昨日のロスの事件もあって、もううかうかしてはいられないと思った。
 山のように浮かんできても決して消える事は無い疑問の数々。
 賢者の石。
 ホムンクルス。
 各地での内乱。
 そして、それらと軍の関係。
 確信しているのは、全てどこかしら関連性があるのだろうという事。
 だが、どこがどのように繋がっている?
 わかっているのは、軍の上層部がホムンクルスと繋がっていること。軍の研究として賢者の石の研究がおこなわれていたこと。恐らくそれは人間を使って作られていること。ここまではほぼ確実だ。
 ただ、各地の内乱の関係性がわからない。
 んー……とは一人唸る。
 何の情報も無しにポンと答えが出るはずの無いのだが。
 何かきっかけでもあれば……――

「あれ! さんじゃないですか!?」

 突然声をかけられ、は驚いて辺りを見回す。

「セリム?」
「お久しぶりです!」

 格子の門の中から、十歳程の少年がこちらに手を振っている。大総統の息子のセリムだった。
 そこでは初めて気が付く。ぶらぶら歩いているうちに大総統邸の前を通りかかっていたらしい。
 手を振り続けるセリムには笑顔で近づいていく。

「お元気でしたか?」
「うん。セリムも元気そうだね」

 セリムはにこにこと笑顔だ。可愛らしいいい子だとも思う。昔、セリムの遊び相手にと何度か大総統に連れられて来た事があった。忙しくてここ何年も来ていなかったのだが。

「今日、勉強は?」
「えへへ……抜け出してきちゃいました」
「あーあ。怒られても知らないよ?」

 苦笑しながら、は門を挟んでセリムの前に屈みこむ。
 仕事は最近忙しいんですか? たまには遊びに来てくださいよ。などとセリムが話してが相槌を打っていく。

「あ! さん、鋼の錬金術師に会ったことありますか?」

 唐突にセリムがそう問いかけた。

「え? うん、あるよ。どうして?」
「会ってみたいんですよ! それで、どれくらい小さいのか見てみたいんです!」

 子供とは時に笑顔で残酷なものである。
 この場にエドワードが居なくて本当に良かった、とはしみじみ思う。

さんも錬金術師ですもんねー」
「そうだよ」
「いいなぁ……僕も錬金術学びたいです」
「セリムが?」

 口を尖らせながら言うセリムに、が聞き返す。

「お義父さんが僕には無理だって言うんです。そんなことないですよね?」
「うーん……どうだろう。やっぱり相性はあるからね」
「えぇー」

 正論を言うに、セリムが不満そうに声を漏らす。
 こういう子供らしいところもまた可愛いと、は思わず笑った。

「なんで錬金術なんて学びたいの?」
「僕、お義父さんのお役にたちたいんです! 義兄さんは頭も良くて錬金術師だったんですけど、若いのに軍に入って働いていたんです。僕もそんな風になりたいなぁって」

 セリムは目をキラキラと輝かせながら言う。そこでが首を傾げた。

「兄さん? セリムに兄さんなんていたっけ?」

 何度か来た事のある大総統邸だが、兄さんを見かけた事もいるという話を聞いた事も無かった。

「血は繋がってませんけど。僕と同じで義兄さんも養子なんです。もっとも、ずっと行方不明なんですけどね」
「へえ……」

 軍に所属していて錬金術師で行方不明。そんな人物いただろうか、とは思考をめぐらす。
 セリムは話を続けた。

さん、名前だけでも知ってるかもしれないですよ? シュウ・ライヤーっていうんです」
「……え?」

 一瞬頭が真っ白になった。
 今、なんて?
 目を見開いて固まっているをよそに、セリムは続ける。

「一緒に住んではいなかったんですけど、すごくいい人なんですよ! 四年くらい前から行方不明で……お義父さんも、もう死んでしまっているのかもしれないって言うんです……」

 そんな事ないですよね! と言うセリムの声は、ほとんどの耳に届いていなかった。
 まさか、こんな所でシュウの名を聞くとは……しかも養子……大総統の息子として?
 小さい頃母親に捨てられ、父親の顔は知らないと言っていた。
 それ以外は?
 錬金術に詳しくて、自分と同じく子供のうちから軍に所属していて……――
 思えば他の事は何一つ知らなかった。
 いつから軍に入っているのか。
 シュウと初めて出会ったイシュヴァール殲滅戦の前まで何処にいたのか。
 何故、ウロボロスの奴らがシュウの事を知っているのか。

