41.人体錬成







 リゼンブールからやっとの事で帰ってきたエドワードは、翌日、中央司令部を訪れていた。

少将はいますか? 面会したいんですけど」
「面会のアポイントはとられていますか?」
「え、いや……とってないですけど」
「将軍は多忙のため、司令部にはいらっしゃらないかもしれませんが……」

 多忙。そうか多忙か。そういえばあいつ将軍だったんだよな。と、「少将はいますか」としっかり階級名までつけて名を呼んだ後だというのに、エドワードはそんな事をぼんやりと思う。
 そして、あの自分とはさして年齢が変わらないが、デスクに向かって書類を黙々と片付ける姿を思い浮かべた。似合わないなと、ふと笑う。
 少々お待ちください、と言って受付嬢は何処かへ電話をかけようと受話器を手に取ろうとしたのだが。

さんなら部屋にいますよ?」

 待っていたエドワードの横から、ひょこっと見知らぬ人物が現れた。
 エドワードよりも背は高いが、決して長身というわけではない。よりも低いだろう。
 肩程までの僅かに緑がかったような黒髪の女性、否、男性。レインだった。

「あら、ハインド准尉」
さんのお知り合いなら、ボクが連れて行きますよー」

 お知り合いですよね? と笑顔で尋ねられ、ええまぁと曖昧な返事を返す。
 知り合いというか、一応友達という部類に入るのだろうか。友達とも何か違う気がするのだが、それ以外上手い言葉は見つからない。

「そんなわけで、ボクが案内しますね」
「じゃあ、お願いします准尉」
「任せてー」

 受付嬢とレインはにこにことそんなやりとりをしている。バックにピンクの花でも舞うかのようなほのぼのさだ。
 こっちですよー、と言って先導するレインの後にエドワードはついて行った。

「ボク、レイン・ハインドです。階級は准尉で、さんの部下やってるんですーよろしくお願いしますね」

 廊下を歩きながら、レインが笑顔で挨拶をする。

「エドワード・エルリック」

 そういえばには直属の部下が中央にいると初めて会った頃に言っていた気がする、と思い出しながらエドワードも自身の名を名乗った。

「あー! 知ってますよー! エルリック兄弟ですよね? 鋼の錬金術師の!」
「そうだけど」
「わー。噂通り、小さいんですねー」
「誰が顕微鏡で見なきゃわかんねぇ程のどチビだゴルァァアア!!」
「いやだなぁ、怒らなくてもいいじゃないですかー。小さい方が可愛いですよ!」
「可愛くあろうだなんて思った事ねぇっつーの!!」

 般若の如き表情で怒っているにも関わらず、レインはあははははとにこやかな笑顔を浮かべているだけだ。
 平然とこっちですーと言いながら廊下の角を右へと曲がっていくレインにイライラしながらも、この人物がの部下であるという事にどことなく納得してしまうエドワードであった。
 しばらく二人で歩いた後、レインはある一室の前で立ち止まり、ノックも無しにドアを開けた。

さーん。お客さんですよー」

 一応執務室だろ、ノック無しでいいのか。そう思いつつ、やはりの部下だしという事で納得してしまうのは間違っているのだろうか。という存在自体が既に常識を逸脱している為、納得しておく事にする。

「はぁー? 客ー? ……って、エドじゃん。帰って来たの」
「おう」

 めんどくさそうな返答があったかと思えば、首を伸ばしてこちらを見てきたと目が合った。こちらも適当に片手を上げて挨拶をしておく。
 どうぞとレインに促されるままに室内へと足を踏み入れる。
 軽く部屋を見回しながら、将軍職についている人物の執務室にしては狭いように思った。三つのデスクと書棚、そして来客用だと思われるテーブルとソファが脇にある。
 そのソファの上で長い銀髪の男がぐーすか寝ているのを発見し、思わずエドワードはフリーズした。エドワードの視線を追ったは、ため息混じりに「部下」と短い説明を入れた。部下としてその態度はどうなのかと思うが、やはりの部下だしという事で納得しておく。

「で? どした? 何か用?」

 自分の中の常識と格闘しているかのように眉間に皺を寄せるエドワードに、は何でもないように声をかける。
 にとってはリッドが寝ている事も、レインが可愛い顔して男である事も、どちらも今更で驚く事など無いのだ。

