17.目が覚めて





 あたたかい。最初に感じたのは、それだった。
 重い瞼をゆっくりと開けると、視界に白が映った。しばらくして、それが天井であることに気がつく。少し視線を横へ移すと、白い壁とドア。壁際の棚に、血塗れで変色した軍服とコートが置かれているのが目に入る。逆側には窓にカーテン。外は明るく、少なくとも夜ではないということは理解できた。そしてベッド脇に点滴があり、その管が自身の左腕に伸びているということも確認できた。

「……病院、か……」

 掠れてはいたが、声は出るようだった。
 大きく呼吸をすると胸元と腹部が痛み、眉を寄せた。
 だがその痛みで、どうやら自分は生きているらしいと、ようやく思うことができた。てっきりあの路地で倒れたまま、死んだものと思っていたが。
 ドアが控えめにノックされ、目をドアの方へと向ける。ドアはが返事をする前に開かれた。

「む。目が覚めていたのか」
「少佐……」

 少し屈んでドアをくぐり、室内へと入って来たのはアームストロングだった。と目が合い、驚きの表情を向けた。

「えっ!? さん、気がついたんですか!?」

 廊下からそんな声が聞こえ、アームストロングの脇から見慣れた顔が覗いた。久方に見る部下、レイン・ハインド准尉だった。レインはを見て目を潤ませる。

さぁん!!」

 泣きながらベッドサイドへ駆け寄ってくる。レインはその勢いのまま抱きつこうとするが、の包帯を見て腕を広げたまま静止した。代わりに、潤んでいた瞳からぼろぼろと涙を零し、のベッドに縋りついた。

「うわああん良かったあああ!! このまま目が覚めなかったらどうしようかって、思って、ボクっ、ボクっ……!!」
「レイン……ごめん。心配かけた」

 点滴の繋がる左腕を伸ばし、泣くレインの黒髪を撫でる。真っ白なシーツを涙で濡らしながら、レインはこくこくと何度も頷いた。
 身近な人が死ぬ事の怖さは自身もよくわかっている。そんな想いを、自身がしたばかりだ。

「将軍、目を覚まされました?」

 アームストロングとレインに続いて、二人の軍人が病室に入って来た。急に人の増えた病室で、は目を丸くする。

「ロス少尉に、ブロッシュ軍曹まで……」

 自分の部下がいるのはわかるものの、アームストロングの部下の二人までいるのは何故だろう。

「昨夜の護衛は二人に頼んだのである」

 が疑問を口にする前に、アームストロングが言った。
 ロスが頷く。

「グラクシー少尉とハインド准尉に連絡が付きませんでしたので、我々が代わりに」
「すみません、昨日連絡いただいた時間にはもう寝てまして……」

 立ち上がったレインが、しゅんとしながら申し訳無さそうに言った。俯くのと同時に、肩ほどの黒髪が揺れた。
 ロスの言葉を聞いて、そうなのだろうとも予想がついた。レインは21時にはすっかり寝てしまう健康生活を送っていることは、も知っている。

「グラクシー少尉にも連絡がつきましたので、いずれ見えられるかと」

 もう一人の部下の姿は見えなかったが、こちらが何故いないのかも、ロスが若干不機嫌そうに言った事から大よそ予想がついた。

「ハインド准尉、グラクシー少尉が来たら二人と護衛の交代を頼む」
「はい!」

 アームストロングの言葉に、レインは目元を拭い、しっかりと頷いた。
 護衛、そうか護衛か。動かない右腕を思い出して、は静かに息を吐く。護衛をつけなければならない程、今の自分は動くこともままならないのだ。
 それにしても、と切り出したのはブロッシュだった。