さん?」

 黙ったまま思考を巡らせていたは、セリムの声に意識を引き戻した。

「大丈夫ですか? 具合とか悪かったり……」
「ううん、ごめんね。大丈夫」

 心配そうに顔を覗き込んでくるセリムに、手を振って笑顔を作る。もっとも、その笑顔は引きつってはいた。

「セリムさん!!」

 屋敷の方から怒鳴り声が聞こえて、セリムがびくっと肩を震わす。も目を向けると、眼鏡の女性がこちらに向かって叫んでいる。

「また抜け出しましたね!? しっかりお勉強なさっていただかないと!!」
「わわっ! すみません!!」

 セリムは女性(恐らく家庭教師だろう)に叫び返すと、一度に向き直った。

「それじゃ、さん! たまには遊びに来て下さいね!」

 笑顔で言うセリムに、も頷く。そして、手を振ってセリムは屋敷の方へと戻っていった。
 その後姿を見ながらはゆっくりと立ち上がる。
 新たな疑問が増えて。
 一つ、きっかけを手に入れた。








33.きっかけ









 ホテルのレストランで、エドワードは一人食事をとっていた。だが、沈んだ気持ちで食は進まない。
 昨日初めて知った、ヒューズが死んだという事実。死んだのはエドワード達がダブリスへ向けてセントラルを出発して、そう日が経っていない頃。
 自分達に協力しようとしてくれていたから。
 賢者の石になんて関わったから。
 だから、殺された。
 死ななくていいはずの人が殺されて。悲しまなくていいはずの人が悲しんで。
 それの元凶は恐らく自分達で。
 誰かが傷つくのなら元の体になんて戻らなくても、と。そう思った。

―― 自分達の納得する方法で前へ進みなさい

 事情を説明して、悪いのは自分達だと言っても。グレイシアは笑ってそう言った。
 決して自分達を責める事なく。立ち止まるなと、そっと背中を押してくれた。
 だからこそ余計に悩む。

「……もう、何を信じて進んでいいのかわかんねぇや」

 自分が決めた道だからと。そう信じて歩いてきた結果がこれだった。
 巻き込んで、犠牲となってしまった人。
 信じていた気持ちが揺らぐのも無理はなかった。

―― 誰が敵か味方かもわからぬこの状況で何人も信用してはならん!

 信じるな、と。警告する人がいた。

―― もっと大人を信用してくれてもいいじゃない

 信じて、と。諭す人がいた。
 後押ししてくれる人がいる。
 支えてくれる人がいる。
 ……涙を流す、人がいる。
 エドワードはフォークを咥えたまま、ごつんとテーブルに頭を乗せる。

「まいったなぁ……」

 ぽつりと小さく呟いた。
 いっそ罵ってくれたらどんなに楽だっただろう。自分達が悪いのだ、と。そう言ってくれれば良かったのに。
 目を瞑れば、脳裏に浮かぶのはグレイシアの涙だ。自分達が帰った後に、窓から見えてしまったその姿。あんな思いにさせてしまったのは他でもない、自分達なんだ、と。
 そう思っていると、エドワードの近くでカタッと椅子を引く音がした。
 驚いてエドワードが顔を上げる。目の前の席に座っていたのは、見慣れた顔。

「やあ」

 軍服にコートを羽織った、だった。

「……」

 片手を上げるを見て、エドワードは眉を顰める。そして何も言わないまま、再びテーブルへと頭を乗せた。
 今、軍人の顔は見たくなかった。
 ヒューズを殺したというロス。
 ロスを殺したロイ。
 ダブリスでヒューズの死を自分達に教えなかったアームストロング。そして
 ……何を信じればいいのか、わからなかった。
 注文を取りに来たウエイターに何もいらないと告げるの声を、エドワードは無性に腹立たしく思いながら聞いていた。