「あー、うん。ちょっと話が」

 言いながら、エドワードはチラリとレインに目を向ける。
 顔まで動かす事は無く、レインも自分のデスクで鼻歌混じりに書類を片付け始めた為、彼はエドワードの視線には気付かなかったようだ。
 そんな小さな動きで、は話の内容を大方理解する。

「でも、今日外出れないんだよなー……」

 口を尖らせ、不満そうにしながらデスクの上の書類をポンポンと叩く。
 毎日毎日処理する端から溜まる書類。ただサインするだけなら良いというのに、次の軍議の事前資料やら何やら、真面目に目を通さなければならないものも少なくない。

「将軍様はお忙しいことで」
「お陰様で。屋上でも?」
「ああ、いいよ」

 はハンガーにかかっている自分のコートを手にとると、レインに一声かけて、エドワードを連れて廊下へと出て行った。

 人の来る事など滅多にない、司令部の屋上。
 太陽が出ていても風は少し冷たくて、は手にしたままだったコートを羽織る。
 自分達の他に人がいない事を確認して、それでもなるべく声は大きくしないようにしつつ、エドワードは話を切り出した。

「アルに聞いた。お前が全部知ってたって事」

 ホテルに帰って、派手に壊れたアルフォンスの鎧を見て驚いたのは昨夜。
 それから事のいきさつを聞き、そしての話を聞いた。
 少し前に居るの背からは、それに対する動揺などは見られず、彼女はただ小さく「そっか」と言葉を返した。

「ごめん」
「……へ?」

 今まさに謝罪しようかとしたところで、背後からかかった言葉は自分の言おうとしていたそれ。は思わず素っ頓狂な声をあげて振り返る。丸くした目と半開きの口は随分と間抜け面だ。

「オレ達みんなの事想って、全部一人で背負おうとしてたんだよな」
「え、いや……怒らないの?」
「怒るもんかよ。ま、呆れはするけどな」

 気にせず続けたエドワードに、は肩透かしをくらったように問いかける。が、返ってきたのは苦笑だった。

「オレ、ヒューズ中……准将の事もあったからさ。お前含めて、軍人なんて信じられないって思った。でも、一番辛いのはだったのに……オレ達全然気付かなくて」

 エドワードからの謝罪なんて、まるで予想外だ。
 面と向かって責めてくるような子では無いと思っていたが、それでも問い詰められるのは間違いないと確信していた。それなのに、何故彼はこうも申し訳無さそうにしているのか。

「いや……でも、私が黙ってたから今回の事もあったわけでさ」

 最初に知ったのはもう随分と前。ヒューズが殺された後だった。
 あの時、エドワードやロイ達にその話をしていれば、今回の事は防げただろうか。

「……甘かったんだよ。一人でなんとか出来るって、自惚れてたんだ」

 自惚れていたのだろうか。恐らくそうなのだろうと思う。
 皆を危険な目に合わせたくないから。だから自分一人でどうにかしようとしていた。どうにか出来ると、どこかでそう思っていたに違いない。どれだけ自分の力を過信していたのか。
 だが、それは全て過去の話で。今となっては「話しておけばよかった」といくら後悔しても意味は無い。
 ハボックの怪我も退役も、なくなりはしないのだから。

「私の方こそ、ごめん」

 エドワードと向かい合い、目を伏せては謝罪した。

「……と。まぁ、お互いに謝りあったところで、だ」
「は?」

 今までの雰囲気をかなぐり捨てたように、エドワードは明るい声でそう切り出した。
 伏せていた目を再びエドワードに向け、はやはり意味がわからないとばかりに声をあげる。

。これからは、お互い秘密は無しにしようぜ。黙っていられる状況でもねぇだろ?」

 エドワードは笑ってそう言った。
 エドワード達も、ロイ達も、もお互いがお互いに秘密で事を進めていた。
 それでは効率も悪い。敵は同じなのだから、協力すべきだ。
 は唖然としながらエドワードを見返した後、思わず苦笑する。
 全く。これでは、どちらが年上なのかわからないではないか。

