「セントラルー。セントラルー」
東部から戻って来たがセントラルシティの駅へと降り立った。やはり田舎とは空気が違うなとぼんやり思う。そして深く息を吐いて街中へと歩き出した。
日は傾いて来ていて、空がオレンジ色に染まっていく。
たった一日の休暇だったが、知った事も思う事も多すぎた。
これからどうするか。
実際軍の上層部に位置する自分が、探りを入れると何かと目立つのも事実だ。さすがに大勢の軍隊を相手取って勝てるとは思わない。少しずつ真実を明るみ出さなければならない。
どうやって?
メディアに公表する? 潰されて終わるだろう。
大総統府に直接仕掛ける? 自分の身がもたない。
仲間が足りなかった。否、仲間ならいるのだ。声をかければ手を貸してくれる人々はたくさんいる。ただ、彼らを巻き込むわけにはいかなかった。ヒューズのように殺されてしまうかもしれない……犠牲は出したくなかった。
まずは情報だ。情報を集めなければならない。
シュウの過去の記録をもう一度洗ってみるか? おそらく無駄足となるだろう。軍の研究施設で何をしていたかの資料なんて、見たってどうせ真実は書いちゃいない。賢者の石の研究だなんて尚更だ。
他に何をすべきか、何を調べるべきか。
色々考えても、やはりどこにでも出てくる疑問がホムンクルス達の事。シュウの事も、内乱の事も、賢者の石の製造のことも。他の軍に関わる事すべての疑問点に必ず関わっているのがホムンクルス達だ。
彼らに接触するのが一番手っ取り早いのかもしれないが……――
は自分の右肩へと手を伸ばす。やっと治って来た怪我の数々。それらはすべてホムンクルスに負わされたものだ。次に会った時に自分が死なない保証はない。
「なんだぁ、ありゃ。花火か?」
ふとそんな声が耳に入って振り返る。まだ日も沈み切らないうちから花火だと?
声を発しただろう男は他の数人と空を見上げて指をさしている。つられても視線を上げた。
確かに男の言う通りに、明るく何かが打ちあがっていた。花火にしては色味がなく、どちらかというと……――
「……信号」
ぽつりとが呟いた。そう、遠くにいる誰かに合図を送る信号だ。
確信するや否や、はその光の方向へ走り出した。あの光の位置までは少し距離がありそうだった。方向的にはスラム街の辺りだ。
何か嫌な予感がしてならなかった。
どうか杞憂であって、と。は目的の場所へと急いだ。
35.スラムにて
大通りと比べると荒んだ空気のあるスラム街。そこへ足を踏み入れてはようやく走るのをやめた。歩きながら荒い息を整える。腹の方はまだ問題ない。
周囲の音と気配を探りながら慎重に歩いていく。
日はもう大分落ちていて辺りは薄暗い。
「!」
ピタとが足を止めた。
微かに聞こえた、争いの音。
警戒心を一層強くし、音の方へと足を向ける。
だんだんと現場が近くなり、そこにいるのが誰なのかが判別つくようになってきた。四人。恐らく二対二。そのうちの一人には見覚えがあった。
「リン……?」
呟いて眉を顰める。以前行き倒れていたあのリンだった。
何故リンが、などと考える暇もないほど、衝撃的な事は起こった。
リン達が戦っている相手。髪の長い細い男と、太った男の二人。彼らはいくらリンともう一人が攻撃を加えても一向に死なない。
間違いない。ホムンクルスだった。
思ってる矢先に出会うとは、と思いながらは両掌を上へと向けた。ひやりとした冷気がの周りに集まる。そのまま騒ぎの方へと歩みを進める。パキンと音がして、の周囲の冷気が形を持った。いくつもの氷の刃が空中に漂う。
