49.イシュヴァール殲滅戦







 イシュヴァールの内乱は、アメストリスの軍将校が撃った一発の弾によって始まった。
 が内乱に加わったのは殲滅戦が終わりに近づいている頃だった。その悲惨さを目にしたいという、からの希望だった。大総統は二つ返事でこれを許可した。
 が11歳の時だった。


 硝煙の匂いが酷い。乾いた大地の風にはたくさんの血と涙が混じっているようだった。
 はその地に降り立った。
 ここは軍の基地であり、内乱で疲弊した軍人たちが集まり、話をしていた。そんな中で、ただでさえ軍内部で目立つの姿は人の目を引いた。

!?」

 は足を止めて振り返る。ヒューズだった。慌てた様子で走って来る。

「何でお前がここにいるんだ!?」

 肩をがっしりと捕んでヒューズは言う。

「私の希望で来たんだよ。内乱の様子を一目見たくて」
「様子を見たいって、ここはガキが来るような場所じゃない! どんなところかわかってんのか!?」

 は肩を捕んでいるその腕を掴み、ヒューズを睨みつけた。

「軍人が戦争から目を逸らしてどうする。ガキだからなんて関係ない。私は軍人だ」

 そう言ってはヒューズの手を払った。
 戦地に近く、それでも戦火に巻き込まれないような廃屋の上に登った。イシュヴァールの街がよく見渡せた。広い街だった。ここに住む人間すべてを殺そうとしているのだと、はその規模を初めて知る。
 目を閉じて耳をすませば銃声が聞こえる。悲鳴が聞こえる。大きな破壊音はきっと国家錬金術師だろう。大総統令で国家錬金術師投入の殲滅戦は既に始まっている。どこかで、焔の錬金術師が戦っている。
 出会ったのはすぐのことだった。

