36.重なる








 第三研究所までの道のりを、ただ彼らの無事だけを祈ってひた走る。
 真っ赤に燃える炎の中で最期に見たシュウの姿と、血塗れの電話ボックスが嫌でも脳裏に浮かんで消えた。
 大丈夫。大丈夫。
 自分に言い聞かせて、は走った。
 その時。

「ッ!!」

 突然、ガクンとの足が止まった。
 崩れ落ちるのを何とか堪えて、は片手を近くの建物の壁へとつける。

ちゃン!?」

 後ろをついてきていたリンとランファンが驚いて駆け寄る。
 はというと、片手で腹を押さえ苦しそうにゲホゲホと咳をしている。その咳はまるで病人を思わせるかのもののようで、リンはの背を摩りながらランファンと顔を見合わせる。
 ズキンズキンと脈と共に腹から全身に痛みが走る。いつの間にかそんなに時間が経っていたのだろうか。

「ゲホッ……っあー……大丈夫。ごめん」

 額に滲んでいた汗を拭って、は再び歩き出す。

「病気か何カ?」
「そんな大げさなもんじゃない。ただの古傷」
「古傷ではそんな苦しそうにしないデショ」
「大きすぎて治りきらない怪我だったし。それに最近無茶しっぱなしだからね」

 歩きながら聞いてくるリンに、は掠れる声で返事を返す。
 リンもランファンもそれ以上何も聞かず、の歩く速度に合わせて無言で隣を歩いた。
 大通りを歩いていると、前方がやけに騒がしかった。第三研究所だ。警備の兵達が話しているのもあるが、研究所内もなんだか慌しい気がする。ビンゴ、とは小さく呟いた。
 そしてすぐに目を見開いた。

「なんで大総統が……」

 警備の兵が突然敬礼したかと思えば、研究所の方から歩いて来たのは大総統だった。何故、こんなところにいる?
 は一瞬目を細めると、リンの静止の声など聞かずに大総統の下へと駆け寄った。

「大総統!」

 呼べば、大総統は後ろ手を組んだままの方を振り返った。
 に気付いた兵が敬礼をするが、は無視して大総統に向かって素早く敬礼をする。

将軍ではないかね。どうしたんだね、こんな所で」
「不審な人物が街で暴れ、ここへ逃げ込んだと聞いたので」

 勿論嘘だ。
 肩で息をしながら、は目を細める。

「閣下は何故このようなところに?」
「君と同じだよ。第三研究所に侵入者があったと聞いたのでね」
「そうでしたか……。して、犯人は?」
「西区留置所を襲った犯人だそうだ。私が来た時には既に逃亡していたようだがね」

 西区留置所。マリア・ロスの居た留置所だ。
 ロスを連れて逃げた時に協力者がいたと聞いたが、その時の協力者がバリー・ザ・チョッパーだったというのか。

「後を追って入った軍人がいると聞きましたが」
「マスタング大佐だ。かなりの深手を負っているようだよ」
「っ!!」

 背中に冷や水を流されたような錯覚。の表情が青ざめる。

「それとハボック少尉といったかな。彼も酷い怪我のようだ。中尉とアルフォンス君は無事だよ」

 かなりの深手。
 酷い怪我。

 炎の中の笑顔。
 血塗れの電話ボックス。

 ポン、と肩に手を置かれた衝撃では我に返った。見れば、大総統が微笑んでを見下ろしている。

「心配せんでもよい。救護車は既に呼んである」
「そう、ですか」

 かろうじて出た声は掠れていた。
 それからを安心させるように、何度か優しく肩をポンポンと叩いて大総統は手を離した。

「では。私はこれで失礼するよ」

 に背を向けて、兵が開けたドアから車内に乗り込もうとする。

「閣下」

 思わず、は呼び止めていた。
 大総統が笑顔のまま振り返る。

「何だね?」

 聞きたい事は、山ほどあった。
 だが……。

「……いえ」

 一度視線を俯かせてから、真っ直ぐに大総統を見据えて口を開いた。

「近頃は物騒です。お一人での外出はなさらない方がよろしいかと」

 不穏な動きをしているのがあなたであると、そう言っているようなものですよ……――

「……うむ。肝に銘じておくとしよう」

 依然表情を変えずに、大総統は一つ頷くと車に乗り込んだ。
 遠ざかっていく車を見ていると、逆の方向から救護車が二台やってきた。
 急いで担架や応急処置の道具を持って、何人かの男達が研究所内へと入っていった。
 数分後、ガシャンガシャンという金属音がだんだんと近づいてくる音が聞こえる。ハッとしてが研究所の入り口へと駆け寄った。案の定、そこから出てきたのはアルフォンスだった。

「アル!!」
!? なんでここに」
「そんなのはどうだっていいよ。……うわ、ボロボロだね」
「あはは……」

 思わずが顔を顰めるほど、鎧の損傷が酷かった。何箇所か装甲が剥がれているし、穴が空いていたり引っかき傷があったり。スカーの時程粉々では無いものの、素晴らしい程の壊れっぷりだった。

「ロイとジャン少尉は? どうなの? 大丈夫?」
「多分……大佐が火で傷口焼いて止血はしたみたいだけど」
「焼っ……はぁ!?」
「あ、いや! 大丈夫! 大丈夫だよ!」

