「ただいま」
中央の駅からまっすぐにやってきたのは墓地だった。荷物が多いため、今日は花束も持って来なかった。花束がなくても、この人は怒りもしないだろうとは思う。
あれから一体どれだけの日が経っただろう。数えればすぐなのに、数えたくは無かった。親しい人がいなくなった現実に既に慣れ始めている自分がいる。いつかそれが日常になってしまうのだろう。今はまだ寂しい気持ちも喪失感もある。だから、エルリック兄弟にはまだ言えなかった。誰かに伝えて、それでその人の死を再認識してしまうからだ。
今はまだ静かにさせてほしかった。まだ、信じたくはないから。
「それじゃ。また会いに来るね」
そう言って、はヒューズの墓から立ち去った。
中央司令部からさほど遠くはない軍の寮。そのうちの一つにの部屋がある。
普段はなんともない階段を息を切らせてしまうのは、ダブリスで増えた荷物のせいだ。怪我はだいぶ治って来ている。
そして滅多に使われることのない鍵を刺しこんでドアを開けた。閉めっぱなしのカーテンのせいで、昼間なのに部屋の中は薄暗い。荷物を持って部屋の中に入り、ソファに旅行鞄を放り投げる。その瞬間にふわっと鼻をついた埃の臭いに顔を顰めた。
窓に近づきカーテンを開ける。薄暗かった部屋に光が差し込むと、先程までは見えていなかった埃が空気中に舞っているのがわかる。旅行鞄をソファに投げ捨てたのが原因だろう。
「はぁ……やっぱ掃除しなきゃだめかあ」
振り返って部屋の中を見ながら、は嫌そうな顔をする。久々に帰って来るとまず掃除から始めなければならない状況はどうにかならないものかとは毎度思う。
ふと、サイドボードの上に立てかけられているコルクボードが目に入る。そこには何枚もの写真が留めてある。
ロイやヒューズと笑っている写真。
ハボックに悪戯している写真。
ホークアイと一緒にお茶をしている写真。
国家資格を取った時の写真。
――そして、エドワード達とは撮ったことがないなと思った。
そんな何枚もの写真がある中、たった一枚だけシュウと写った写真があった。笑っている、幸せそうなとシュウ。日付は事件の約一か月前。
「……」
―― 知ってるとも! あんたがシュウ・ライヤーに生き返らされたってなァ!
数日前に聞いた男の声が脳裏で響く。
「……うっし! 掃除すっか!」
自分に気合いを入れ、は窓を開けた。
29.セントラル
両手をポケットに突っ込み欠伸を一つ。
中央に戻ってきてから数日後。は久しぶりに司令部に来ていた。軍服に腕を通すのも久しぶりだ。今までこんなに長く軍服を着なかったことがあっただろうかと思い、たぶん無かっただろうと思う。四年前の事件でさえ、一ヶ月以内には仕事に戻っていた。
「あら、将軍。お久しぶりです」
顔馴染みの受付の女性が笑顔で声をかけてくる。も笑顔で手を振る。
「はい、どーもー。お変わりない?」
「ええ。あ、ハインド准尉が寂しがってましたよ?」
「あーもーほっといていいよ……」
休暇に入る前にも寂しいだとかなんとか騒いでいたのである。いない間にまだ騒いでいるであろうことは予想済みだ。
司令部には他より小さめのの執務室がある。二人の部下と自分の机が三つ。そして資料用の壁一面の棚と、来客用のソファとテーブルしか置いていない小さな部屋だ。このドアを開けるのも一ヶ月ぶりだ。
中にいるであろう二人の部下を想像しつつ、はドアを開けた。
「おはよー」
言った瞬間。
目の前に人がいた。
「さぁぁん!!」
至近距離から勢いよく飛びつかれたが、は予測済みでさっと横に避けた。抱きつこうと飛びついた人物は廊下へと飛び出していく。はそのままドアを閉めた。
「酷いじゃないですか!! 久しぶりの再会なのに!!」
ドアを開けてレインが入ってきた。
「いい加減、帰って来る度に抱きついて来るのやめろ」
嫌そうに顔を顰めてがレインを見る。執務室のドアを開けた瞬間、飛びついてくるのは一度や二度ではない。受付の女性とレインは仲良しだ。内線でが帰って来た事を伝えているのである。そしてドアの前で待機しているわけだ。
そして振り返り、は肩を落とした。
「お帰んなさい、将軍」
「……上司にその体勢でいえるあんたの神経ってどうなのよ」
椅子に座ったまま自分のデスクに両足を載せ、新聞を読んでいるのはリッドである。に目さえ向けていない。
「気にする性質じゃないでしょーが」
大きな欠伸をしながらリッドが言った。
二人が来たのは今から二年程前。
とにかくやる気なしで言葉遣いも礼儀もなっていないリッド。ある意味下手な女より女らしい、でも本来男であるレイン。
この二人の問題児はいろいろな司令部や部署を左遷させられ、ついにのところに辿り着いたのである。
実際、も上層部から見ればあまり良く思われてはいない。この年齢で将軍職についていれば敵も増えるというものだ。問題児は問題児に。そんな流れで二人はのもとへとやってきた。