将軍をそこまで追いやる相手とは……まさか相手はヒューズ准将の……」
「軍曹!」

 ブロッシュの言葉を、ロスが厳しい口調で遮った。
 沈黙が下りる。

「あ、いえ、失礼しました……」

 は何も答えず、四人から目を逸らした。
 アームストロングがため息をつく。

「生きているのが奇跡な程の怪我なのだ。しばし静養した後、詳しく話を聞かせて貰うから、そのつもりでいるように」
「……うん」

 の小さな返事に納得したように頷くと、アームストロングはびしっとを指差した。

「良いな。絶対安静であるぞ。三人も、に無理はさせぬよう」
「わかっております」

 ロスとブロッシュ、そしてレインが頷いた。

「我輩は司令部へと戻る。後は頼んだぞ」
「はっ」

 三人が敬礼をすると、アームストロングは病室を出て行った。

「じゃあ、さん。ボク達廊下にいますので、ゆっくり休んでくださいね」
「何かありましたら、遠慮なくお声かけください」
「ありがとう」

 笑みを浮かべて礼を言うと、三人も病室を出て行き、ドアが閉まった。ドア越しに小さく話し声が聞こえる。

「……」

 笑顔を消したは、再び天井を見つめ、そして目を閉じた。
 先程の話から、まだ一晩しか経っていないということがわかった。あれだけの怪我をして一晩で目が覚めるとは、自分の身体も随分と丈夫に出来ているようだ。
 昨夜の一連の流れを思い出し、は窓際へと目を向けた。


「うーっす」

 数時間後、そんな緩い声が病院の廊下に響いた。軍服の前を留めず、ポケットに両手を入れてだるそうに歩いてくるのは、長いアッシュブロンドの髪を低い位置で一本に結った男だった。

「グラクシー少尉!」
「リッドくん! 遅いよもー!」

 ロスに続いてレインが声を上げた。リッドは面倒そうに眉を寄せる。

「うるせーな。で? なんかうちの将軍が怪我したって聞いてきたんだけど?」
「怪我なんてもんじゃないですよ! もう重傷です! 生きてるのが不思議なくらいなんですから!」

 何をそんな呑気に! と責めるように、ブロッシュが言った。そこで初めてリッドの表情が驚きへと変わる。

「は? マジで? そんなに?」
「ええ。だから昨晩あなたとハインド准尉にも連絡入れたのに、二人とも連絡が取れなかったのだけど……?」

 じとりとリッドを睨みながらロスが言う。

「リッドくん、また飲みに行ってたんでしょ」

 ロスと似た表情でレインも言うが、リッドは眉を寄せて睨んで返す。

「そうだけど、何か文句あんのかよ。てめーはどうせ寝てたんだろうがよ」

 二人はしばし睨み合う。
 が中央司令部に立ち寄った時は既に帰宅済みだった二人の部下は、一人は就寝時間が早く、もう一人は遅くまで飲みに出ていたとのことだった。

「まあまあ……お二人が揃いましたし、僕らは戻りましょうか」

 険悪な雰囲気をどうにかしようと、ブロッシュがそう声をかけた。
 の二人の部下の相変わらずな様子に呆れてため息をつき、ロスも頷いた。

「そうね。将軍に声をかけてから……」

 その声は、ドアを開く音にかき消された。

「はよっすー」
「グラクシー少尉!? あなたねえ! 上官の、しかも女性の病室にノックもなしに……!!」
「あ?」

 背後で怒鳴るロスの声も気にせず、ドアを開けた状態でリッドは室内を見て静止する。

「おい。どこにうちの将軍がいるって?」

 低い声で問う。

「え?」

 リッドが開きかけのドアを大きく開けた。後ろの三人も病室内を見て、目を見開く。
 そこにはただベッドと、繋がる先の無くなった点滴があるだけだった。

「あれ? さんがいない!?」

 レインが悲鳴のような声で叫んだ。
 あっ! とブロッシュが声を上げた。

「ここに置いてあった軍服とコートが無くなってます!」

 病室に置いてある棚を指さし、ブロッシュが言った。怪我をした際に着ていた、血塗れで変色してしまった服だ。
 ドアの前には三人が離れずついていた。となれば、と四人が目を向けた先の窓は明いており、カーテンが風に揺れていた。

「一体どこに……歩き回れる体じゃないのに」
「あああ、今度こそ職務怠慢で少佐に怒られるー!!」
「ど、どうしよう!? どうしよう!?」

 ロスが額を押さえ、ブロッシュは頭を抱えた。レインは今にも泣きそうな表情で、ただおろおろとしている。
 そんな中で、ただ一人冷静だったのはリッドだった。

「最後に見たの何時間前だ」

 問いかける。
 え、と声を漏らし、ロスが病室内の時計に目を向けた。

「三時間程前かしら……」

 朝が目を覚ました時に挨拶してから、顔は合わせていない。今はもう正午を過ぎたところだ。

「ロスちゃんとお前、アームストロング少佐に連絡。レイン、現場とヒューズ准将の墓見て来い」

 三人を順に指さし、リッドが指示を出した。はあ、とブロッシュが声を漏らす。

「リッドくんは?」

 病室から出て行こうとするリッドの背に、レインが問いかけた。

「俺は家見てから駅行って来る」
「駅?」
「マスタング大佐んとこ行ってるかもしれねえだろ。それに、どこに行くにしろ、入院着や血塗れの軍服着て歩きまわる程あのガキは馬鹿じゃねえ。……三時間前じゃもうどっちにもいないかもしれねえけどな」

