもシュウについて回った。おかげで一年も経てばシュウも心を開いてくれるようになり、二人は親友となった。
 だが、プライドは言う。を殺すために、あの事件を起こしたと。

「しかし、シュウ・ライヤーは死に、あなたが生き残る結果となった。これは意外でした。シュウ・ライヤーがそこまであなたを大事に思っているとは思わなかったですからね」

 ジュデッカは言っていた。シュウは逃げたかっただけだと。逃げたかったから、を助けることで理由づけをしたと。

「だから、代わりにあなたを軍に縛り付けることにした。あなたに地位を与えました。権限を与えました。それはすべて我々の計画の内です」
「それはどうも。私の計画の内でもあったから礼を言うのはこっちなんだけど」

 ふっとは笑って、プライドを睨みつける。

「礼を言ってもらう必要はありませんよ、将軍。事は我々の思う通りに進んでいます」

 プライドは表情を変えずにただ笑っている。

「今度は私があなたに問います」

 プライドは首を傾げる。

「もし、ジュデッカが死ぬようなことがあったら、あなたは彼を生き返らそうと思いますか?」
「な……!」

 は動こうとしたが、プライドの影に全身を締め付けられていて動くことができなかった。

「シュウ・ライヤー……ジュデッカは我々の手の内です。以前のあなた方であれば、シュウ・ライヤーが死んだら今度は自分が、と思いますね?」
「……」

 がプライドを睨む。プライドはそれで満足したようだった。

「セリムさん! また抜け出したのですか!?」
「わー! すみませーん!」

 シュルシュルとの拘束が解かれていく。

「いいですか。私の事は他に話さない事です。私はあなたの影からずっと見ていますからね」
「セリムさん!!」
「では、さん! また遊びに来てくださいね!」

 手を振って、プライド――セリムは家庭教師のもとへと戻って行く。
 手を見る。締め付けられた痕が残っている。

「ハッ……人質取ってるつもり? なめられたものだ」

 頬を流れる血を袖で拭って、は立ち上がった。
 だが、これはチャンスだった。ホムンクルスたちはジュデッカの出現でを揺すろうと考えているのかもしれない。だが、シュウとジュデッカを別人として考えられるようになったにとって、それは意味はなかった。そして、先程のプライドの言い方だと、ジュデッカはホムンクルス内であまり歓迎されてはいない。

「オーケーオーケー。そういうことなら」

 ジュデッカを仲間に引き込んでやろうじゃないか。