32.二人で







 軍の病院。そこで、焼死体のマリア・ロスの司法解剖が行われた。
 殺害したのはロイだった。
 凶悪な同伴者と共に留置所からロスは逃亡した。全兵に出された指令は「ただちに捕獲。抵抗すれば射殺して良し」
 そこでロイは暗い路地裏でロスを焼き殺した。ロイの言い分は「抵抗されたから殺した」というもの。
 ただ、その焼死体は誰か判別がつかない程の炭になっていた。

「ロイ!」

 帰ろうとして病院内を歩いていたロイが顔を上げると、その人物は駆け寄ってきて自分のコートをがしっと掴んだ。ロイが驚いたようにその人物――を見る。は走って来たらしく、ロイのコートを掴んだまま肩で息をしている。

「ロス少尉……殺したて、聞いて……走って……」
「走って、って……まさか司令部からか?」

 部下に車でも出してもらえば良かったのに、というロイに、勤務時間終わってまで残ってるような優秀な部下は持っていない、と息切れ切れには言った。
 時間は遅く、辺りは真っ暗だ。自身も勤務時間は終わっていたのだが司令部に残っていた。
 そこで告げられたのだ。ロイ・マスタング大佐が逃亡中のマリア・ロスを発見。殺害した、と。
 それから司令部を飛び出して来たらしい。ずっと走っていたらしく、痛むのか片手で腹部を押さえている。

「一体何が……」

 言いかけては言葉を切る。病院の奥の方から聞きなれた声がしたのだ。その声は静かな院内の廊下に反響し、の耳に届いた。

「……エド?」

 何故エドワードがいるのか。ロイの無言を肯定ととって、はエドワードの下へ行こうと一歩踏み出した。だが、すぐにロイに腕を掴まれた。

「行かないほうがいい。噛み付かれるぞ」

 はロイを見上げた。

「憎まれ役は私だけで十分だ」

 ふっとロイは笑うと、の腕を掴んでいた手を離した。その言い分にはため息をついた。

「で? 説明してくれるんでしょうね」

 嫌だなんて言わせない、と目で訴えながらが言う。それにロイが苦笑する。

、勤務時間は?」
「終わってる。ただ、残って仕事してただけだから」
「相変わらず真面目なことで」
「そういうロイは?」
「あー……まあ、電話しておけば問題ないだろう」

 リザ中尉かわいそうに、とが呟く。ロイはそれを聞かなかった事にして歩き出した。それを追って、も隣を歩いて病院を出る。
 夜のひんやりとした空気が肌に触れる。コートを着ていてもやはり少し寒くて、は暖めるように腕をさすった。
 しばし無言で歩いていた。

「……随分落ち着いてるな」

 ロイが唐突に言った。うん? とがロイを見上げる。

「私がマリア・ロスを殺したというのに、随分冷静なんじゃないか?」
「ああ……」

 は周りに目を向け、誰も自分達の会話を聞いている者がいないのを確認すると会話を続けた。

「嘘だと思ってるからね」
「嘘?」
「軽率すぎる」

 がはっきりと言った。

「誰が調べたともわからない情報を信じて、標的を殺害する程阿呆じゃないでしょ」

 ロイは目を瞠る。そして苦笑した。

「それに……」
「それに?」
「……なんでもない」

 ヒューズの仇討ちをした後に、ロイがそんなに落ち着いているはずがない……――それは本人には言えないけれど。彼の復讐の炎は隠されているだけで、まだ燻ってなどいないことはが一番良く知っている。

「まあ、ノックス先生来てるって聞いたし。想像はついてるよ」

 は肩を竦める。
 ノックスというのは焼死体に詳しい鑑定医だ。今回のロスの司法解剖をしたのはノックスだった。
 イシュヴァール戦の時、ロイとノックスは何度か一緒に居た事があった。はそれを覚えていたのだろう。今日は市内で大きな火災があった。それで焼死体に詳しいノックスが呼ばれていたのである。
 少しこの子を甘く見ていたようだ、との横顔を見ながらロイは思う。

