43.昔と今と










 は、ここ最近で一番機嫌が悪かった。
 むすっとした顔で、は病院のベッドに寝ていた。左の腕には点滴が打たれている。

「あの程度で救護車とか、ホント有り得ない。大げさすぎんだよ、全く」
「血吐いて、気失ってぶっ倒れて。それの何処が大げさだってんだよ馬鹿」

 エドワードが、の脇で同じく不機嫌そうな顔で仁王立ちしている。
 エドワードの隣には、椅子に座ってエドワードと全く同じ表情のリッド。逆隣には、慌て駆け付けたアルフォンスとウィンリィが心配そうに立っていた。
 が血を吐いて倒れた事で、食堂は一時パニック状態になった。あっという間に救護車が呼ばれ、は病院へと搬送されたのだ。

「異常な血圧低下に不整脈。どんだけ心臓に負担かけてんだよ。医者も何で早く来なかったんだって怒ってたじゃねぇか」
「だって、病院嫌いだもん」
「嫌いだもん、じゃねぇだろ! ちょっとは自分の体の事考えろ!」
「兄さんの言う通りだよ、……ああもう、やっぱりあの時無理やり病院連れて行けば良かった」

 病院だというのにも関わらず怒鳴るエドワードの隣で、アルフォンスも額を抑えて項垂れる。
 当の本人はといえば、相変わらずむすっとしたままそっぽを向いていた。
 検査をした医者は、の検査結果を見て非常に驚いていた。不整脈にも種類があるが、症状によっては突然死の可能性もあるのだ。吐血はやはり腹部の古傷によるものだった。胃の内側に溜まった血が吐き出されたものだ。
 それだけの酷い病状だというのに、は大丈夫だと言って日常生活を送っていた。自己管理云々よりも、自分の体調に無頓着すぎる嫌いがある。

「ったく……大丈夫だっつーのに」
「オレはもうお前の大丈夫は信じない事にした」

 倒れた手前言い返せず、苦々しげにエドワードを見れば、文句あるのかと言わんばかりの目で睨まれた。
 ハァ、と息を吐き出し再び目を背ける。

「いつからっすか」
「は?」

 低い声でリッドが唐突に問うてきた。
 何の話だとは目を向ける。

「いつから体調悪かったのかって聞いてるんですよ」
「……」
「将軍」

 怒りを抑えているような、そんなリッドの声。今にもブチ切れて殴りかかるのではないかと、アルフォンスとウィンリィは不安そうに顔を見合わせた。見た目の柄の悪さも相まって、リッドは軍服を着ている不良にしか見えない。
 さすがのも、リッドがここまで怒っているのはまずいと思ったのか。目を逸らせながら小さく呟いた。

「……あの大怪我した辺りじゃない?」
「はぁ!? お前、何ヵ月前の話だよそれ!」

 ぎょっとして先に叫んだのはエドワードだった。
 が大怪我したのは、まだ自分達がダブリスに居た時だ。そんなに前から体調不良を我慢していたというのか?
 リッドが苛立たしげに息を吐いた。

「将軍……マジで一発殴っていいですか。ていうか殴らせろこのクソガキ」
「いやいやいや! あの、気持ちはわかりますけど、ちょっと待ってくださいグラクシー少尉!」

 ゆらりと立ち上がったリッドの肩を、アルフォンスが慌てて押さえつけた。リッドの目は据わっていた。
 仮にもは病人だ。医者にも絶対安静を言い渡されている。
 むしろ一緒になって殴りたいくらいなのでその気持ちはよくわかるのだが、さすがに今はまずすぎる。

「そんなに俺らが頼りねぇかよ」

 意外な言葉に、逸らしていた目を戻して、高い位置にあるリッドの目を見る。
 腹が立っているというよりも、その目はどこか悔しそうで。

「……ごめん」

 静かに息を吐いて、は素直に謝罪した。
 頼っていなかったわけではない。大丈夫だと思っていた。ただそれだけだ。
 そう言うは本当にそう思っていたようで、周囲の四人はただため息をついて項垂れるしか無かった。
 怒る気も失せたのか、リッドもまた椅子へと腰を落ち着ける。