 そこまで言って、リッドは面倒そうに舌打ちした。

「あんのクソガキ……手間かけさせやがって」

 低くそう呟くと、リッドは病室から走って出て行った。はっとして、その後をレインが追うようにして出て行く。
 残されたロスとブロッシュは、顔を見合わせる他無かった。
 ひとまずリッドの言うとおり、アームストロングに連絡せねばならない。この様子ではが病院に戻って来る事も無いだろうと、二人はその場を離れ、直接司令部へ行くことにした。

「なぬ!? がいなくなっただと!?」

 中央司令部で報告を受けたアームストロングが驚きの声を上げた。
 の怪我の状態は医師からはっきりと聞いている。身体中の切り傷に加えて、腹部、胸部への二発の銃創……こちらは運良く二発とも貫通していたが、内臓と肋骨に損傷を与えていた。何より酷いのは、右腕の怪我だった。複数個所の刺し傷は骨にまで影響を与えており、完治に数ヶ月はかかるだろうとの事だった。
 出血量が酷く、一晩で意識が戻った事も奇跡に近い。到底、動いて回れる身体ではないのだ。

「すみません、三人もついていながら……」

 ロスとブロッシュが申し訳無さそうに謝罪した。

「連れ出されたわけではあるまい?」
「はい。自分から出て行ったようで……」

 軍服が無くなっていた事と窓が開いていたことを告げると、アームストロングは腕を組んで唸った。

「病室を一階にしたのが間違いであったか……」
「まさか抜け出すとは思いませんでしたからね……」

 誰も彼女が動けるとは思っていなかったし、また犯人に狙われることを恐れるだろうと思っていた。だから、一階の病室であることに何も問題など無いと思っていた。

「彼女の部下達は?」

 ふと気が付いてアームストロングが問う。

「グラクシー少尉が将軍の自宅と駅を、ハインド准尉が事件現場とヒューズ准将のお墓の方を探しに行っています」
「駅?」

 ロスの説明に、アームストロングは首を傾げた。

「イーストシティへ……マスタング大佐のところへ行ったのではないかと、グラクシー少尉が」
「マスタング大佐……なるほど」

 十分に納得できる理由だった。ヒューズが死に、自身も重傷を負った今、彼女が頼りにする人間としてロイを選ぶという事はあながち間違いではないのかもしれないとアームストロングは思う。

「アームストロング少佐! 一般回線で、グラクシー少尉からお電話です!」

 司令部の中で、兵が受話器を片手にアームストロングを呼んだ。
 三人が急いで駆け寄り、アームストロングが兵から受話器を受け取った。

「グラクシー少尉か?」

 はい、と呼吸が荒い声が受話器越しに聞こえた。

『少佐。やっぱりうちの将軍、イーストシティ行きのチケット買ってました。汽車はもう発車してしまっています』

 ゲホゲホ、と咽る声が聞こえる。どうやら病院からの自宅、そして駅の間を全力で走ったようだ。彼がそこまで必死にの捜索を行なうとは思わず、アームストロングは少し意外に思いながらも頷いた。
 セントラルの将軍と言えば、街の多くの人間が知っている。駅の窓口で問いかければ、彼女が来たかどうかはすぐにわかるというものだ。

「むう。やはりマスタング大佐のところか……わかった、グラクシー少尉は一度司令部に戻って来るが良い。我輩が大佐へ連絡をしよう」
『了解っす。お願いします』

 リッドがそう返事をしたのを最後に電話が切れる。アームストロングは受話器を戻した。

「やはりイーストシティに向かったようだ」
「うお、グラクシー少尉の推理が当たった」

 ブロッシュが目を丸くした。
 何時発の汽車に乗ったかはわからないが、もうそろそろイーストシティに着く頃だろうか。そう思いながら、アームストロングは一度置いた受話器をもう一度取った。