リッドの言う通り、はそんなことを全く気にしたりしないため、二年経っても二人はこうして左遷されることもなくの部下として今に至る。
「さってと。あーあ、やっぱ一ヶ月来ないと書類こんなに溜まるか……」
自分のデスクに積み重なっている書類の山を見て、はため息をつく。
「でも、これでも減ったんですよ? リッドくんがさんの筆跡を真似てサインしたんで」
「よし。よくやったリッド」
レインが笑顔で言うと、は至極真顔で親指を立てた。
「ちゃんと手当つけてくださいよ」
「よし! ちゃっちゃと書類片付けるか!」
「無視っすか」
はわざとらしく声を大きくして言うと、自分のデスクに座って早速ペンを握った。
「そういえばさん知ってます?」
「んー? 何を?」
カリカリとペンを動かしながらが言う。聞く気があるのかないのか微妙な返事だった。構わずレインは続ける。
「マスタング大佐がここに異動になってきたんですよ」
「ああ、その事ね。知ってる知ってる」
「じゃあ、知ってます? 将軍もここに固定ですよ」
「知ってる知っ……」
リッドから発せられた思わぬ言葉には動かしていた手を止める。書類を持っていたレインもリッドに視線を送った。
「ちょっと待て。今なんて言った?」
当のリッドは相変わらず眠そうに新聞を読んでいた。
「やっぱ知らないですよね。将軍にも辞令出てたんですよ」
「ええ!? そうなのリッドくん!?」
「いや待て。つーか落ち着け? そしてレイン煩い」
が額に手を当ててストップをかける。そして嬉しいとキャーキャー騒ぐレインをぴしゃりと一言で静かにさせる。
辞令があったということは大総統府から書類が来ているわけで。
「中央勤務ー!? 私が!? つか、なんであんたが知ってて私知らないの!?」
「将軍いない間に辞令来てました。ほら」
「勝手に開けてんなよボケェ!!」
事も無げにピラリと見せられた開封済みの封筒を、は勢いよくひったくった。
急いで中の紙を取り出して目を走らせた。紙に書いてあるのはが中央勤務になったということ。ようは地方を回ったりすることが無くなったということだ。最後にはしっかりと大総統府の印が押してある。
「うわ、マジだよ……あの会議でどうなったらこんな事になるんだ……」
うわごとのようにが呟いた。眉間にしっかりと皺を刻ませている。
「寝てたんじゃないっすかー? あだっ!!」
言ったリッドの頭に飛んできた辞書が直撃した。
「やったー!! さんとずっと一緒にいられるー!! 痛い!!」
万歳して飛び跳ねて喜ぶレインの脇腹にが足をめり込ませる。
「抗議してくる!!」
ぐしゃりと辞令を握りつぶすと、は荒々しく執務室から跳び出していった。
大総統の執務室の前で警備の者達に敬礼すると、ドアをノックした。入りたまえ、という大総統の声が聞こえた瞬間、は勢いよくドアを開けた。
「大総統!」
開けた瞬間、は大声を上げた。だが、大総統は驚いた様子も見せずにほがらかに微笑んだ。
「おお、将軍。具合はどうだね?」
にこにこと笑いながら大総統は怪我の具合を聞く。はツカツカと歩いて行って、ぐしゃぐしゃになった辞令を目の前に掲げる。大総統の視界に書類が入ったかと思った瞬間、それを下げてはずいと詰め寄った。
「この辞令はどういう事ですか!? 先日の会議では東部のロイ・マスタング大佐が中央へ異動することで同意したはずです! 何故私まで中央勤務に……!」
「うむ、そのことだがな。あの後やはり君を中央に置いておきたいという意見が多数あがってね。私としてもぜひ君にはここに居て欲しいのだよ」
大総統は至って普通に、まるでこうなることを予想していたかのように答える。
「ですが!」
「最近は中央も危険になってきている。君がいてくれれば少しは安心できるというものだ」
「……」
は納得いかず、眉間に皺を寄せる。
「私は君が思っている以上に君を高く評価している」
デスクの上で、両手を組んで置く。そして大総統はにっこりと微笑んだ。
「信頼しておるよ。・少将」
その微笑みが有無を言わせないようなもので。やけに優しそうな笑みで。
逆に何かあるのでは、と。
そう思ってしまうではないか。
は足早に廊下を歩いていた。顔は不機嫌そのもの。すれ違った兵達は、思わずその剣幕に押されてに道を開けていく。
そして一つの執務室をノックもせずに開け放った。あまりの勢いに執務室中の視線がに集まったが、今のはそんな事を気にしちゃいない。数人は開けた人物の顔を見て、納得をした。
無言ではそのまま室内へと足を進める。目の前にいるのは顔馴染みの友人。途中、ソファにあるクッションを掴んだ。
「やぁ、。怪我の具合はどう……ぶふっ!!?」
笑顔で挨拶をした瞬間、は掴んだクッションを力いっぱい相手の顔面に投げつけた。
