25.地下水道の惨劇






「うひー、やべえやべえ。思ってたより人数連れて来てたな大総統」

 薄暗い地下水道を歩きながらは呟く。侵入する時にも通ってきた、デビルズネストの排気口に繋がっている地下水道である。
 置いてきたエドワードにはイズミの家に帰ったら怒られるであろうことを覚悟し、その前にイズミに殺されるかもしれない事態が待っていることを思い出して肩を落とした。
 足が来た時より重い。新しい怪我は多くはないものの、治りかけていた傷に無理をさせてしまった。無理に動かした右腕が特に痛い。は思わずため息をついた。

「ああ、くそ。さっきの所でくたばってりゃ、楽に死ねたなぁロア。まったく、ツイてねー」

 遠くから声が聞こえ、は足を止めた。閉鎖された空間で声は反響する。まだ声の主の男との距離は十分にある。僅かに掠れている声、台詞から、怪我をしていると予想する。は耳を澄ました。

「尻尾を巻いて逃げてもいいぞ、ドルチェット」

 違う男の声だ。

「そうしたいところだが、ご主人様があんなじゃなぁ……いやになるぜ、犬ってのは忠誠心が強くってよぉ」

 最初の声の男がドルチェット。そしてもう一人いる。そして、ご主人様と呼ばれた人物が少なくとも近くにいる。更にご主人様に何かをし、二人が対峙している相手がもう一人以上いることは確かだ。
 バキン。金属が壊れる音が二回、通路の壁に反響した。

「まだ中にいるんだろ? そいつ逃がしてやってくれ」

 ドルチェットが言った。

「たのんだぞ」

 もう一人が言った。
 とても、優しい声だった。
 声をかけられた誰か。守られた誰か。思ったよりも人数が多い。

「「ぬぉおぉおおおおおらぁああ!!」」

 二人が吼えた。
 音が聞こえた。何かが水路に落ちた。水の波紋はが立っている場所まで広がってきた。
 鋼が叩かれる音が響く。必死に叩く音が聞こえる。

「開けろ!!!」
「ダメだ!!!」

 その声は、守られた女性と、知り合いのものだった。

「アル……」

 状況を整理する。
 誰かがアルフォンスの中に入っている。ご主人様とは恐らくグリードのことだろう。グリードの姿を見て、ドルチェットともう一人が死を覚悟で挑んだ。これは、アルフォンスの中にいる人物だけでも逃がして欲しいという台詞から導き出せる。
 そして、二人は誰かに一瞬で殺された。

「おいおい、ブラッドレイさんよ。どうしてくれんだ。俺の部下をこんなにしちまってよ」

 喧噪がおさまった静寂の中で、グリードの声が聞こえた。

「大総統……!?」

 は駆けだした。まずい。アルフォンスはまだ大総統の前にいる。

「情だぁ!? 阿呆か!! 俺を誰だと思ってんだ!! 強欲のグリード様だぞ!?」

 走るの足音が反響する中でも、グリードの叫び声は聞こえ続けた。

「金も女も部下も、何もかも俺の所有物なんだよ。みんな俺の物なんだよ。だから俺は俺の所有物を見捨てねえ!! なんせ、欲が深いからなあ!!」
「強欲!!! ますますくだらん!!!」

 大総統の声が聞こえた後、水音がまた聞こえた。どちらが負けたのかは考えるまでもない。軍のトップは化け物かと思う程に現役だ。
 は走る。怪我の痛みなど気にするな。
 が現場に辿り着いた時、アルフォンスが大総統の首を絞め上げているところだった。

「アル!?」

 違う。アルフォンスの中に人がいるのだった。

「だめだ、マーテルさん!! やめるんだ!!」
「ブラッドレイ!!!」

 アルフォンスの中から女性の悲痛な叫びが聞こえた。
 大総統の手が動く。

「おやめください大総統!!」

 が手を伸ばした。
 伸ばしただけだった。
 アルフォンスの鎧の中に、瞬時に大総統の剣が刺しこまれた。大総統は並ぶ者のいない程の剣の達人だ。が止める間など、ありはしなかった。
 アルフォンスの鎧の隙間から血が噴き出した。勿論、アルフォンスは血は流さない。マーテルという女性が、今死んだ。

「何故君がここにいる、将軍」

 アルフォンスに刺しこんだ剣を抜きながら、大総統が静かに問いかけた。

「君にはしばらくの間、軍事に関わることを禁じたはずだが」
「友人を助けに来るのが軍に関わることになると? 今回の軍の突入は私の与り知らない事です」
「いや。それならば構わん」

 大総統は剣の血を拭い、鞘へと戻した。

「……なぜ、殺したのですか」

 感情の無い声。怒り。悲しみ。そう言った感情が表に出てこないよう、必死に堪えているようだった。

「私に害をなす者を排除したまでだ」
「排除。排除ですか。閣下はいつも敵に対してそう言いますね」
「何を疑問に思っているのかはわからんが。軍に歯向かう逆賊は排除すべき対象である。……君にもそう教えたはずだが?」

 は答えなかった。大総統の隣を横切って、アルフォンスの前に膝をつく。

「アル」

 呼びかけても、反応は無かった。

「アル? アル!!」

 ガツンと鎧を叩いてみても変わらない。アルフォンスから反応は返って来なかった。こんなことが今まであったか? 彼はそもそも眠らないはずだ。意識を失うなんてことがあるはずがない。
 がもう一度名前を呼ぼうとした時、何人もの足音が近づいてくるのが聞こえた。