「わかったよ。確かに、お互い情報交換しないとやっていけないもんね」
「そういう事だ」

 そう言って、二人は笑う。

「で、早速だけどオレの話」

 未だドア付近に立ったままだというのに気付き、再び歩き出しながらエドワードが切り出した。

「うん。リゼンブールで何を仕入れてきたの?」
「……お前ってどうしてこう、勘がいいというかなんというか……」

 驚いた様子もなく切り返してきたに、エドワードは眉を寄せた。
 まさかエドワードの用件が最初の話だけとは思ってはいなかった。あれくらいの謝罪ならば、執務室でしても差し支えが無いと言ってもいいだろう。
わざわざエドワードが訪ねてくる理由。長く帰郷していたうちに、何か情報を仕入れてきたのだとは確信していた。

「……あのさ、。オレ、お前の事傷つける質問するかもしれない」
「は?」
「嫌だったら言わなくてもいい。あー……一切の縁切ってもいいし」

 目を逸らせ、言い難そうに口篭るエドワードに、はため息をついた。
 今、自分で「情報交換をしよう」と言ったばかりだというのに。

「前置きはいらない。本題を」

 相変わらず優しいなぁ、と思いつつは先を促した。
 そんなに一瞬沈黙し、エドワードは意を決したように話し出した。

「オレ、リゼンブールで人体練成した母さんらしき者の遺体を掘り返してきた」
「!!」

 は思わず目を瞠った。
 人体練成して出来た母親……人の形はしておらず、すぐに死んだと聞いている。
 エドワードにとって、その存在はトラウマにすらなっているはずなのに、彼はそれを掘り起こしてきたと言う。
 何か言いたげに口を開きつつも、そこから言葉を発すことは無く、は黙って話を聞いた。

「あれは母さんじゃなかった。母さんと一致するところが何一つ無かったんだ」
「……」

 エドワードの母親の髪は栗色。だが、掘り起こした遺体から発見された毛髪は黒だった。大腿骨から分析した生前の年齢も母親とは違ったのだという。

「師匠も昔お子さんを練成した事があるらしいんだけど」
「子供とは一致しなかった」
「ああ」

 なるほどね、とは呟く。
 イズミの人体練成の話は本人から聞いたことは無かったが、彼女の練成は見た事があった。練成陣無しの練成。ああ、禁忌を犯したのか、とあの時は思ったものだ。だからそれについては驚かない。

「それによって、アルが元に戻れるという確証を得た」

 死者は戻ってくることは無い。
 人体練成で生み出されたのは、全く別の人物だった。

「アルは生きてる。扉の向こうにアルが居るからこそ、アルの魂をこっちに引き戻す事が出来たんだ」

 今まで後悔の塊でしかなかった人体練成の跡。それが、アルフォンスが元に戻るという希望に繋がった。
 なるほど。リゼンブールでは随分と大きな収穫があったようだ、とは思う。

「……そして、それがわかったところで、疑問が浮かんだ」

 エドワードが真剣な表情で言う。
 その目を真っ直ぐに見つめ返し、は口を開いた。

「何故、私は生き返ったのか……」

 死者は生き返らないという証明がなされた。
 では、は?
 彼女は四年前に一度死に、シュウの命と引き換えに行われた人体練成によって生き返った。
 それはおかしい。死者を生き返らす事など不可能なのだから。

「……混ざるかもしれないけど。私の話もしようか」
「え?」

 は深く息を吐いて、話を変えた。

「エドがいない間、私、休暇とってドクター・マルコーに会ってきた」
「ああ……少佐に聞いたよ。でも、何でまた」
「シュウの事を聞きに行って来た。今回の一連の件と何らかの関係があると思ってね」
「それで?」

 真っ直ぐに見つめてくるエドワードに、は肩を竦めてみせた。

「それがビックリ。あいつ、賢者の石の研究員だった」
「なっ!!」

 呆れにも似たものを滲ませて、ため息混じりには言った。思わずエドワードは目を見開く。
 驚くのも無理は無い。マルコーが石の研究をしていたのはイシュヴァール殲滅戦の前。彼は戦乱中に逃げたのだから。だが、マルコーは研究員だった頃のシュウを知っている。
 イシュヴァールで出会ったと初めて会った時、シュウは十四歳。研究はその前にやっていたという事になる。あの、悪魔の研究を。

「……でも。なんで、今その話……」

 そこまで言いかけて、ハッと息を飲む。

「……おい……まさか……」
「その、まさか。だと思う」

 確信は無いけどね、とはエドワードから目を逸らせて息を吐く。
 賢者の石。
 石はあらゆる法則を無視した練成が出来る。
 それによって、死者をも生き返らせる事が出来るというのか?

