は店先でぼーっとしながら箒で掃いていた。ほとんど手が動いていない。
 ウロボロスの入れ墨をしたホムンクルスは一体何人いるのか。少なくとも組織で動いている。ヒューズが殺された原因である、各地の内乱と賢者の石の関係は未だわからない。
 エドワードがホムンクルスと出会ったのはいつか。怪我をして入院をしていた時。第五研究所への侵入時の可能性が高いか。第五研究所の責任者は先日スカーに殺害されたグラン准将だ。准将亡き後の責任者はまだ決まっていない。
 既に稼働していない第五研究所には何があった? エドワードだけではなくアームストロングですら言葉にしないものとは何だ? 何故軍の施設にホムンクルスがいた? 第五研究所はエドワード達が侵入した際に崩壊して、そこに何があったのか今ではもう確認するすべがない。

「軍とホムンクルスが関係がある可能性……」

 そうであれば、ヒューズが殺された原因とは。一般軍人には知られずに行っていたから。そんなヒューズが知りすぎてしまったから殺された。何を知った?
 そこで、冒頭に戻ってしまう。各地の内乱と賢者の石が何故関係があるのかがまったくわからない。
 振り返る。メイスンが店番をしている。イズミとシグは家の中だ。
 こっそりと箒を軒先に置いて、後でイズミに怒られることとご飯抜きも覚悟して、は静かにその場を離れた。

「すみません」

 近くを歩いていた男性に声をかける。

「『デビルズネスト』って酒場の場所、教えてもらえますか?」




24.デビルズネスト





「なんっで、軍の人間がいるかなあ……!」

 はデビルズネストの正面から突入する予定だった。しかし、何故か正面入口は武装した軍の人間たちが封鎖していた。仕方なく、は裏手へ周り、排気口からの侵入を試みていた。

「この辺でいいか」

 足下の格子から明かりが見える。はそれを勢いよく足で突き落とした。ガシャアンと大きな音が響くが、まだ軍の人間はここまで入って来てはいないようである。敵中であれば問題はない。
 そうしてはスタンと天井から床へと降り立った。怪我は見た目ほど痛みは無い。軽く肋骨と右腕に痛みが走っただけだった。
 広い部屋だ、と思って周囲を見渡すと見知った顔と目が合った。

「お、エド発見」
「な、は、ええ!?」

 エドワードは驚いた表情でを壊れた機械鎧で指差していた。その指がわなわなと震えているのは見なかったことにするが、見るべきは機械鎧の壊れ具合だ。装甲は剥がれ、配線が剥き出しになっている。そしてに負けず劣らずの怪我だらけである。

「おまっ、何つーところから入って来てんだよ! いや、それより一体何しに……!?」
「いやー正面から堂々と入ってやろうと思ったんだけど、予定外な事が起こったもんだから、裏から回ってきたんだよね。いやーまいったまいった」

 軽い失敗談を話すようには言う。そして、は振り返った。そこにいるのは、全身が文字通り黒い人物。人の形はしているが、到底人間とは言えない風貌をしていた。

「こんにちは、グリードさん?」
「ああ、こんにちは、流水の錬金術師」

 丁寧に挨拶を返して、ホムンクルスのグリードはニヤリと笑った。

「有名人は困り者だね」

 名乗ってもいないのに二つ名を当てられ、は肩を竦めた。突如、の周囲に冷気が漂った。の周囲に象られた二酸化炭素の氷の刃は、が手を振ると同時にグリードへと飛んだ。グリードは驚きもせず、身動きすらしなかった。刃はすべてその黒い体に弾かれた。

「ふうん。硬化の能力」

 も驚きはしなかった。ホムンクルス達がそれぞれ独自の能力を身に着けていることは既に理解している。

「何だよ、驚かないのか。つまらねえな」
「既に二人程お仲間さんに会ってるからね」

 その言葉に驚いたのはエドワードだった。

「な、! お前いつのまにホムンクルスのやつらと……!?」
「私が過激派如きにここまでやられると本当に思ってたの」

 は振り返らずに答えた。エドワードが息を呑む。の怪我が、ホムンクルス達にやられたものであると気付く。

「第五研究所で会ったのはこいつ?」

 が問う。

、なんで……」
「ハッハア! 大体話はわかったぜ。お前らは他の奴らに会ったことがある。しかも、相当手酷くやられたと見た。今の鋼の錬金術師みたいになあ!」
「じゃあ、あんたは第五研究所にはいなかったの」
「俺ぁここを根城にしている。中央のことは知らねーな」

 あっそう、とは興味なさそうに言った。元からこの男が中央と行き来しているとは思っていなかった。わざわざダブリスという南部の町を根城にしているところから見て、同じホムンクルスでも単独行動を行っていると見られる。