「それよりさ」

 唐突にが言い出す。

「久しぶりだね。こうやって二人で並んで歩くの」

 一瞬面食らったように、ロイが目を見開いた。の声が嬉しそうに聞こえたのは気のせいだろうか。だが、思い返してみても二人で歩くのは本当に久しぶりだった。

「ああ……そうだな」

 ロイも顔を前へと戻して、僅かに上を見上げる。
 冬に近づきつつある夜空は、星が綺麗に輝いていた。


「適当にくつろいで……って言わなくてもそうするだろうがな」
「もちろん」

 結局ロイの家へとやった来た二人。早速コートを投げ捨ててソファにダイブするを見て、ロイはため息をつく。がロイの家で遠慮するなんて有り得ないだろう。
 ロイは一度部屋へと戻って軍服を脱ぎ、私服に着替えて居間へと戻ってくる。軍服の前だけ外し、両手足を投げ出してダルそうにしているを見て再びため息。

「相変わらずダルそうだな」
「あー……なんか最近疲れがとれなくて」
「なに年寄りみたいな事言ってるんだ」

 まだ十代だろ、とロイが呆れたように言う。だが、将軍職の仕事が下官とは比べられないくらい複雑なのはわかっている。しかも勤務時間が終わっても残って仕事をする程の、普段からは想像出来ないような真面目ぶり。それなら疲れもたまるだろう、と。
 ロイはキッチンからグラスを二つと酒の瓶を持ってくると、の向かいに座った。

「ジュースは無いぞ」
「水くらいあるでしょ。酒はいらない」
「水でいいのか? どういう風の吹き回しだ」
「私のこと何だと思ってんの?」

 そう言って睨むと、ロイは肩を竦めて、冷蔵庫からミネラルウォーターのボトルを持ってきてに渡した。

「で?」

 突然、が一言だけ声を発する。は? とロイが聞き返すと、説明、と再び一言だけ返す。そのことかと思い、ロイは一口酒を飲んで説明を始めた。

「なーる。豚の肉と骨のダミー少尉ってワケか」

 ミネラルウォーターを飲みながらが言う。
 ロスが逃げてきた路地裏でロイが待ち伏せる。そして、豚の骨や肉などから作ったダミーの人形を鑑定出来ない程に焼く。ロスを隠れていたハボックに任せ、逃げさせる。これで、ロスはロイが殺したという事になるわけだ。歯型もホークアイがデータのコピーを入手していたためそっくりそのまま練成する事が出来た。
 突発的な作戦の割りにはいいんじゃない? と言いながらはボトルを回す。

「で? これからロス少尉はどうすんの?」
「それだが、シンの者と関わる事が出来てな。東に逃がしてもらう事になっている」
「シン? ……もしかして、不法入国してきた?」
「何だ、知ってるのか?」
「一回会った」

 むすっとしながらが言った。一度だけ行き倒れているリンに会った。しかも、好きなだけ奢らされたのだ。

「ま、国外に出しちゃうのが一番安全だよね」
「彼女が本当にヒューズを殺したのでないのなら、これ以上巻き込まない方がいいからな」

 ロイの言葉にが顔を上げる。

「疑ってるの?」
「火の無いところに煙は立たんからな」

 そう言ってグラスの酒を飲み干し、瓶から酒を注いだ。再び酒を飲もうとして、がじっと見ている事に気付く。

「……彼女じゃないとは思っているさ。だが証拠は無い」
「……」

 言おうか。は迷った。
 ヒューズを殺したのはホムンクルス。ロスではない。
 だが、言えば恐らくロイはホムンクルスを探し出して殺しに行くだろう。そうなれば無傷じゃすまない。
 ……それでも教えるべきだろうか。
 はぎゅっと両手でボトルを握った。
 ヒューズは知りすぎた。だから殺された。詳しく知れば知るほど死の危険が迫る。
 もう……誰も失いたくなかった。

?」
「ん? 何でもないよ」

 黙り込んだをロイが不思議そうに見る。は無理やり笑顔を作って首を振った。
 わざわざ危険に近づけさせるわけにはいかない。
 自分がなんとかしなければ。
 もう誰も傷つかないように……――