42.八番目
「シュウ……ライヤー……?」
唖然とした表情で、エドワードが声を漏らす。
の目の前に立っている人物は、以前の写真で見た姿と同じだった。
シュウ・ライヤー。
つい先程、屋上で話題にも上っていた人物だった。
そう。四年前に、死んだはずの。
「……なん……で」
の喉からは、掠れた声しか出なかった。
シュウはひょいと肩を竦める。
「……まぁ、驚くのも無理ないよな」
困ったように笑うその表情は、の見知ったその顔で。
鼓動が早い。
一体どういう事だ?
シュウは確かに四年前に死んだ。
では、何故こんなところに……――
「……ッ!」
ハッと息を飲み、は腰のホルスターから銃を抜いた。
そして、シュウの顔面にそれを突きつける。
「ちょっ、将軍!?」
慌てるリッドの声は無視した。
司令部内、しかも食堂という場で銃を取り出すなんて間違っている。そんな事はわかっていた。
僅かに目を瞠っているシュウを睨み、は嫌悪露わに口を開いた。
「……司令部に乗り込んでくるなんて、随分といい度胸してんじゃないの。エンヴィー」
の言葉に、エドワードもハッとして身構えた。
シュウが生きているはずが無い。だとすれば答えは簡単。
姿を変える事が出来る人造人間……エンヴィー以外に有り得ない。
「……驚かせた俺も悪いけど……つーか、エンヴィーって誰だよ」
シュウが眉を寄せて問う。
「白々しい。……二度も私の前でシュウに化けるなんて、いい根性してるじゃない」
いつもよりも声を低くするは、嫌悪と怒りを隠そうともしなかった。
きっかけ一つあれば、すぐに引き金を引いてしまいそうだった。
シュウは呆れたような表情で息を吐いた。
「誰と勘違いしてるのか知らねぇけど……俺は四年前までお前と一緒に居た……」
「煩い!」
シュウの言葉を、叫んで遮る。
「煩いっ……煩い煩いっ!! その声で喋るな!!」
シュウに警戒を向けていたエドワードは、驚いてへと目を向ける。
煩いと叫ぶの声は、まるで悲鳴だった。
「何なんだよ……またそうやって、私の動揺誘おうっての……? ふざけないでよ……」
突きつけている銃は揺るがない。
でも、声は震えていた。
以前、エドワードに変身していた時。エンヴィーは完璧に性格までは真似しきれていなかった。
それなのに。今日は一体何なんだ。
「なんで、そんなにシュウそっくりなんだよッ……!!」
口調も。ちょっとした仕草も、表情の変化も。
全部、の記憶の中のシュウと同じだった。
「なんでっ……」
「おい、……」
心配そうに声をかけながら、エドワードはの銃を持っていない左手を掴んだ。
真っ直ぐにシュウを睨みつけている。
だが、その横顔は泣いていた。涙こそ出ていないが、彼女は泣いていた。
「……まぁ……死んだと思ってた奴が四年経って突然現れたら、そうなるよな」
シュウは困ったように頭を掻く。
エンヴィーの変身のくせに、その仕草には演技の様子は無かった。
やめて。
そんな、シュウみたいな動きしないで。
期待してしまうではないか。
本当に、シュウが生きていたのかと……――
「ほい、将軍。出来ましたよ……っと、お取り込み中かい?」
カウンターの中からトレイを持ちながら、コック帽の男が不思議そうにを見ていた。
そして、シュウに目を留めるとその目を見開いた。
「おお!? もしかしてライヤー中尉かい!? いやー、行方不明だって聞いてたけど、生きてたのか!」
良かった良かったと笑顔で言う男の声が、場にそぐわなかった。
シュウは、どうもと首だけで会釈すると、男の持ったトレイに目を向けた。
チーズや生クリームで作ったソースがかけられているパスタが、あまり大きくは無い皿に盛られている。
そして、シュウは呆れたように息を吐く。
「カルボナーラ……相変わらず好きだな、お前」
「っ……!!」
ビクッとの肩が揺れる。
カルボナーラは確かにの好物で、昔から好んで食べていた。だが、そんなこと、エンヴィーが知ってるはずがない。
―― カルボナーラ食べたい!