「あんたが単独行動しているとしても、奴らがやろうとしていることぐらい知ってるでしょ」
「ああ、興味がねーから教えてやってもいいんだけどな」

 グリードがにやりと笑う。

「タダで教えてやるのは面白味に欠けるよなあ?」

 はそれを聞いて、右腕をつっていた白い布を解いて放り投げた。そして長い髪を低い位置で結ぶ。その間に、エドワードが隣に立っていた。

「お前、怪我酷いんじゃねーのかよ」
「今のエドと変わらないくらいだよ」

 そうお互いに言って、構えた。

「二対一。いいねえ、悪くない」

 左右からとエドワードはグリードに向かった。は氷の剣を、エドワードは刃に錬成した機械鎧で攻めていく。だが、刃はグリードの肌に傷一つつけることはできない。硬化の能力は伊達ではなかった。

「っとに硬い!」

 砕かれる剣を再錬成させながらが毒づく。

「ハッハァ! そうだ! ダブリスに来てたならあんたも呼べば良かったよなあ、流水の錬金術師!」

 振り下ろされた氷の剣を鷲掴み、グリードはぐいっとに顔を近づけた。

「あんたも一度死んでから生き返ったんだからよ」
「「!!?」」

 は剣を捨てて背後へと後退した。驚愕の表情を浮かべ、はグリードを見つめる。

「な、なんであんたが……」
「知ってるかって? ハッ! 知ってるとも! あんたがシュウ・ライヤーに生き返らされたってなァ!!」
「っ!!」

 は無意識にじりと更に後退する。

「おい、……お前、それ、どういう……」

 グリードを挟んで逆側で唖然として立ち尽くすエドワードが声を震わせた。一度死んで、生き返った? シュウ・ライヤー? エドワードにはわからないことばかりだった。

「うん? 何だ、知らねェのか」

 グリードはの剣を放り捨ててエドワードの方に振り返った。

「こいつは……」

 パキンッ。
 急激な冷気が足下を走った。グリードの足が凍る。エドワードが思わず後退する。エドワードの息が白くなる程の冷気だった。

「無駄だな」

 グリードが足を動かせば、氷はいとも容易く破壊される。は何も言わずにただグリードを睨みつけていた。

「……他のやつらと関わってないなら用は無いと思ってたけど、気が変わった」

 低い声でが言う。再び剣を錬成し、構える。

「どこでそれを知ったのか吐いて貰おうか」

 が剣を振るう。だがやはり剣は通らない。エドワードも攻撃を再開する。
 は剣を振るうのをやめ、右手を頭上へと掲げた。頭上の空気中にある水蒸気に圧力をかけ、一気に冷却をする。室内に出来た雲から、小さな氷粒が降り注いだ。

「なんだァ?」

 頭や体にパチパチと当たる氷粒を見て、グリードは頭上を見た。

「エド下がって!」

 エドワードが瞬時に下がった時、ピリ、と肌に静電気が走るのを感じた。

「落ちろ!」

 が手を振り下ろすと同時、稲妻がグリードの脳天を直撃した。

「う、お」

 グリードがふらつく。

「雷……? そうか、雲の中の氷粒が衝突して静電気が発生したのか」

 エドワードが納得したように呟く。雷は、雲の中の氷粒同士の衝突で静電気が発生し、それが蓄積することで発生する。

「ったく、どこが流水の錬金術師だっつんだ……。なかなか面白ェ攻撃だが効かないねェ」

 そう言うと、グリードは一気に距離を詰め、の脇腹に膝を叩きこんだ。

「ガッ……!」

 は軽々と吹き飛ばされ、受け身も取れずに床に叩きつけられた。

!」
「他人の心配してる場合か?」

 エドワードも胸倉を掴まれ、そのまま投げられた。積んだ木箱に背中から突っ込み、呼吸が一瞬止まる。

「さぁて、魂の秘密を教えて貰おうか」

 木箱の中で動けなくなっているエドワードの胸倉を掴んで持ち上げ、グリードが言った。

「エドッ!」

 名前を呼び、は咳き込んだ。
 エドワードは静かだった。

「ありがとよ」
「はあ?」
「頭に上ってた血が少ーし抜けて、脳味噌が冴えてきた。身体も少し軽くなった」

 エドワードの機械鎧は装甲が剥がれて配線が剥き出しになっている。

「さすがうちの整備師だ。こんなんなってもまだ動く」

 エドワードは眼光鋭く睨みつけると、両手を勢いよく合わせた。両手を胸倉を掴んでいるグリードの右腕に当てると、バチィという錬成光が放たれた。

「うおっ!?」

 反射的に手を離され、エドワードは床に放り出される。

「まだ抵抗するかよ」

 グリードは呆れたように言う。

「あーもう、これで、大人しく寝てろ!」

 グリードが右拳をエドワードへ向ける。エドワードは自身の機械鎧を再錬成し、ナックルのように棘を生やした。拳と拳がぶつかり合う。
 バキィッと音がした。
 エドワードの拳が、グリードの拳にめり込んでいた。硬かったはずの黒い装甲のような肌は剥がれている。グリードが異常事態に、すぐさま後退する。