「それで、さん。今は体調どうなんですか?」

 心配そうにウィンリィが問う。

「大丈夫大丈夫。今は元気」
「ホントかよ……」
「大丈夫だってば」
って大丈夫以外の言葉を言う事あるの?」
「……」
「鎧に一本」
「アルフォンスです」

 表情を引きつらせてアルフォンスを睨む。その脇ではエドワード達がアルフォンスに向かって拍手をしている。コノヤロウ、と呟きながらは上体を起こした。

「ということで。大丈夫だから退院ということに……」
「なるわけねぇだろボケ」

 エドワードの右手がズビシッとの額に決まった。
 あいた! と叫びながらはそのままベッドへと倒れこむ。

「エド! それ右手!」
「ハッ! しまった! いつもの癖で!」
「いつもって……私、エドの中でどういう扱いになってるわけ……」

 機械鎧の打撃を受け、は額を押さえたままベッドで悶えていた。


「多分寝てると思いますよー?」
「その時は、顔だけ見て帰るさ」

 そんな声が聞こえて、は目を開けた。
 白い天井が見え、視界の端には点滴。そういえば入院していたんだったな、とぼんやり思う。
 病室には明かりがついていた。外はもう暗いのだろう。
 コンコンとノックの音が聞こえ、返事をする。掠れた声だったのは寝起きのせいだ。

「やあ。起きてたのか」
「ロイ……と、中尉も」

 開かれたドアから顔を覗かせたのはロイ。その後ろからホークアイも入ってくる。
 はベッドに横になったままヒラヒラと右手を振った。
 ベッド脇にある椅子にロイは腰を下ろし、その横にホークアイが立つ。

「話は聞いたぞ」
「あー……もう散々説教受けたから、もういいよ。悪かったって」

 語気を強めるロイに、はうっと表情を歪めて目を逸らせる。
 エドワードやアルフォンス、そしてリッドからの説教を受け、ウィンリィに心配され、レインに泣かれた。もうそろそろ勘弁して欲しいものだ。
 予想通りのの反応に、ロイはホークアイと顔を見合わせて苦笑した。ロイはもう一度渋い顔をしているに目を戻すと、その顔を真剣なものへと変える。

「シュウの事も聞いた」

 ピクリとの肩が揺れた。

「会ったのか?」
「……会ったよ」

 ロイと目を合わせないまま、は答える。
 会った……というよりも、向こうから会いに来たようだった。

「でもシュウじゃないよ……多分だけど」
「多分?」
「似すぎてるんだよ。雰囲気も、仕草も」

 外見は丸っきりシュウだった。それだけならまだしも、雰囲気や仕草まで同じ。果ては、昔と一緒に居た時の記憶まで持っている。
 もし彼が四年前に死んではおらず、ただ行方不明になっていただけだとしたら、あれはシュウだと断言出来るだろう。
 死亡理由を答えられない為、軍内では四年前から行方不明という事になっている。だから、他の人々は皆シュウが帰って来たと言って疑いもしない。
 でも、シュウは確かに死んだのだ。

「見舞いには?」
「寝てたからわかんないけど、多分来てないと思う」
「じゃあ、偽者だな」

 ロイは息を吐き、きっぱりと言い切った。
 は不審げにロイへと目を向ける。不思議そうなに、ロイは笑って見せた。

「あいつは、が倒れたとなったら真っ先に駆けつけて、馬鹿だの何だのと小言を言うやつだろう?」

―― ばーか。後先考えずに無茶ばっかりしてんじゃねぇっつーの

 何だかんだでいつもすぐ駆けつけて、人の事を馬鹿にしていく。シュウとは、そういう人物だった。

「……そうだね」

 は少しだけ、可笑しそうに笑った。
 でも……とは思う。
 その記憶はもう五年程前のものだ。
 四年前の事件の前後で、一番大きく変わった事。それはシュウがいるかいないか、だ。
 そして、その時に自分の中身が変わったのだとしたら。
 シュウと一緒に笑っている自分の記憶。それは全て“前の自分”のもので、“今の自分”のものではない。