―― またかよ……相変わらず好きだな、お前
銃を持った腕が、ゆっくりと下りる。
「……シュウ?」
絶望のような感情を滲ませ、が呟く。
「……だから、そうだって言ってるだろ」
小さく笑みを浮かべるシュウは、ため息混じりにそう言った。
銃口は、完全に床に向いていた。
シュウを見つめるの表情は、ただ愕然としていた。
有り得ない。
死んだはずのシュウが、何故生きている?
わからない。
わから、ない。
「あ。悪い。俺、行かなきゃならない所あるんだった」
思い出したように、シュウが切り出した。
「また後でな」
シュウはそう言い残すと、ちらりとエドワードに目を向けてから、背を向けて立ち去っていった。
食堂から出て行くその背を、はただ呆然と見つめていた。
「……」
掴んだままだった左腕を軽く引きながら、エドワードが声をかける。
は動かなかった。
「」
少し声を大きくして呼んで、ようやくはビクッと肩を揺らした。
「……エド」
ゆっくりとエドワードを見て名を呼ぶは、やけに弱弱しかった。無理も無い、とエドワードは内心思う。
ついさっき、シュウは確かに人体練成して、そして死んだと再確認したのだ。それが目の前に現れた。動揺しないはずがない。
「将軍。のびますよ?」
トレイの上のスパゲッティを指差しながら、リッドが言った。
シュウに関しての事は聞かなかった。彼は機転の利く男だ。聞かない方が良いのだろうと思ったに違いない。
はぼんやりとする頭でリッドに感謝する。
「……いらない。食べていいよ」
「えっ……いいんスか?」
「食欲、なくなった」
リッドと目も合わせずに、は右手に握られたままだった銃をゆっくりとホルスターに戻す。
そんなに、リッドは眉を寄せた。
「……とりあえず座ろうぜ」
今にも倒れてしまいそうなの手をゆっくりと引いて、エドワードは席を探した。
の叫び声を聞いてか、食堂にいるほとんどの人間がこちらへと目を向けてきていた。銃まで取り出していたのだから無理もない。
ひそひそと何かを話し合っているが、相手は将軍だ。目を付けられないように、すぐにまたいつもの談笑へと戻っていった。
何があったのかと尋ねてくる人物もいないというのは、この場合喜ぶべきことだった。
人の居ない隅の席にを座らせると、エドワードはもう一度カウンターへと戻って来た。
「すんません。水貰える?」
「ん」
カウンターの中を覗き込んで尋ねたのだが、水はすぐに目の前に置かれた。
驚いて隣を見上げれば、無表情のリッドが真っ直ぐにエドワードを見下ろしていた。
「……どうも」
「うちの将軍さ。あんまり俺ら頼ってくれないんだよな」
「え?」
唐突に言うリッドに、思わずエドワードは聞き返した。
「俺らがそんなに頼りないのか……そもそも誰にも頼りたくないんだとは思うんだけどよ」
ああ、と納得する。
は誰かに頼ろうとしない。全部一人で抱え込んで、全部一人で解決しようとする。
誰も巻き込まないように。誰も傷つけないように。
そうして、いつも一人で苦しんでいる。
「あの人に言っとけよ。『俺らはあんたに拾われてから、あんたの為に死ぬくらいの覚悟はあるんだよ』ってな」
はっきりと言い切るリッドに、エドワードは目を瞠る。
そして、拾われて、というので理解した。
リッドもレインも部下にするには面倒な性格をしていると思ったが、はそれでも追い出さずに近くに置いているのだと。彼らはそれに感謝している。だから、何処までもに尽くす気でいるらしい。
だが、知ってか知らずか、はリッド達にも何も言わない。