顔面からクッションを剥がし、ロイは不機嫌そうに眉を寄せた。
「いきなり何をするんだね!?」
「煩い煩いうるさーい!!!」
機嫌の悪いロイだが、の機嫌の悪さはそれを凌いだ。バンッ!! と渾身の力ではロイのデスクを手で叩く。その勢いに、ロイは怪訝そうな顔で一歩後ろに退く。
「ああもう何なんだよ一体!? 会議終わった後の意見にまで耳貸してんなよ!! 何の為の会議だっつーんだよ!! 大体私は固定じゃなくて地方を視察してまわりたいって言ってんだろ!! 信頼してるっつーんなら頭固いオヤジどもの意見ばっか聞いてないで少しは私の意見も尊重しろってんだ!!」
バンバンとデスクを叩き続けたかと思うと、今度はデスクを蹴りだした。他の執務室の面々も唖然とその様子を見ていた。
「つーか、私のいない間に勝手にいろいろ決定すんなよッ!! 私のいない一ヶ月に何があったー!!?」
両手で頭を抱え、ロイのデスクの前に崩れ落ちるはそこでようやく叫ぶのをやめた。
スススとロイは近くにいたホークアイの元へと逃げる。怪訝そうな顔のまま視線をに向けてロイが言う。
「……あの子は一体どうしたのかね」
「私にあの子の心理状態が理解できるわけがありません」
「情緒不安定なんじゃないっすか?」
キッパリと、だが呆れたように言うホークアイ。更に寄って来たハボックがぼそりと一言付け加えた。
ハァとロイがため息をつく。
「で。落ち着いたか? 何があったと言うんだ」
「そうなんだよ。ちょっと聞いてよロイ」
「普通に会話始めるんすね」
ハボックがため息をついた。
「私さー、この間会議あるって言ってたじゃん? あれ、ロイに言ったっけ? まあ、あったわけだよ。あれ、異動とかの会議だったのね?」
「ああ。それで私の異動が決定したわけだな」
「そう! そうなんだよ!!」
ふむと頷くロイに、がビシッと勢いよく指を突き付けた。
「その時の会議ではそれで決定、オールオッケーだったわけ!! ロイの後にはハクロ将軍が行く事になったし! でも!! 私が中央勤務になるなんて一言も聞いてなーいッ!!!」
一度落ち着いたにも関わらず再び叫び出す。
「え? お前、地方周り無くなったの?」
「そ・う・な・ん・だ・よ!!」
ぽろっと口にしてしまった疑問の言葉に、はニッコリと額に青筋を浮かべながら振り返った。そしてガッとハボックの首を掴む。
「その会議ではそんな話題も出たけど私は軽やかに笑顔でスルーしたっつーか絶対拒否したはずなのに何でこんな事になってんだっていうかもしかしたらあまりにも遠まわしに拒否したためにあのオヤジどものかったい頭じゃ理解出来なかったのかもしれないなーそりゃそうだよねあの頭でっかちのオヤジ達が私の真意なんて理解出来るはずもないっつーよりされたくもないわハッハッハーだ!!」
「え……笑顔で人の首絞めんじゃねぇ……!」
「というより、ワンブレスでそこまで言える君に拍手を送りたい気分でいっぱいだ」
ハボックが顔を青くする。ロイはあの役が自分じゃなくて心底良かったと思った。
「まあまあ、とりあえず落ち着きたまえ。そこまで取り乱すことなのか?」
はハボックの首から手を離した。表情は相変わらず不機嫌だ。
「私がいない間に勝手に決定されたことが気に食わない」
「……別にいいじゃん」
「私、これでも将軍なの! 将軍! 上から四つ目の地位にいるの! なのに何でこんなに私無視なわけ!? ありえない!!」
またロイのデスクをバンバンと叩きながらは叫ぶ。だが、それもすぐに収まる。
「そうだよ、ありえないよ……。いくら意見があったからって、大総統がそう簡単に決定するわけないじゃない……」
眉間に皺を寄せ、怪訝そうな顔になる。ロイも目を細めた。
「……何か裏があると?」
「確信は無い。ただ変だと思っただけ」
否定するように首を振る。そう、別に確信があるわけではないのだ。
だが、ここ最近の出来事を照らし合わせると……――
怪我をしただけで一ヶ月の出勤停止。
南部での大総統直々の制圧。
そして今回のの突然の異動。
ただの偶然なのか。それともただの杞憂なのか?
「はーあ。言うだけ言ったらすっきりした」
は自分の考えを口に出すことはしなかった。確信の無い事は言わない。ロイには関係のないことだ。
コキッと首をならし、はぐっと伸びをする。
「じゃあね」
「それだけの為にここに来たのか」
「うん」
ひらひらと手を振って司令室を出ていこうとするに、ロイからのツッコミが入った。だが、実際用はそれだけだった。ようは愚痴を言いに来ただけなのだ。
「あ、異動おめでと。中央は前みたいにサボれないから真面目に仕事やれよ。じゃねー」
あまりにも適当に、は手を振ると執務室から何事もなかったかのように出て行った。あれだけ騒いだのは一体なんだったのか。
嵐が去った、と誰かが言った。