44.市井の様子
が入院して六日が経った。護衛のためにドアの前に眠そうに立っているリッドに挨拶をして、エドワードはコンコンとドアをノックした。はーい、と軽い返事が返って来る。
「おう。大人しくしてるか馬鹿将軍」
「馬鹿は余計だミジンコ錬金術師」
「だぁーれがミジンコかぁー!!!?」
「ちょっと兄さん」
うるせーぞとドアを開けて睨んで来たリッドに、すみませんとアルフォンスが謝った。
は読書をしていた。生体錬成に関する本だ、とエドワードは気付いた。
「、はい。これお見舞い」
籠にりんごがいくつか入っていた。
「ありがとー。つか、病人みたいでなんかやだな。差し入れは有り難いけどさ」
アルフォンスから受け取って、は顔を顰めた。
「病人でしょ」
「ちょっと体調が悪いだけですぅー」
「それを世間では病人っつーんだよ」
馬鹿か、とエドワードが付け加える。
それから少し間を置いて、エドワードが話し出した。
「今、先にハボック少尉のところ寄って来たんだけどさ」
「うん? そうなの?」
籠を脇のキャビネットの上に置いて、が振り返る。エドワードとアルフォンスは互いに顔を見合わせた。
「足、動かないんだってな」
「うん。聞いてなかったんだ」
「さっきフュリー曹長に初めて聞いた」
帰り際のことだった。フュリーが追いかけてきて、見舞いの感謝を述べに来たのだ。
早く治してバリバリ働いてくれ、と言ったところ、足の話を聞いた。
「脊髄だって」
が言う。
「今の医学じゃあ無理だな……」
「うん……」
エドワードとアルフォンスが俯く。
沈黙が続く。
「ところで最近どう? 街の様子は」
が話題を変えた。
「ん? 別にいつもと変わらないんじゃねーか? スカーは相変わらず捕まんねーし」
「それは聞いてる。護衛つけてるの?」
「つけてると思うか?」
エドワードが肩を竦める。がため息をついた。
「まあ、つけてないとは思ったけどさ。気を付けなさいよ。一回死にかけてるんだから」
「うっ……わかってるよ」
エドワードが苦い顔をした。イーストシティでの戦いはまだ忘れてはいない。
「他には? あんた達今何やってんの?」
「大体図書館で調べものだな。なっ」
「うん」
二人が顔を見合わせて頷いた。
「調べもの?」
「賢者の石を使わずにもとに戻るって決めたんだ。調べることは山程あるさ」
「まー、それもそうか」
膝に置いたままだった本もキャビネットの上に片付けていると、ほっと息を吐いた音が聞こえ、は眉を寄せて振り返った。
「なに」
「えっ」
二人が身を引く。
「何か隠してる?」
「いやいや! そんなことねーよ!」
「うんうん! 何もないよ!」
ぶんぶんと首と両手を振りながら、兄弟は否定する。あからさまに怪しくて、が追及しようとすると、
「あっ、そうだ、!」
エドワードがより先に声を上げた。
話が長くなりそうだと、エドワードは脇に置いてある椅子に座った。そして声のトーンを落とす。
「シュウ・ライヤーの件。あれからどうなってる」
が表情を顰める。
「……知らないよ。別に見舞いに来るわけでもないし。私は司令部にいないし」
「そっか。そうだよな」
「でも、本物のシュウさんだったなら、のお見舞いくらい来るだろ? やっぱり偽者なんじゃないの?」
アルフォンスが言う。エドワードが頷いた。
「その可能性が一番高そうだよな」
「それについてはずっと考えてるんだけど」
も声を低くする。
「一番可能性が高いのは、あれがシュウの姿をした“何か”だってこと」
「何かって……」
「昔の記憶もある。仕草に違和感もない。でも生きているはずがない」
「死体が歩いてるとでもいうのかよ」
「まさにそれだ」
人差し指を一本立て、は続ける。
「バリー・ザ・チョッパーの肉体に、別の魂を入れることには成功しているという例がある。シュウの死体に別の魂を入れることは可能だ」