「ねえ、ロイ」
「ん?」

 はロイの方から目を背けながら、出来るだけ声の調子を変えないように話しかけた。

「私さ……四年前の事件の前と後で、何か変わった?」

 顔を見なくても、ロイが驚いたような雰囲気が伝わってきた。

「何だ急に」

 怪訝そうに眉を寄せ、ロイは目を合わせようとしないの横顔を見る。
 の目は天井に向いていたが、その目には何も映っていないように思えた。

「本当のはあの事件で死んで……今の私は別の人間だって……そう言ったらどうする?」

 の口調に冗談を言っている様子は無い。
 ロイは一瞬ホークアイと目配せし、真剣な表情でに目を戻した。

「……何かあったのか?」
「何も」

 抑揚の無い声で、たった一言だけ返す。
 だが、突然こんな話をし出して「何も無かった」というのは可笑しな話だ。
 もそう思ったらしく、大げさに息を吐いて続けた。

「ただ……“死んだ者が生き返る事は無い”……そんな簡単な真理を理解しただけだよ」

 理解していたつもりだった。
 それでも、“自分”という存在が例外であると何処か思っている節があった。
 自分は確かに生き返ったというのに、“死んだ者が生き返る事は無い”と言う事は、自身の存在を否定するのと同意。
 もしかすると、最初から考えないようにしていたのかもしれない。無意識のうちに、自分自身を護るように。
 一向に視線を合わせようとしないを見て、ロイはふぅと息を吐き出した。

「ふむ……中尉、どう思う?」

 脇に立つホークアイを見上げ、意見を求める。
 ホークアイは、相変わらず表情を変えずに述べた。

「そうですね……あの壊滅的な料理の腕前は昔も今も変わらない気がしますが」
「ああ。が何か作ると、何故か生ゴミにしかならないんだよな」
「失敬な!! しかも、そういう変化かよ!!」

 予想外の切り替えしに、は思わずバッと目を向けてツッコミを入れた。
 誰もそんな意見を求めてはいないというのに。

「寝起きが最悪なのも変わらんぞ。な、中尉」
「以前、ハボック少尉を豪快に蹴り飛ばしてましたね。あれは見事でした」
「だからっ……!」
「そうやって怒るところも、昔から何も変わっちゃいないよ」

 わなわなと拳を震わせたが、ロイの一言には目を見開いた。
 驚くに、ロイは優しく微笑んでみせる。途端、はぐっと眉を寄せ、泣きそうになるのを堪えて俯いた。

「だって……私は……」
「昔の“”があの時に死んだのだとしても、今、キミは“”じゃないか」
「……違う……私は、“”なんかじゃ……」

 消え入りそうな声で呟いて、は俯いたまま唇を噛んだ。

「キミがいくら否定しても」

 ロイがそっとの頭に手を載せる。

「私は、キミ以外の“”という子を知らないよ」

 笑う事さえ知らなかったが、初めて自分達を名前で呼んだ。
 が高熱を出して寝込んだ時、ヒューズと二人で慌てながら看病した。
 初めてが錬金術を使った時。シュウと二人で笑い合っていた時。
 事件の後に雨の中、一人帰って来た時も。
 国家資格を取った時も。
 変わる事はない。その時、目の前にいる少女は全て“”だ。

「……ロイ」

 が顔を上げて見たその顔は、幼い頃の記憶と変わらぬ、優しいロイの笑顔だった。
 昔の自分と今の自分が違うからといって、これから何か生活が変わるわけではないと思っていた。だから、ただ「そうなのか」と受け止めただけだった。それで良かった。
 でも、もし周囲から「昔と違う」と言われたらどうしようと思った。昔と今の私は違うんだと告げて、「やっぱり」と納得されたらどうしようと思った。
 もし、古くから付き合っているロイにそう思われたら、と。
 真実を知った事での自身の変化よりも周囲の変化。
 拒絶される、不安と恐怖。
 だが、ロイは昔と変わらぬ笑みで受け入れてくれた。
 変わらないよ、と。だよ、と。
 視界がぼやけそうになり、ぐっと目を瞑って俯いた。

「……昔から、泣こうとしないところも変わらないな」

 仕方無いなというように笑って、ロイは俯くの頭をただ優しく撫ぜた。