「シュウは扉を開けた通行料に足を持っていかれた……でも、どうやって扉の向こうに居ないの魂を連れてこれた? 賢者の石は、存在しないものを持ってこれるのか……?」
「無から有を?」
「噂では、賢者の石の力で無から有を作るのは可能だ。だが……」
「完璧な賢者の石なんて存在しない……か」

 エドワードは腕を組み、顎に手を当てて考え込む。
 シュウの持っていた石がどんなものだったのかはわからない。だが、完全な賢者の石など存在しない。するはずがないのだ。
 両手をコートに突っ込んだまま空を見上げて考え込んでいたは、ふと思い出したようにエドワードの目を向けた。

「そういや、扉って?」
「ああ。人体練成した先にあるんだ。真理と一緒にな」

 人体練成した事の無いが知るはず無かった、とエドワードは説明する。

「真っ白な世界に扉が一つだけある。その扉の前に、“真理”がいる。扉の中に引きずり込まれて、真理を頭ん中に叩きつけられて……でもあと一歩届かない。その状態で『通行料』として、オレは足を持っていかれた」
「そして、アルは全身を……」
「ああ」

 真理の扉を通る通行料として身体を持っていかれる。なるほど、そういうことなのか、とは初めて人体錬成について知る。
 そしてアルフォンスの魂を扉の向こうから持ってくるために、エドワードは右腕も持っていかれた。

「……人体練成した先に居る、真理か……」

 は呟く。

「真理って残酷だね。過ちを犯した後に、真理を見せるなんて。最初から見せてくれていれば誰も過ちなんて犯さないのに」
「……それが真理だ」
「……」

 静かに呟いたエドワードは、その“過ち”を犯し、真理に出会った。
 きっと彼も何度も思ったのだろう。最初から真理に気付いていれば、と。

「練成陣なしで小屋を燃やしたっていうなら、そいつが人体練成したのは確かだな」

 仕切りなおすように、エドワードが話を元に戻した。
 うーん、とは腕を組む。

「でも、死者を生き返らせることは出来ない。練成された者は別の人間だった……」

 シュウは下半身を失っていた。つまり、真理を見た通行料として持っていかれたのである。彼は確実に人体練成は行っている。つまり、は確実に一度死んでいるのだ。
 死者は生き返らない。練成された者は別の人間だった。
 アルフォンスの魂は、扉の向こうにあったから。死んだわけではないから、魂を再びこちらに持ってくることが出来た。
 だが、一度死んだは、生き返った。
 何故だ?
 人間は、肉体・精神・魂の三つで出来ている。
 肉体は死んだの体そのものがあった。
 では、魂は何処から呼び戻した?

「……いや……違う」

 小さくは呟き、スッと目を細めた。
 考え方を変えてみればいい。
 確かに一度死に、人体練成は行われた。
 だが……魂は呼び戻されなかった。

「私はエウアバールで生まれた……母さんが死んでから、中央に引っ越してきた……」

 突然、が話し始めた。
 エドワードは眉を寄せる。それはの昔の話か?