「……マースの事さ……話さなくてゴメンね」

 お互い黙ったままだったが、が小さく話を切り出した。
 顔を伏せたままエドワードが顔を顰める。そんな事、今更だ。

「二人が知ったら傷つくだろうなーとも思った。でもね……私自身が嫌だったんだ」

 言葉にしたくなかったんだよね、と。は近くのエドワードにしか聞こえない程の声で話を続ける。

「もし誰かにそれを言ったら……もう、本当に帰ってこないんだなーって……そう思っちゃう気がして」

 膝の上の手を、はぎゅっと握り締めた。

「口にすることで、再確認するように……自分の中でマースの死を認める事になっちゃうから」

 の声は今にも泣きそうで。
 本当に申し訳なさそうで。
 自嘲に似た色を含んでいた。

「嫌だった……未だに信じたくないから……」

 エドワードの中の怒りが、すーっと冷めた気がした。
 そうだ。どうして忘れていたのだろう。
 仕事を放りだしてまで、ヒューズの娘の誕生日パーティに行くのだと言っていた。
 それに、ダブリスで見たの写真。
 何年もずっと付き合ってきて仲も良くて。大事な人だった事に間違いない。
 そんな人が「死んだ」だなんて、言う気になるはずなんてないのに。

「……それだけ。ただゴメンねを言いたかったんだ」

 ごめんね。
 もう一度だけそう言って、はエドワードと一度も目を合わせること無く席を立った。反射的にエドワードが顔をあげた。そして、背を向けて立ち去ろうとするの腕をがしっと掴んだ。驚いてが振り返る。

「……エド?」
「……オレさ……何を信じればいい?」

 俯いたまま、泣きそうな声でエドワードが問いかける。
 に聞いたところで自分の中で答えが見つかるとは思わない。
 それでも、聞かずにはいられなかった。

「何を信じて……歩いていけばいいんだろ……」

 ぎゅっと、の腕を掴む手に力が入る。
 そんなエドワードを見て、が顔を歪めた。

「……ごめん……私にもわかんないや」

 はぐらかしたわけではなく、これは本音。
 信じるべきである自分が所属する軍も信用なんか到底出来ない。誰が敵で。誰が味方なのか。自身も決めかねていた。

「でもね……」

 がエドワードに向き直る。
 そして、少しだけ屈んで目線を合わせ、自分より低い頭にぽんと手を載せる。

「私は……あんたの事裏切ったりしないから」

 優しく言って、は微笑む。

「ちょっとは信じてくれても大丈夫だからね……」
「……」

 決して強制ではない。
 信じてくれるならそれでいい。でも、信じないのならそれでもいい。
 さっきまで自分は誰に腹を立てていたのか、と。エドワードは居た堪れなくなった。
 どうして、大事な人が殺されても責めたりしないんだろう。
 どうして、罵ってくれないんだろう。
 どうして……みんな、そんなに優しいんだろう。
 エドワードは俯いたまま、ぐっと唇を噛んだ。


 兄弟の宿泊するホテルを出て、夜の街をは歩いていた。
 エドワードへの謝罪は済んだ。新聞に載った時点で彼らは知ってしまうだろうことはわかっていた。罵られることも覚悟して彼のいるホテルを特定して向かったのである。
 思っていたよりも参っていた。昨日、彼らが世話になったロスが死んだのである。彼らはそれが嘘であることを知らないし、ヒューズを殺した犯人がロスではないことも知らない。弱らない方が無理だろう。
 ただ、この件に何も思わない優しい子で良かったと思ったのも事実だった。何を信じればいいかわからない、そう言うエドワードはまるで迷い子のようだった。実際迷っているのだろう。
 何を信じればいいのかわからないのは自分も同じだった。軍の上層部は到底信用できはしないとわかったのが最近の収穫と言えるか。

「……大総統の養子か」

 昼間にセリムに聞いた言葉。どうもひっかかる。セリムはなぜ今まで話した事の無かった義理の兄の話を初めて出したのだろう。子供に問いかけても仕方のないことかもしれないが。
 とにかく、シュウは大総統の養子だった。いつからだ? シュウは四歳の頃に母親に捨てられた。それ以降、何歳かの頃に拾われたのだろう。そして、大総統の息子として育てられ、その後大総統府を出て一人暮らしをしていた……が何度も寮に遊びに行ったことがあるため、が出会った頃にはもう一人暮らしをしていたのは間違いない。
 とシュウはイシュヴァールの戦いの時に、戦地で初めて出会った。シュウがいつから軍にいるのか、イシュヴァールまで何をしていたのか、はシュウに聞いたことがなかったと今になって初めて気が付く。
 は夜の風を切って歩いた。
 悩んでいても仕方がない。一つきっかけが手に入ったのならば、行動するしかない。

 頭を動かせ。足を動かせ。
 考えることをやめるな。立ち止まるな。

 その間に、また誰かが犠牲になるかもしれないのだから。