 止血したから大丈夫だと安心させようとして言ったのだが、思いっきり顔を引きつらせたを見ると逆効果だったようだ。アルフォンスが慌てて大丈夫だと連呼する。
 大総統は二人が大怪我していると言っていた。それを塞ぐだけ焼いただなんて、一体どれだけの範囲を焼いたというのだ。
 が顔を青ざめさせていると、中から担架に乗せられた人物が出てきた。

「少尉!!」

 最初に出てきたのはハボックだった。夜のため暗くてよくわからないが、顔から血の気が失せている。

「少尉!? ジャン少尉!!」

 の呼びかけにもハボックの反応は無かった。

「どうなの……?」
「意識はありません。危険な状態ではありましたが、止血はされています。命に別状は無いでしょう」

 救護員にも大丈夫だと言われ、は「そう……」と一言言ってハボックから離れた。が離れるとすぐに担架が再び運ばれ、ハボックは救護車に乗せられた。
 再び声が聞こえ始め、最初にホークアイの姿が確認された。怪我は無さそうだ。
 次に担架に乗せられていたのは――

「ロイ!!」

 名前を呼んで、が駆け寄る。

「ロイ! ロイ!?」
「…………か?」

 薄っすらとロイが目を開いた。ハボック同様顔に血の気は無い。頬にも切り傷があって血が滲んでいる。
 心配そうに見つめてくるを見て、ロイは力なく笑った。

「はは……情けない、な……油断して、このザマだ」
「……っ」

 ギリッと奥歯を噛むと、は表情を歪めた。

「馬鹿!! 馬鹿ロイ!! 無能!! 阿呆!! やっぱ馬鹿!!」
「ばっ……」
「ちょ、!」
「勝手に死ぬなんて許さないんだから!!」

 怪我人の前でいきなり叫びだしたのを見てアルフォンスが止めようとしたが、その手も寸でで止まってしまう。の肩が震えていた。
 下からの表情が見えているロイも、目を丸くしていた。
 の表情が今にも泣き出しそうな程歪んでいて。
 泣くのを必死に堪えているように見えて。

「……二人とも……生きててよかった……っ」

 涙は流れていないのに、その声は涙声に近かった。
 両親はとうの昔に居なくなっていて。
 親友が死んで、兄のような友が死んで。
 もしかしたら自分とハボックもその後に続いてしまっていたのかもしれないと思うと、の恐怖はどれ程のものだったのだろう。
 そしても思う。自分が大怪我をした時のロイも、こんな気持ちだったのだと。
 ロイはすっと手を伸ばして、の頬に触れた。

「……心配かけたな」

 静かに言うロイに、は無言で何度も頷く。それに苦笑して、ロイはから手を離した。
 が一歩離れると、ハボックと同じように担架は救護車へと運ばれていった。

「乗っていかれますか?」

 依然神妙な面持ちのに救護員が尋ねる。

「……いや」

 しばし悩んでいたようだが、は小さく頭を振ってホークアイの方を向いた。目が合ったホークアイは、彼らの怪我は自身のせいであると言わんばかりに表情を歪めている。

「中尉」

 がいつもとは違う、真剣な声で呼んだ。

「二人をお願いします」
「……了解しました」

 とリザ中尉、ではなく。そのほんの少しの会話は、将軍とホークアイ中尉のもの。上司に頼まれたホークアイは、軽く一礼すると救護車の方へと駆けていった。
 バタンとドアが閉まる音が聞こえると、いつの間にか出発していた一台目に続いて、ロイとホークアイの乗った救護車も病院へと向かっていった。

。ボクらも帰ろう」
「……ん」

 アルフォンスが言うと、はこくんと頷いて歩き出した。
 だが、数歩も歩かぬうちに突然ガクンとその場に崩れ落ちた。

!?」
「ゲホッ、ゴホッ!」

 慌ててアルフォンスが駆け寄ると、は先程同様片手で口を覆って苦しそうに咳を繰り返していた。どうすればいいのかわからず、アルフォンスはとりあえずの背を摩ってみる。
 前にこんな状態になったを見た事がある。スカーと戦っていた時だ。その時の苦しみ方と同じだった。そうなった理由は先日エドワードから聞いていた。古傷で長くは運動したり出来ないという。
 だが今、そんな大きな運動をしていたわけでもないのに、何故。
 突然はピタッと動きを止めると、不審げに眉を寄せて口に当てていた手を離す。
 それを見てアルフォンスがぎょっとした。

「ちょ、!? 血! 血だよ!?」

 の手についていたのは赤い血。

「あー……なんだろね」
「何でそんな適当なんだよ! 自分の体だろ!? もやっぱり救護車に乗って行けばよかったじゃないか!」
「んな大げさな……」
「口から血吐いて大げさじゃないって言う人が居たら会ってみたいよ!」
「目の前にいるじゃん」
「あー、もう!!」

 気にすんな、と手をヒラヒラ振りながらは立ち上がる。
 きっと胃に負担がかかっているのだ。とはそう解釈する。連戦続きで、怪我が治ってきた頃に猛ダッシュしたりしてるからだ。きっとそうだ。胃や心臓が未だ痛むが、先程のように倒れるほどでも無いだろう。
 何事も無かったかのようにぐいっと袖口で口を拭うと、はくるっと振り返った。
 そして、アルフォンスを見据えてにっこりと極上の笑みで微笑んだ。

「さて。何があったか、当然教えてくれるよね?」

 疑問系だが、それは確定。
 そんな笑みを向けられてNOと言える程、自分は命を粗末にしようとは思っていない……。
 アルフォンスは鎧ながらも、たらりと冷や汗を流した。