?」
「ロイやマースに会って……父さんが死んで、軍に入って……シュウに会って……シュウが死んで……」

 まるで過去を辿るように、は言葉を紡ぐ。
 そこまで話すと、深く息を吐いた。

「……記憶、か」

 ハッとエドワードが息を飲む。

「おい……。お前何が言いたい」

 声を震わせ、低く問う。
 この少ない言葉だけで理解出来たのか、とはフッと笑みを浮かべる。

「可能性、無くはないよね」
「お前っ……自分が何言ってるかわかってんのか!? お前は自分自身の存在を否定してんだぞ!?」
「わかってる。でも、それも一つの可能性だよ」

 掴みかからんばかりの勢いで詰め寄ってくるエドワードを、はやんわりと宥めた。

「人の記憶は脳……肉体に残る」

 そう。それは一つの可能性。

「全く別の魂が入ったところで、記憶は変わらないでしょ?」

 死んだ人間は生き返らない。魂は何処にも無い。
 ならば、死んだ人間の肉体に、別の魂を入れればどうだろうか。
 シュウはの魂を呼び戻したのではなく、新しく別の魂を練成し、の肉体へと入れた。
 昔の記憶は肉体に残っている。その記憶を元に人格も形成されたとしたら? 死ぬ前の人格と同じになるのではないか?
 ただの可能性でしかない。真実を調べる術なんて無いのだから。

「身体は。中身は別物……か」
「……なんで、そんな平然としてるんだよ」
「なんかね。ようやく腑に落ちた感じなんだ。自分が自分じゃないっていうのが、妙にしっくり来るというか……」

 神妙な顔つきのエドワードを置いて、は無意識に足を動かした。
 静かに屋上を歩きながら、数日前の夢を思い出す。

―― あんた、誰?

 昔の自分が、酷く冷たい目で自分を見ていた。
 ようやく、あの目と、あの言葉の意味が理解出来た。
 あの頃の自分と、今の自分は別の人間なのだから。

「そっか。死者は生き返らない、か」
……」
「今、エドと話してる“私”は……本当に“”なのかな」
「……」
「なんちゃって」

 くるりとエドワードの方を振り向いたは、いつも通りの笑顔で。
 いつも通りの、明るい声で。

「お腹すかない? 奢ってあげるから、食堂行こ」

 無理をしているのか、していないのか。それすらも悟らせない。
 自分が自分じゃないかもしれないという可能性を見つめて尚、彼女はいつものだった。
 に話しに来るべきではなかったのかもしれない。エドワードはそう思った。
 ただ、真実をつきとめるべきだと、そう思ってのところにも話を聞きに来た。
 死んだ人間が生き返る事は無い。もしかしたら、は死んではおらず、長く気絶していただけで、シュウは別の理由があって死んだのではないか?その可能性も考えていた。
 だが、彼は確実に人体練成は行っていたようだった。そして、賢者の石を使ったかもしれないという可能性。
 そして……ではないかもしれないという可能性。

「エドー」

 ドアの近くで、が手招きをする。
 一体、今、彼女は何を思っているのだろう。
 の今の心情を理解する事は、エドワードには出来なかった。

「そういや、またスカー出たって。聞いた?」

 並んで司令部の廊下を歩いていると、が唐突に切り出した。
 屋上で話していたことなど、まるで気にしていない口調だった。

「ああ、昨日の夜にブロッシュ軍曹に。あいつ、しばらく音沙汰無かったけど生きてたんだな」
「イーストシティで派手にやりあった跡があったって話から随分経つし……重傷だったってのは間違い無さそうだね。あーあ、面倒だなぁ」

 スカーがセントラルに現れたと知らせがあったのは昨日の事だ。既に国家錬金術師三人が死亡。憲兵にも負傷者は多く出ている。

「そういえば、アルに聞いたけど。、お前血ぃ吐いたんだって?」
「……なんで言いふらすかな、あの鎧」

 ふと思い出したように尋ねてくるエドワードに、はゲッと顔を顰めた。

「病院行ったのか?」
「私、病院嫌いなんだよね」
「ガキかお前は」

 大佐の見舞いがてらに診てもらえば良かったのに、とぶつぶつ言うエドワードの小言をハイハイと適当にあしらいながら食堂へと向かう。
 丁度昼時なのもあってか、食堂は賑わっていた。
 セントラルの司令部での食堂は初めてなのか、エドワードはキョロキョロと周囲を見渡しながらの後へと続く。慣れた足取りでカウンターに近づくと、中のコック帽を被った男が「おっ」と声をあげた。