「やあ、ロイ」

 ロイは飲んでいた水を噴き出した。

!?」
「はぁい、ちゃんでーす」
「どうして君がここにいるんだ!!」
「私が希望したからだけど」

 そう答えていると、後ろからぐいと肩を引っ張られた。

「ロイもっと言ってやれ。俺の言うことなんて聞きゃしない」
「マース」

 背後から肩を組まれ、身動きが取れなくなった。ヒューズは先程のやり取りがお気に召さなかったようだ。

「この殲滅戦を観察にでも来たつもりか?」

 ロイが睨んで来た。

「そうだ。人が人を殺すところを見に来た」

 もロイを睨んだ。ロイがぐっと言葉に詰まる。人が人を殺す。人を殺している身には、改めて言葉にすることが出来ないものだった。

「そして、私が今後どう軍で動いていくべきか考える為に来た」

 ヒューズの拘束から抜けて、二人を見上げる。

「私は遊びに来たわけじゃない」

 はそう言い切った。
 の真剣な目に、二人はこれ以上帰れなどと言うことはできなかった。

 なぜこんな戦争が始まってしまったのか。
 なぜこんな事になってしまったのか。

「なぜ? それが国家錬金術師の仕事だからです。なぜ国民を守るべき軍人が国民を殺しているのか? それが兵士に与えられた任務だからです。ちがいますか?」

 束の間の休憩中。キンブリー少佐がそう言った。

「割り切れと言うのか? この惨状を?」

 ロイが睨む。

「仕事として割り切れませんか? みなさんは?」
「できれば、こんな話はしませんよ」

 背後にいた兵士が苦笑する。ふむ、とキンブリーは顎に手をあて、周囲を見回した。

「そうですね……たとえば……」

 そして、一人の女性を指差した。は名前は知らなかったが、士官学校の卒業を間近に控えた学生であることだけ知っている。

「そこのお嬢さん。『私は嫌々やっている』そういう顔ですね、あなた」
「それは……そうです。殺しは楽しくなんかありませんから」
「そうですか?」

 女性は顔を上げる。

「相手を倒した時、『当たった! よし!』と自分の腕前に自惚れ、仕事に達成感を感じる瞬間が少しでも無いと言いきれますか? 狙撃手さん」
「それ以上言うな!」

 ロイがキンブリーの胸倉を掴んだ。キンブリーは表情を変えなかった。

「私からすれば、あなたがたの方が理解できない。戦場という特殊な場に正当性を求める方がおかしい」

 キンブリーは続ける。

「錬金術で殺したら外道か? 銃で殺したら上等か? それとも、一人二人なら殺す覚悟があったが、何千何万は耐えられないと?」

 皆が黙り込む。

「自らの意志で軍服を着た時にすでに覚悟があったはずではないか? 嫌なら最初から、こんなもの着なければいい。自ら進んだ道で何を今更被害者ぶるのか。自分を哀れむくらいなら最初から人を殺すな」

 キンブリーは視線を落とすロイに向かって言う。

「死から目を背けるな。前を見ろ。貴方が殺す人々のその姿を正面から見ろ。そして忘れるな。忘れるな。忘れるな。奴らも貴方の事を忘れない」

 カーンカーンカーンと鐘が鳴った。

「おっと時間ですよ。仕事に行かなければ」

 そう言ってキンブリーは立ち上がった。
 そして、脇の方で話を聞いていたの前で足を止めた。

「さて。ここまで話を聞いて、どう思いましたか? 小さな軍人さん」

 はキンブリーを見上げた。

「参考になる説法をありがとう」

 は素直に礼を言う。そしてキンブリーを睨みつけた。

「……それでも、私は殺さない」
「ほう。命令違反をすると」

 は持っていたマグカップを持つ手に力を入れた。

「命令違反しても、軍が手放せないくらいの位置についてやる。軍の上層部に喰らいつく。私は殺さない。殺さない軍人になってやる」
「殺さない覚悟、ですか」

 ずいとキンブリーが顔を近づけてくる。

「断言しましょう。それは殺す覚悟より大変なものです」

 は目を逸らさなかった。

「それでもだ。それでも、私は殺さない」

 数秒の間。キンブリーが顔を離して、ふっと笑った。

「良い目ですね。あなたがそれを成就させるところを、ぜひ私も見てみたい。信念を貫く人は私は好きですよ」

 では、と言ってキンブリーは殲滅戦に戻って行った。はその後ろ姿を見送る。
 キンブリーの言うことはもっともだった。この軍服に袖を通した日から、覚悟をしていた。していたはずだった。それを今の話ではっきりと理解する。覚悟する。――自分は殺さない軍人になると。