はすうと息を吸い込むと、叫んだ。
「リンともう一人! 上手く避けなさい!」
言うなりは両手を勢いよく仰いだ。空中の氷がそれに合わせて飛ぶ。
名を呼ばれたリンはもう一人と共に反射的に跳んでその場から避ける。反応しきれなかったホムンクルスと思しき二人の体には次々と氷の刃が突き刺さった。顔、腕、足。容赦なく突き刺さった氷の刃に、二人は呻き声を上げて膝をついた。
「ちゃン?」
「やあ」
リンが驚きの表情でを見たが、は至って平然とした表情で片手を上げて挨拶をした。
リンの仲間らしきもう一人が、には理解できない言葉でリンに何か話しかけ、リンも同じ言葉で応対した。シンの国の言葉だろう。何か納得した風だったため、恐らくと知り合いかどうかを聞いたのだろう。
「早速聞きたいんだけど。この二人、どっちか姿を変えたりしない?」
四人に近づきながらが尋ねる。リンは驚いたように一瞬目を瞠った。
「そっちの細い方ダ。さっき犬に変身していタ」
「そう」
リンが指さす髪の長い男を、は目を細めてみる。ホムンクルスの二人はいたるところに氷が刺さり、血を大量に流してはいるが、既に身体の修復は始まっていた。
「お久しぶり。その節はどうも」
言いながら口元を緩ませる。が、目は笑っていない。
「流水の……錬金術師ッ」
ホムンクルスは顔を上げ、顔の前へと垂れる髪の間からギロリとを睨みつけた。不意打ちを受けたのが悔しいのか、ぎりと奥歯を噛みしめる。
すっと右手を振って氷の剣を生み出す。
「さてさて。果たして無限に死なないのか。それとも、死ににくいだけなのか」
が構えると、両脇でシンの二人も構えた。
ホムンクルスが舌打ちする。
そして、周囲に目を向けた。
「……グラトニー。人が増えてきた」
普段人の集まりなどないスラムの一角に、騒ぎを聞きつけて見物人が増えてきていた。
「うん。食べていい?」
グラトニーと呼ばれたホムンクルスは、当たり前のように聞き返す。何か吹っ切ったように息を吐くと、ホムンクルスは首を振る。
「いや。飲んでいいよ」
一瞬意味を掴めなかったのか、きょとんとグラトニーはもう一人のホムンクルスを見つめた。そして、にたぁっと笑って口を開けた。
不可解なやりとりを、三人は構えたまま聞いていた。
「見物人も。こいつらも」
ピリッと空気が震える。
殺気とは違う。何か別の、悪寒とも言える空気がぞわりと背中を纏わりつく感覚。
「このエンヴィーの姿を見た奴は何もかも、全てだ」
バチッと錬成反応の光が走る。何かに変身しようとしている。だが、この殺気はなんだ?
『何をしているのですか』
突然どこからか聞こえた声に、動こうとしていたホムンクルスの二人が止まった。
やリン達も第三者の介入に再び神経を尖らせる。
「『プライド』か!? 何しに来た!!」
ホムンクルスが声の主に向かって言った。
『仕事も片付かずに街中で醜態をさらし、更に我々の懐にまで侵入を許すとは情けない』
怒った様子でもなく、プライドは淡々と諫める。
『しかも、あなたは大切な人柱候補までも手にかけるつもりですか。エンヴィー、君はいささか雑すぎる。今日は引いた方が良いでしょう』
「でも……」
エンヴィーと呼ばれたホムンクルスは尚も退きたくないという意思を見せた。ついにプライドが声を荒げた。
『黙りなさい、小童が。これ以上文字通り「醜態をさらす」と言うのですか』
「っ!!」
びくっとエンヴィーがたじろいた。
は眉を顰める。「醜態」とは、いったいどういう意味だ?