将軍! 今日も相変わらずのお美しさで!」
「やーだ、相変わらずお世辞上手いんだから」

 笑顔で世辞を言う男に、は満更でもなさそうな笑顔で返す。
 これをハボック少尉辺りが言えば「そんなの知ってる」等とふんぞり返って返すのになぁ、とエドワードは思う。人によって対応が違うというのは普通だが、はあからさま過ぎるような気もする。

「ん? こっちのは?」

 男がの影に居たエドワードに気付いて、声をあげた。

「鋼の錬金術師のエドワードだよ」
「どーも」
「おお! あの最年少国家錬金術師の!」

 噂は聞いてるよ、と男は笑顔で言う。随分人好きのする性格のようだ。エドワードも軽く会釈をしておく。

「私、カルボナーラとコーヒーで」
「はいよ。いつものね」
「エドは? 何でもいいよ」
「じゃあー……」

 メニュー表を覗き込み、何にしようかと考える。奢ってくれるのは将軍だ。値段は気にしなくても大丈夫に違いない、等と勝手な事を考えていると、

「ぐえっ」

 隣からカエルが潰れたような声が聞こえた。
 驚いて目を向ければ、声の主はだった。その頭の上に誰かが圧し掛かっていて、カウンターにへばりついていた。

「しょーぐーん。真昼間から司令部内でデートっすかー? 二股なんて、女の風上にもおけねーっすよー」

 ダルそうに間延びした声で言うのは、長いシルバーブロンドの男。の頭の上に体重を乗せて、眠そうに欠伸をしている。先程、の執務室で爆睡していた人物だというのは見てすぐわかった。
 男――リッドは、その体勢のままエドワードに目を向ける。

「あんたが、鋼の錬金術師?」
「はぁ……まぁ」
「どーも。お美しい将軍の部下、リッド・グラクシー少尉っす。以後ヨロシク」

 だらしなく敬礼しつつ、リッドが自己紹介する。
 相変わらず眠そうである。

「重い、っつう、のッ!! どけ!!」
「おっと」

 ついに、耐えきれなくなったのか、が怒鳴りながらガバッと起き上がる。弾き飛ばされる前に、リッドはひょいっと軽々避けた。

「年頃の女の子が『どけ』は無いでしょう『どけ』は。もっと可愛らしく言いましょうよ」
「やかましいわ」

 肩を竦めるリッドに、は睨んで返した。
 食えない人物だ、とエドワードは思う。レインにしろリッドにしろ、の部下にはこういう類しかいないらしい。

「つーか、あんたさっき二股とか言ってたけど……」

 何言ってんの、とばかりの目でリッドの長身を不審そうに見上げる。そもそも、エドワードも彼氏ではないのだが、仮にそう見えたとしても二股とはどういうことだ?

「何とぼけてんですか。司令部中で噂広まってきてますよ? 『の彼氏が帰ってきたー』って」
「は?」

 ますます意味がわからない。

「お前……彼氏いたの」
「いないっつーの。何寝ぼけた事言ってんの?」

 本気で有り得ないと言わんばかりの目を向けてくるエドワードに、ズビシと裏手でツッコミを入れ、再びリッドに目を戻す。
 あれ? とリッドも不思議そうに首を傾げた。

「ずっと行方不明だったとか聞きましたけど? 将軍と同い年くらいの男って」
「……そんなやつ居たっけ」

 顎に手を当てて考える。
 と同い年くらいの男で親しい人物など、軍には居ないはずだ。異例の年齢で入隊したと近い年齢の人物がいるのかどうかも怪しいのだが。一瞬ロイやハボックかとも思ったが、特別近い年齢なわけでもないし、第一行方不明でもない。
 さっぱり意味がわからないと思っていれば、リッドが「あ」と声をあげた。

「ほら。噂をすれば。あいつでしょ?」

 顔を上げれば、リッドが食堂の入口の方を指差していた。
 一体誰だ、ととエドワードが目を向ける。

そして―――

「……え?」

言葉を失った。

 青年というにはまだ若干幼い、軍服の少年がこちらに歩いてきていた。

 見間違えるはずのないその黒い髪。
 見間違えるはずのないその顔。

 少年はを見つけると、軽く口元に弧を描くだけの笑みを向けてきた。

「よぉ。久しぶり」

 聞き間違えるはずのないその声。

「……シュウ?」