「あなたは、怖くないの?」

 先程キンブリーに話しかけられていた女性が声をかけてきた。

「ええと……」
「リザ・ホークアイ。まだ士官学校の学生よ」
。特例で入隊した少尉です」

 士官学校では卒業前に実地訓練に出されるという。彼女は運悪くイシュヴァール戦に配属されたというわけだ。

「怖いよ」

 は言った。

「この惨状を見て怖いと思わないなら、そいつはもう狂ってる」

 誰もが恐怖を感じているだろう。自分が殺される恐怖。人を殺す恐怖。そんな恐怖を感じないなら、その人間は常人を逸脱しているのだろう。

「じゃあ、あなたも……」
「怖いけど、逃げちゃいけない」

 びくり、とホークアイは肩を揺らした。は続ける。

「さっきキンブリー少佐が言っていた通りだ。逃げちゃいけない。目を背けちゃいけない。目の前で起こっている惨状は私たち軍人が起こしている事だ」
「……」

 はホークアイを見上げた。

「あなたも忘れないで。殺した人のことを」

 ホークアイは年下のにまで言われるとは思わなかったのか、悲し気な顔で頷いた。


 は殲滅が終わった地区を歩いていた。至る所に、イシュヴァール人の死体があった。

「こんな所にガキが一人。親とでもはぐれたか?」

 声が聞こえ、は慌てて駆け出した。
 合成獣と共に軍服を着た男が、イシュヴァール人の少女を前に距離を詰めていた。

「殺れ」

 合成獣が駆ける。
 その間に、が割って入った。

「っ!!」
「なっ!?」

 背中が鋭利な爪により斬り裂かれる。
 そんな怪我も気にせず、は素早く地面に円を描いた。と少女を守るように、石造りの柵ができる。

「なんだこのガキ……! 軍人だと!?」
「去れ」

 がホルスターから銃を抜く。

「立ち去れ。命令だ」

 低い声でが言う。合成獣はなお噛みつこうと、斬り裂こうと、檻に食い付いている。
 男はチッと舌打ちして、合成獣を引き下げ、立ち去って行った。

「あ……」

 後ろの少女が声を漏らしたのを聞いて、は銃をホルスターにしまって、両手をひらひらとさせて何も持っていない旨を伝えた。

「ごめんごめん、怖かったでしょ。怪我はない?」

 少女は戸惑いながら首を振る。

「そっか、よかった。お母さんやお父さんは?」

 が優しく問いかける。

「……っく……うわぁああぁん」

 少女が泣き出す。

「ママがねっ……ママがどっかいっちゃったのぉ!」
「じゃあ、一人だったんだね。寂しかったでしょ?」

 少女の頭を撫でながらが言う。少女は何度も頷いた。

「よし。お姉ちゃんが一緒にママを探してあげる」
「……ほんと?」

 涙目で少女は顔を上げる。は頷く。

「うん、ほんと。頑張れるかな?」
「うん!」
「よし! お名前は?」
「リィっていうの!」
「じゃあ、リィちゃんのママを探しに行こうか!」

 は少女の手をとった。
 とはいえ、この周囲は既に殲滅が完了している。イシュヴァール人が隠れていそうなところは目途がついたいた。今日そこに突入するという話が出ていたのをは聞いていた。作戦はまだ実行されていない。