彼らはシュウの事なんて勿論知らないのだろう。恐らくは、以前エンヴィー達と戦った時の事も。
「聞かれたくねーなら聞かないけどよ。いざという時は、呼んで欲しいもんだね」
そこまで言うと、リッドは大げさなため息をついて、冷めたカルボナーラとコーヒーの載ったトレイを持って歩き出した。
「……ありがとう」
「何でお前に礼を言われなきゃならねぇんだ」
阿呆か、と言わんばかりの目を向けて、リッドはが居る方とは別の方向へと歩いていった。
その背を見送ってから、エドワードは水の入ったコップを持っての所へと戻った。
はテーブルに顔を伏せていた。
「……大丈夫か?」
近くにコップを置き、エドワードは隣に座る。
「……死んだと、思ってた」
ぽつりと、が呟く。
エドワードは眉を寄せる。
「……ああ」
「でもね……よく考えてみると……私、あいつが死んだところ、ちゃんと見てないんだ」
は顔を上げないまま、くぐもった声で言う。
それは初耳だった。はずっと、シュウは小屋の中で死んだとそう言っていた。
だが、死んだところは見ていない?
「どういう……」
「小屋に火が回って……私、そこで小屋を出た。私が出てきた時は、シュウ、まだ生きてたんだ」
「でも、下半身持ってかれて、かなりの出血だったんだろ? 動けないし、火の回った小屋の中じゃ……」
「うん……そうなんだけどさ」
ただ、死んだ姿は見てないんだ。と。
はゆっくりと体を起こすと、椅子の背もたれに背を預ける。
もしかしたら、あれは本当にシュウなのかもしれない。二人の胸の内にあるのは、それだった。
「生きてたのか? 本当に……」
眉を寄せ、エドワードが呟く。
シュウは下半身を持っていかれたはずだ。だが、さっき彼はしっかりと自身の足で歩いていたではないか。機械鎧か? そうだとしても、火の回った小屋から、動く事の出来ないシュウがどうやって助かったというのだ。
「わかんないけど、あれはエンヴィーではないよ。……エンヴィーじゃない」
「エンヴィーじゃないとしたら、シュウ本人か……それとも、シュウの姿をした別の何か、か」
うーん、と言ってエドワードはテーブルに頬杖をつく。
一度は解決しかけた、シュウの死と人体練成の謎。それにまた新たな謎が加わってしまった。
「生きてたとしたら……何で四年も連絡無かったんだよ……」
そう呟くは、自身の腹を押さえていた。
「。腹、痛むのか?」
「あ、いや、大丈夫……ちょっとだけだから」
最近たまにあるんだ、とは小さく笑った。
四年前、合成獣に刺された……を死に至らしめた腹の傷。
そんな死ぬ程の傷を塞いだのもシュウなのだろう。
「……リッドに変なところ見られたな」
他の兵達が談笑している方に目を向けながら、が呟く。
「グラクシー少尉、だっけ? もっと頼れっつってたぞ。『あんたの為に死ぬくらいの覚悟はある』って」
「……馬鹿だな。気にしなくていいのに」
そう言うに気付かれぬよう、エドワードは小さく息を吐いた。
やっぱり彼らに頼る気はないのか、と。
はコップを手に取り、水を口に含んだ。
「っ……ゲホッ」
「おい、大丈夫かよ」
途端に咳き込みだすに、エドワードは呆れたように目を向ける。
たかが水を飲んだくらいで咳き込むとは。
「大丈っ……ゲホッ! ゴホッ!」
おいおい、と思って背を摩ってやろうと手を伸ばす。
そこで、気付いた。
口元を手で押さえて咳き込むのその手から、血が流れていることに。
「おい! !? !!」
焦るエドワードの声が、遠くに聞こえた。