「大総統閣下! ご無事ですか!?」

 アームストロングだった。怪我をしたらしく、額に包帯が巻いてある。アームストロングはこの場にいるはずのない姿を見つけて、目を見開いた。

……いえ、将軍閣下……なぜここに?」

 戸惑いながらアームストロングが尋ねる。

「少佐、アルを上まで運んで」

 が立ちあがりながら言った。

「中に女性がいる。丁重にね」
「う、うむ……」
「他の人は彼らを運ぶのを手伝って」

 淡々とが指示を出す。それは、将軍であるであった。

「運ぶ、ですか? 将軍、この死体をどうするのですか?」

 水路に沈む二人の死体を見ながら、兵が尋ねた。

「埋葬する」

 は簡潔に答えた。

「埋葬、ですか」
「いいから黙って運びなさい」

 将軍命令は絶対である。兵達は返事をし、ばしゃばしゃと音をさせて水の中へ入って行った。
 の指示に対して大総統は何も言わず、黙って歩き始めていた。
 アームストロングがアルフォンスを担ぎ、兵たちがバラバラになった死体を運ぶ。も後に続いて歩き始めた。

 デビルズネストに戻ってきた。エドワードは手当を終えており、担がれてきたアルフォンスを見て目を見開いた。

「アル!」
「意識がないのだ」

 アームストロングが答えながらアルフォンスを壁際へと座らせた。

「意識がない? そんなことがあるかよ! アル! おい、アル!」
「少々良いか、エドワード・エルリック。中から人を出さねばならなくてな」
「中……?」

 アームストロングがアルフォンスの胴を開けた。ぐらりと血まみれの女性が倒れてきて、エドワードは息をのんだ。アームストロングが女性を引きずり出し、少し離れた場所に寝かせ、他の兵がその上に布を被せた。水路から運んできた死体にも同じように布を被せる。バラバラの死体に被せた布は、ずいぶんといびつな形となった。

「アル! しっかりしろ! アル!」

 エドワードがアルフォンスをガンガンと叩き始めた。アルフォンスは未だ無反応だった。

「おい!! 返事しろよ!!」
「兄……さん?」

 エドワードの悲痛な叫びが届いたのか、弱弱しくアルフォンスが反応を示した。

「大丈夫か!?」
「兄さんこそ、そんな血まみれで……」

 そう言って、アルフォンスははっと自分の姿に気が付く。大量の血が自分の身に付着していた。目の前には死体が三人分。その中の一人は、先程まで自分の中に入っていた女性だった。

「勝手に開けて引っ張り出させてもらった」

 アームストロングが言った。

「助け……られなかった……」

 両手で顔を覆い、苦しそうにアルフォンスが言った。

「すまんな」

 アームストロングが呟いた。
 一瞬俯いて、顔をあげたエドワードが困ったように笑みを浮かべた。

「アルは悪くないよ。さ、帰ろう。師匠が待ってる」
「……うん」

 アルフォンスが力無く頷いた。

「待ちたまえ」

 突然大総統の声が響く。エドワードとアームストロングが振り返った。

「君達には聞かねばならん事がある」

 後ろで手を組み、ゆっくりと歩いてくる。

「ここの黒幕……ウロボロスの印を持つ男と、何か取引をしたかね?」

 まるで威嚇するような目でエドワードを見る。

「何も」
「重要な情報を聞き出したりは?」

 エドワードが首を振る。

「……何も。軍の利益になるような事は……」
「勘違いするな。軍のためではない。もし奴らと取引をしていたら、場合によっては君達を始末せねばならんからだ」

 大総統が言った途端、周りの兵達が銃を構えた。エドワードが銃を持った兵を睨みつける。

「軍の中枢に害なす奴らと、利害関係にあるならば……」
「ありませんよ。他に質問は?」

 大総統の言葉をエドワードが遮る。少し黙り込んだ後、大総統はエドワードとアルフォンスを交互に見た。

「キミの鋼の腕と弟の鎧姿……何か関係があるのかね?」

 エドワードが目を見開く。何も答えはしなかった。だが、否定することもなく、ただ黙って大総統を見ていた。

「……正直者だな」

 ふっと大総統が笑った。何を言われるかとエドワードが身構えた時。

「大総統」

 突然二人に聞き覚えのある声がした。が兵達の間から歩いて出てきた。エドワードとアルフォンスは驚いた。エドワードはてっきり帰ったものだと思っていたし、アルフォンスに至ってはが来ていたことすら知らない。

「もう良いでしょう。彼らも疲れています」

 感情の無いような声で、二人を見ずにそう言った。

「うむ。引き上げるぞ」

 大総統が頷いて、後ろの兵にそう告げる。それから再びを見た。

「将軍。彼らを埋葬すると言っていたな。兵達は好きに使いたまえ」
「あ、はい。ありがとうございます」

 思いがけない事を言われ、驚いて目を見開くが、すぐに礼をする。大総統は微笑みながら、構わん、と一言言った。

「君のその弟。大切にしたまえよ」

 エドワードにそう一言言うと、大総統は片手を上げ、部屋から出て行った。
 しばらくエドワードもアルフォンスも一言も喋らなかった。ただ、淡々と指示を出していくを見ていた。
 そのまま、はエドワードと一言も会話をせぬまま、デビルズネストを後にした。