バリー・ザ・チョッパーはアルフォンスのように魂は別の鎧に定着させており、肉体は別の動物の魂を入れて、同時に活動を行っていた。同じようにシュウの死体に別の魂を入れることは可能なのではないか? シュウはあの日死んだ。賢者の石があれば肉体の修復は可能だろう。つまり、ホムンクルス絡み、軍の研究施設絡みの話となってくる。
「お前……ここで休んでる間、そんなことずっと考えてたのかよ」
「……シュウのことで何かできるのは私だけだと思ってるから」
は少しだけ笑った。
自分が死なせてしまった親友。彼のことで何かできるのは自分だけだとは思っているし、これは確かな事だと思っている。他の誰でもない、自分がやらねばならないことだ。
例えそれが精神的に苦しいことだったとしても。
「死体、とは限らないんじゃない? ほら、シュウさんの体をコピーした何かとか」
は首を振る。
「その方が現実的じゃない。記憶は脳に残る。脳が昔と同じものでないと、細かな仕草まで真似なんてできない」
頭をトントンと叩き、は言う。
「は、燃える小屋から脱出した後に、残ったシュウ・ライヤーの死体が誰かに持ち運ばれたと思ってるってことか」
「言ったでしょ。シュウが死ぬところを、私ははっきりと見ていないって」
燃えさかる炎の中、崩れ落ちる小屋を見た。だが、完全に崩れ落ちるところも、シュウの死体も確認はしていない。その前にはその場から立ち去った。
「肉体が同じであれば、魂が違っても、日常生活に違和感は残らないってことは私自身が証明している。問題はあのシュウの中に何が入っているかだ」
「……お前は、自分の魂が錬成されたってことで納得したのか」
エドワードが眉を寄せる。は何でもない顔で首を傾げた。
「あの屋上で既に納得していたはずだけど」
「でも、……」
「同情とか、いらない心配は結構。私は納得してるし、どうやって私の魂が錬成されたか、そして定着されたかが不透明なくらい」
そこで、ふと気が付く。は顎に手を当てて考える。
「……あのシュウの姿をした何かに聞けば、全部解決するのか」
兄弟が顔を見合わせる。
「でも、お前……その……話しかけられるのか?」
「……」
一瞬が表情を曇らせた。
「退院したら。聞いてみる」
「……」
「大丈夫。向こうはシュウ・ライヤーを演じてる。私が近づいても問題はないよ」
心配そうな二人に、は笑顔を見せた。
翌日。はトイレに行きがてら病院内をガラガラと点滴を引きながら散歩をしていた。行先は決まっていた。病室のドアをノックすると返事が返って来る。
「やっほー。元気ー?」
ハボックがぎょっとして視線を向けてきた。
「! お前、出歩いて大丈夫なのか?」
「問題ないよ。もう元気だし。散歩がてら顔見に寄ったの」
ガラガラと点滴を引いて、ロイがいたベッドに腰かけた。ロイはまだ傷も完治していないのに、ハボックが退役すると言った日に退院してしまった。二日に一度はの顔を見に来ている。
「もう暇で仕方ないったら。だから病院は嫌いなんだ」
「つってもまだ一週間だろ?」
「暇なもんは暇なの」
足をぶらぶらとさせながらは不満そうに言う。ハボックが笑った。
「……こんなに長く入院してるの、あの時以来だな」
あの時。が死ぬほどの怪我をし、生き返ったあの日。イーストシティの病院にしばし入院していたことがある。
「……そうか」
ハボックもその時のことを思い出して、表情を暗くする。
「ていうか、お前結構怪我してる割に、あんまり入院してないんだな。この間は脱走してたけど」
「ははは。怪我したって私の治癒力を持ってすれば、すぐに治るのだよ」
「どうだか。この間の怪我だって、ようやく治ったくらいじゃねーか」
「そんなことないよ。……いや……うーん……今回のはそうかな」
「ほらみろ」