「引くぞ。グラトニー」
仕方ないといったようにエンヴィーが言う。グラトニーもこくこくと無言で頷いた。
「そう簡単に行かせると思ってんの?」
が一歩前に出る。いつでも斬りかかれるように、構えは解かない。
リンともう一人の実力の程はわからないが、今までホムンクルスと互角に戦って来たのならば、勝機はあるはず。
このまま逃がしてなるものか。
「ちゃン」
はリンに肩を掴まれた。
「っ! リン、離して!」
「ちょっと落ち着いテ。今日はこのままの方がイイ」
「そうそう、安心しなよ流水の錬金術師」
必死な様子のを嘲笑って、エンヴィーは笑みを浮かべる。
「あんたはそのうち相手にしてやるからさ。おい、お前ら。命拾いしたな」
「どうかナ? やってみないとわからないヨ」
リンも不敵な笑みを浮かべて言葉を返した。
面白くなさそうにリンを見やると、エンヴィーは自分のコートを持って背を向けて歩き出した。その後ろをグラトニーもついて行く。
「待て!! エンヴィー!!」
の声だけが、空しくそこに残った。
リンは二人の姿が見えなくなって、ようやくから手を離した。
「くそっ……」
が悔しそうに顔を歪める。いろいろ聞きだせるかもしれないチャンスだったのに。
余計な事を、とリンに文句を言おうと振り返ると、リンが何やら謎の言葉で叫び出した。聞き取れたのは「ぶはっ!」と今までの緊張感を全て吐き出したようなそれだけ。もう一人と会話を始めたが異国の言葉はさっぱりだ。
リンをよく見てみると、先程までは平然としていたのに今は汗をかいていっぱいいっぱいの様子だった。気負けしないように精神を保っていたのだろう。
「さっぱりわからん……」
「あ、ゴメンネ。内輪話デ」
の呟きに気付いたリンが、ひらひらと手を振って謝って来た。別にいいけどとは肩を竦める。
「それにしても、ちゃン。奴らとは知り合イ?」
「ああ、まあ……エンヴィーだけだよ」
そう言って、は目を細めた。
「とりあえず……今一番殺したい相手ではあるかな」
あっさりと言ったが、確かに声色は変わった。ぞくり、とリンの悪寒が走る。
「ところで、このお嬢さんは? 一緒にシンから来た人?」
ころりと表情を変えて、は首を傾げた。まるであの一瞬の殺気は幻覚だったように、だ。
「あ、ああ。そうダ。付き人のランファン」
「ランファンでス。よろしくお願いしまス」
「初めまして。国軍少将の・だよ」
ぺこりとランファンが頭を下げるのを見て、も笑みを返す。
「この人は行き倒れていた俺を助けてくれたとっても素敵な方なんだヨ」
リンがの紹介をする。それに応えて、も笑みを深めた。
「この人は初対面の私に散々奢らせておいてまだ注文しようとしていたとっても素敵な根性をお持ちの方なんだよ」
「……まだ根に持ってル?」
「あっはっは」
冷や汗を流すリンに、は依然笑顔のままだった。
「ア、アルフォンス達の方はどうなったかナー?」
から目を背けて、リンが言う。そうですネ、とランファンも頷く。
はぎょっとしてリンの肩を掴んだ。
「アルフォンスって鎧の!? アルがなに!? どうしたの!?」
「エ、知り合イ?」
「友達だよ! 何があったの!?」
「軍人三人と一緒にバリーってやつを追って行ったんダ」
の必死な表情に、リンは困ったようにランファンに助けを求めた視線を送る。
「軍人?」
「一人はハボックという名の人だったはずでス」
ランファンが言う。
背筋が凍る。一人はハボック。他の二人は? 大方予想がつく。
「場所は!?」
「場所はわからないけど……あっちの方ダ」
リンが通りの向こうを指差す。その方向に視線を向けて、自分の脳をフル回転させる。
「バリーっていうのは?」
「バリー・ザ・チョッパー。アルフォンスと同じ体をしていル」
「アルと同じ……!?」
バリー・ザ・チョッパーは数年前セントラルに居た殺人鬼の名のはずだ。数年前に処刑されたのではなかったか?
「あの男の肉体が、別の魂を入れて襲って来たんでス。恐らく動物か何かの魂でショウ」
「それを彼らは追って行ったんダ」
ランファンとリンが説明する。
処刑されたはずの男が魂だけの存在となって今も生きている……肉体は別の魂を持って。
「……第五研究所か」
が呟く。
刑務所が隣接していた第五研究所。賢者の石を作る際に囚人を材料にしていたのだ。他の禁忌の研究を行っていても不思議は無い。
では、彼らは何処へ向かった? リンが先程指示した方向を見る。
バリーの魂を引きはがしたのが軍の研究機関なら、肉体に別の魂を入れたのもそれと同じ。確信はないが、もし研究機関に戻って行ったとしたら……?
あの方向にある軍の研究施設といえば――
「第三研究所ッ!」
言うなりは走り出した。その後をリンとランファンが慌ててついてくる。
研究所までは距離がある。バリーを追いかけていってから随分な時間が経っているはず。
何も無ければそれでいい。だが、嫌な予感が拭いきれない。
ぐっ、と息が詰まる錯覚を覚える。腹部に微かに不快感を感じたが、気にしている暇もない。片手で腹を押さえながら、は出来る限りのスピードで第三研究所へと向かう。