「お、ビンゴってか」

 イシュヴァール人の影を見つけては言う。

「こんにちはー」

 イシュヴァール人たちが構えた。子供だろうと、軍服を着た人間はすべて敵だからだ。

「えっと……リィちゃんって言うんですけど、この子のお母さんいます?」

 は殺される前に本題を告げた。手を繋いだリィを指しながらは言う。

「リィ!!」

 女性の一人が声をあげた。

「ママ!!」

 リィはの手を放し、母親の胸へと飛び込んだ。

「ああ、良かった……無事で本当に良かった」
「ママ……! ママ!!」

 はほっと息をつく。
 自分に母親の記憶はない。自分を生んですぐに死んだ。
 少しだけ、羨ましいなと思った。

「あのね、このお姉ちゃんが助けてくれたの」
「ありがとうございます。本当にありがとうございます!」
「いえいえ、そんな……私は人として当然の事をしただけですよ」

 は笑いながらひらひらと手を振った。

「アメストリスの軍人が何を勝手な」

 誰かが言った。シンと静まり返る。

「ごめんなさい」

 が頭を下げる。

「私にこの戦乱を止める力はない。たった一人の女の子を助けるのが精一杯でした」

 は顔を上げて、その場にいるイシュヴァール人たちに目を戻す。

「ここももうすぐ軍がせめてきます」

 そう。時間が無い。
 折角助けた少女ですら犠牲になろうとしている。

「東はだめです。軍の手が伸びています。南のアエルゴは亡命に協力はしないでしょう」

 は指をさした。

「北へ向かってください。森に行けば軍も追いはしないはずです」

 北、と誰かが呟いた。
 それでは、とは立ち去ろうとする。

「待ってくれ!」

 イシュヴァール人の男が叫んだ。

「君の名前は……?」

 は振り返って苦笑する。

「名乗る名前なんてありませんよ。私もあなた達の敵と一緒。アメストリスの軍の者です」

 例え戦争に関わっていなくとも。誰も殺していなくとも。自分はアメストリスの軍人に違いは無い。

「それに、生きていればまた会えるはずです。名前はその時でもいいんじゃないですか?」

 首を傾げながら、はにこりと笑った。

「皆さんのご無事を祈っています」


「死んでんのか?」

 知らない声が降って来る。

「……生きてるっつーの」

 は誰かわからない人物にそう返した。
 はイシュヴァールの街で倒れていた。背中の傷のせいでくらくらした。

「合成獣の傷。イシュヴァール人でも助けたか?」

 男の声は言う。

「お前か。ガキの軍人が戦地に来たっていう」

 はごろんと転がって仰向けになる。見下ろしていた黒髪の男は、より少し上程の少年だった。

「ハ……ガキにガキって言われたくないね……」

 少年の眉間に皺が寄った。は砂埃にゲホゲホと咽る。
 まいったなあ、と言いながら片腕で目元を隠す。

「殺さない覚悟はあったけど……死なない覚悟はなかったなあ……」
「……」

 少年のため息を聞いたのが、の最後の記憶だった。


 は目を覚ますと同時に、がばっと起き上がった。

「わっ、びっくりした!」

 脇にいた衛生兵がびくりと肩を揺らす。

少尉、目が覚めましたか」

 別の衛生兵がの様子に苦笑しながら問いかけてくる。

「え……生きてる?」

 自分は確かに街の中で倒れたはずだ。そして意識を失った。背中の傷はズキズキと痛くて、出血のせいで頭がくらくらした。そこまでは覚えている。なのに、少し頭痛が残っているだけで、背中も痛くない。

「ライヤー少尉が連れて来たんですよ、覚えてませんか?」
「ライヤー少尉?」

 が問い返す。

「シュウ・ライヤー少尉です。外にいるんで、動けるようならお礼を言うといいですよ」

 シュウ・ライヤー。に声をかけてきた少年の名前のようだ。

「……私、怪我してなかった?」
「いえ。どこも怪我をしていませんでしたよ?」

 背中に手を回す。切れていたはずの軍服も綺麗になっていた。傷が治っている。

「やっぱり少尉にはこの光景はショックだったんでしょうね」

 衛生兵がそう言って苦笑する。が戦場の光景を見てショックで気を失ったのだと思われている。面倒なので訂正することはしなかった。が怪我したことは、そうなるとシュウ・ライヤーという少年しか知らないことになる。人の怪我も服もなおすほどの錬金術師に。

「ライヤー少尉」

 シュウは初老の男性と話していた。が声をかけると、男性は逃げるようにいなくなった。確か彼は生体錬金術師の、ドクター・マルコーだ。

「どうして助けたの」

 シュウに問う。シュウは表情を変えなかった。

「別に。ただの気まぐれだ」
「そう。まあ、助けてくれてありがとう」

 はにこりと笑った。そして右手を差し出す。

「私、。君と同じ少尉。よろしく」

 シュウはの手を一瞥すると、歩き出した。

「馴れ合うつもりはない」

 差し出したままの右手がわなわなと震えた。表情も引きつる。

「かっ……かわいくないガキ……!!」

 それが、彼との初対面だった。



 ピピピピ、ピピピピ。目覚ましの音が鳴っては唸りながらそれを止めた。

「あー……」

 天井を見てため息をつく。イシュヴァールの夢なんて、もう何年も見ていなかったのに。
 は起き上がると着替えを持ってシャワー室へと向かう。シャワーを浴びて、ラジオを聞きながらブラックのコーヒーを一杯。の朝食はそれで終わる。
 髪を乾かし、青の軍服に袖を通す。

―― 自らの意志で軍服を着た時にすでに覚悟があったはずではないか? 嫌なら最初から、こんなもの着なければいい。自ら進んだ道で何を今更被害者ぶるのか。

 キンブリーの言葉は今でも頭に残っている。
 被害者ぶる気はない。は自ら、僅か10歳という年齢でその覚悟をした。母親を幼い頃になくし、父親すらイシュヴァールの内乱の初期に死んだ時、一生を軍と錬金術に捧げる覚悟をした。もう失くすものなどないと、自ら決意した。
 マグカップをシンクに置いて、黒のコートを片手に部屋を出た。
 鍵をかけて、カンカンカンとうるさい階段を下りる。コートをばさっと広げて袖を通した。
 そうして、少女は軍人へと姿を変えるのだ。