軽い怪我ならすぐに治る。そういう体質だった。だが、今回はあまりにも怪我の程度が大きかったために、なかなか治らなかった。それは自然なことだろう。
「あー、暇。なんか面白い話ない?」
はぁとため息をついてが問いかける。
「お前と同じく病院暮らしの俺が、そんな話持ってると思ってんのか」
ハボックが呆れたように言う。
「ああ。面白いかどうかは置いといて。最近、大将達が何か街で派手なことやってるって。聞いたか?」
「派手なこと?」
が首を傾げる。
「人助けっつーの? 錬金術で物直して回ったりして、大人気らしいぞ」
「何それ。キャラ違くね? ていうか本人達から聞いてないんだけど」
先日来た時にそんなことは言っていなかった。もしかしたら、「街に変わりないか」と問いかけた時の妙な態度がそれだったのか。
「かなり街で噂になってるみたいだけど、お前んとこの部下から話聞いてないのか?」
「あいつら、私に無理させないようにしてんのかしらないけど、外の話聞いてもまったくしないんだよ。ったく」
街はどうか、司令部はどうか、とそう問いかけてもリッドもレインも問題ないとしか答えず、新しい情報はに入って来ない。
「あれ。じゃあ、俺も喋らない方がよかったか……」
「何のために私がここに来たと思ってんの」
「ゲッ! その為かよ!」
「はっはっは」
思いっきり顔を顰めるハボックに、は軽い調子で笑う。
「にしても……スカーの目撃情報もあるってのに、そんなに目立つことして何してるんだ一体? まるで見つけてくれと言っているようなもんじゃ……」
そして、はすっと笑いを収めて真剣な表情に変える。
「……いや……見つけて欲しいのか」
「見つけて欲しい? スカーにか?」
「……」
スカーに見つけてほしい理由はなんだ? 再戦したいわけではなかろう。自分達を餌にしてまで欲するものはなんだ。
わからない。彼らは何をしようとしている?
「よし。決めた。退院する」
「はあ!?」
ベッドから飛び降りるように軽快に立ち上がったに、ハボックがぎょっとして声をあげる。
「ジャン少尉、情報サンキュ! 私は一足先に退院しまっす!」
しゅっと手をあげて、は笑顔で言った。
「ちょ、お前まだ絶対安静なんじゃ……!」
ハボックが止めようと手を伸ばすが、下半身が動かない彼の手はを止めるに至らない。
その時、突然ドアがガラッと開いた。レインだった。
「あ! さん! やっぱりここにいたんですね! トイレから戻って来ないから何処に行ったのかと……!」
がナイスタイミングとパチンと指を鳴らした。
「レインちょうどいいところに。退院するから、受付行って手続きしてきて」
「は? えええ!? 今なんて!?」
「同じ事二度言わせるの? 退院するから手続きして来い」
「だ、だめですよ! さんはまだ絶対安静でっ」
「命令。行って来い」
レインはどうすればいいのかわからずおろおろとしている。そんなレインを脇に退けて、はハボックに手を振った。
「じゃあ、またお見舞い来るね!」
「おい、ばか! ちょっと待てって!」
そしてドアを閉めた。
翌日。バンッ、との執務室のドアがノックも無しに勢いよく開いた。リッドがちらりとだけ目を向け、人物を確認してすぐに目を逸らした。カツカツと靴音を響かせてのデスクに歩み寄って来たのはロイだった。
「上官の部屋にノック無しとはどういう了見だい、マスタング大佐」
「何をしている」
「仕事ですが何か」
バンとの机をロイが叩いた。
「君は! まだ絶対安静のはずだろう! 何を勝手に退院してるんだ!」
「はあ? 勝手に退院して仕事してるあんたがそんなこと言えんの?」
馬鹿なことを言うなという表情では隣を見上げる。お互い睨み合うこと数秒。
「お互い様じゃないすか」
「リッド煩い」
が勝手に退院したことに腹を立てているリッドが不機嫌そうに言った。