「なんで……」

 も唖然として声を漏らした。

「簡単な話だ。こいつら人造人間は、身体の構成物質はオレ達と同じなんだとよ」

 エドワードが説明すると、はすぐに理解したように表情を変えた。

「はぁん……なるほど? つまり……」

 は再び氷の錬成を行った。薄い刃で上下左右、360度グリードを囲み、が手を振ると同時にグリードに降り注いだ。

「ぐっ……!?」

 グリードの硬い肌に傷がついた。

「ビンゴ」

 がパチンと指を鳴らす。

「でもエドの方が効率いいね。任せた」
「おう!」

 エドワードは既に両手を合わせていた。何度もグリードの体に触れ、攻撃を行うことを繰り返す。グリードの硬い装甲はまるで存在しないように攻撃は次々にダメージとして現れる。

「俺の盾に何をしやがった……!!」
「考えてみりゃ簡単な事だ。無から有は作り出せない。すなわち、その『盾』とやらもどっかからひねり出してるってこった」
「身体の構成物質が私たちと同じなら簡単。人体の構成物質で高硬度、耐摩耗性質に変化しうる物質は一つしかない。それは人体の三分の一を占める、炭素」

 エドワードとが視線を合わせ、笑みを向ける。答えは互いに同じだった。

「炭素原子は結合の度合いによって硬度が変化する。それこそ鉛筆の芯からダイヤモンド並にまでな」
「そして単結晶であるダイヤモンドにはへき開性がある。ある特定の面に垂直な方向の原子間の結合力が弱いから、360度どこからでも完璧に硬いわけじゃあない」

 の攻撃で傷がついたのはこのへき開性のためだった。

「仕組みがわかりゃ、あとはオレ達の分野だ」

 血を拭いながらエドワードが言った。

「ハッハァ! いいぞ!! こうでなくっちゃ面白くねえ!!」

 エドワードはグリードの拳を受け止め、腹部にもう片手を当てる。

「そして!! 今わかった事がひとつ!!」

 右肘をグリードの脇腹に叩きこんだ。

「硬化と再生を一度にする事はできない!」

 吹き飛ばされるグリードの脇腹はボロボロに崩れていた。

「さあて、これで私も参戦できるかなあ?」

 再び氷の剣を錬成し、は一歩ずつグリードへと近づいていく。エドワードが炭素結合を分解し、そこに二人で攻撃を叩きこむ。

「がっはっはァ! ただの猪突猛進なバカガキ達かと思ったら、いやはや」

 グリードは二人へと目を向ける。

「おまえら気に入ったぜ! だが戦うにゃちと相性が悪いな」

 そう言って、ニヤリと笑った。

「逃げさせてもらう」
「な」

 ちょうどよく、バンッと部屋の扉が開いた。銃を持って入って来たのは軍の者達だった。

「少年発見!」
「ハッハア! じゃあな、ガキ共!」
「あっ、待て!」

 発砲された銃弾はグリードの盾によって弾かれた。
 グリードはダンッと床を蹴って跳びあがり、天井にある排気口――が侵入してきたところ――へと逃げ込んでいった。
 追おうとするエドワードを軍人が捕まえた。

「少年は保護した!」
「はなせ!!」
「こら!! 君を助けに来たんだぞ!! 暴れちゃいかん!!」
「あいつには聞かなきゃならない事があるんだよ!! はなせー!!」

 エドワードが叫びながらバタバタと騒ぐが、がっちりと捕まってしまいグリードを追うことは出来ないようだった。
 は腕を組み、俯きながら思考をめぐらせる。
 ここに来てウロボロスの入れ墨を持つ者と接触すれば、何か手掛かりが得られるかもしれないと思った。だが、グリードは組織として行動しているようには見えなかった。回りくどい事をせずに、直接私利私欲のために不死の方法を探している点もそうだ。が先に会っていた二人とは、同じ組織に属していながらも別行動をとっているとみるのが正しいか。
 人造人間。ホムンクルス。身体の構成物質は人間と変わらない。であれば、前に会った二人も同様で、炭素を用いた長い爪による攻撃をする女、どの人間も構成物質が同じであることを利用した変身する者、と説明がつく。次に会った時に対処がしやすくなったと思えば良いか。

「あれ? あなたは、将軍?」

 突然声をかけられて、思考を中断し顔を上げる。数人の軍人がを見ていた。奥では未だにエドワードが暴れている。

将軍ではありませんか! 何故、このようなところに……?」

 騒がしかった部屋の中が明らかに静かになった。に視線が集中している。
 はゴホンと咳払いすると、真剣な表情を皆へと向けた。

「私はここにいなかった、ということに」
「は?」

 が右手を前に出した。錬成光。

「うわっ!?」
「なんだ!?」

 水蒸気が辺りに充満し、視界が悪くなる。

「エド! 後は任せた!」

 足音との声が響く。

「あっ! てめぇ、逃げんな!!」

 水蒸気が消えた頃、の姿はもうどこにもなかった。