司令部の廊下を、シュウは無表情で歩いていた。
すれ違う軍人達は、皆好奇の目を向けてきた。
古くから居る者は驚いた表情で。新しく入隊した者は不審そうな表情で。そんな視線など気にせずに、シュウはただ歩いていた。
人気の無い廊下を歩いていると、前方から二人の人物が歩いて来た。
「四年ぶりの復帰はどうだね。ライヤー中尉」
シュウは足を止めると、相変わらずの無表情のまま敬礼を返した。
歩いて来たのは、大総統と一人の軍人だった。二人とも顔には笑顔を貼り付けている。
「四年ぶりですので。好奇の目ばかり集めております」
「はっはっは。まぁ、それはそうだろうな。何せ四年だ」
淡々とした口調のシュウを気にも留めず、大総統は愉快そうに笑った。
大総統の横に居た金髪の軍人は、シュウに近づくとまじまじとその顔を見つめた。
その間もシュウは無表情のままだった。
「それにしても……四年ぶり、か」
そう言うと、男は嫌そうに息を吐き出した。
「相変わらず、むかつく顔してる」
「そう言うなエンヴィー。同じ顔なのは当たり前だろう? 中身以外、奴自身の身体だ」
大総統が諌めるが、男――エンヴィーは不機嫌そうな表情を隠しもしない。
「で。どうだった。・との感動の再会は」
周囲に人が居ないのを再確認してから、大総統はそう切り出した。
「面白いくらい反応してくれたぜ。……お前に間違えられて、銃口向けられたけどな」
突然口調が崩れたシュウは、こちらも嫌そうにエンヴィーへと目を向けた。チッとエンヴィーは舌打ちする。
「冗談。もう二度とあんな奴に化けたくなんかないね。吐き気がする」
エンヴィーは忌々しげに吐き捨てた。
互いが互いを嫌っているらしい。二人は目を合わせようとはしなかった。
そんな二人を見て、大総統は息を吐いた。
「アレの方はどうだった。お前の目から見て」
「ああ。ありゃもう駄目だな。使い物にならねぇよ。よくアレで生きてるな、あいつ」
「ふむ。最近体調が悪そうな様子ではあったが、やはり替え時か」
「フン。不良品じゃ、所詮その程度さ。四年。出来損ないにしては、持った方だと思うよ」
壁に寄りかかって、エンヴィーは面白くなさそうに言い捨てる。
大総統は頷いた。
「どうにかしてあの娘を父上のところまで連れて行く、か」
「何だよラース。考えるまでもないだろ。その為にコイツが居るんだから」
じろり、とシュウに目を向ける。
「姫さんの警戒を揺るがせるにはうってつけだろ? その顔」
ニヤリと笑みを浮かべ、エンヴィーはシュウの顔を一瞥する。
“シュウ・ライヤー”という、彼女の親友の姿をした男ならば。
「とりあえずは、まだ派手に動くな。四年ぶりに復帰した軍人は目立つからな」
「ああ、わかってる」
大総統――ラースの言葉に、シュウは素直に頷く。
ラースはエンヴィーに声をかけ、こちらに背を向け立ち去っていく。
その背を、シュウは黙って見送った。
「お前の活躍、期待してるぞ。八番目の我らが兄弟よ」
「お父様の為にしっかり働けよ――――ジュデッカ」
二人の姿が見えなくなって、シュウはようやく動き出した。
彼らとは逆方向へ歩くべく向きを変える。ふと、窓に映った自身の姿に目を留めた。
黒い髪に軍服。“シュウ・ライヤー”と呼ばれる人物の姿が、そこに映っていた。
この身体の、本当の持ち主の姿が。
「……死ねば、逃げられるとでも思ったのか?」
無表情の顔が、口を開く。
「馬鹿だな。死んだところで……テメェは逃げられやしねぇんだよ」
そうしてジュデッカは、窓に映る“シュウ”に向かって嘲笑を浮かべた。