 丁度、書類を届けにホークアイとハボックが執務室に来ている時だった。
 東方司令部にある執務室の電話が鳴り、ロイは受話器を取った。

『マスタング大佐。中央司令部のアームストロング少佐からです』
「少佐から? 繋げ」

 電話交換手の声が切れ、回線が繋ぎかえられた音が聞こえた。

「私だ」
『中央のアームストロングです。大佐、実は少々問題が発生しまして……』
「問題?」

 早口で、だが言い難そうな様子のアームストロングの口調に、ロイは眉を寄せる。ロイが復唱した言葉に、ホークアイとハボックもロイに目を向けた。

『……順を追って説明します。昨夜、が何者かと争い、重傷を負いました』
「何だと!?」

 ガタン! とロイは思わず立ち上がった。空になったコーヒーカップが机の上で倒れる。

は……あの子は無事なのか!?」

 捲くし立てるようにロイは問いかける。
 脳裏に、昨日のヒューズの葬儀の様子、そして夕方会ったの姿がフラッシュバックする。

『今朝目を覚ましまして、意識ははっきりしておりました』

 落ち着いた口調で、アームストロングは答えた。
 ただ、と言葉を続ける。

『怪我の程度は酷く、とても動けるような状態ではない……はずなのですが……勝手に窓から病院を抜け出したようで』
「な……」

 力が抜けたように、ロイは椅子にストンと座り込んだ。そして、受話器を持っていない方の手で眉間を押さえる。

「何をしているんだ一体っ……」
『グラクシー少尉がイーストシティ行きのチケットを買い、汽車に乗ったところまで駅で確認しました。それで大佐へご連絡をと思い』
「なるほど……状況はわかった。の方はこちらで保護しよう。彼女の部下へもそう伝えてくれ」
『わかりました。お願い致します』
「少佐」

 そのまま切れそうだった電話を引き止めるように、ロイは声をかけた。

「まさか犯人は、ヒューズを狙った者と同じというわけではないだろうな」

 低い声で問う。
 しばし考えるような間があった。

『……もまだ憔悴しきっていましたため、本人から犯人の詳細は聞けておりませんでした。しかし、その可能性は無いとは言えません。昨夜、彼女はヒューズ准将の足取りを確認するため、軍法会議所や現場へ足を運んでいたようでしたから』
「犯人達に目をつけられた、か」
『十分に有り得るかと』

 アームストロングの言葉を聞き、昨日と別れた時の事を思い出す。
 アームストロングから聞いた話はすべてへ伝えていた。その後、自分がイーストシティへ帰った後にも、彼女は一人ヒューズの事件を調べていたのだろう。自分が余計な事を話しただろうかとも思ったが、のことだ、言わずとも同様の内容を自ら調べだしたに違いない。その後の調査で自分が得なかったような何か情報を手に入れたのだろうか?

「犯人はまだわからないんだろう」
『ええ』

 犯人は複数人の組織。ただ、それが何処の誰かはわからない。その誰かわからなかったはずの者達にが襲われたのだとすれば、彼女は犯人達の姿を覚えているはずだ。

「……わかった。情報ありがとう、少佐。を保護したらまた連絡する」
『はい』

 よろしくお願いします、との言葉を最後に電話は切れる。ロイも受話器を置いた。

がどうかしたんですか?」

 黙って電話が終わるのを待っていたハボックが問いかけた。

「昨日、何者かと争って、動くのがままならない程の重傷を負ったらしい。それなのに、勝手に病院を抜け出して、現在イーストシティへ向かっているとのことだ」

 ロイは両手を組み、深く息を吐き出した。

「争った相手は恐らくヒューズを殺した者達」
「目を付けられたという事ですか」

 ホークアイの問いに、恐らく、とロイは答える。

「けど、それで何でこっちに……」

 言いかけて、ハボックは言葉を切った。それまで咥えたままだった煙草をで持ち、眉を寄せる。

「大佐、もしかして……」

 神妙な面持ちで問いかける。
 ロイは頷いた。

「ああ。……恐らく彼女の目的地は、ここではないだろう」

 ホークアイも目を細める。
 三人共、同じ意見だった。が向かっているのは、東方司令部でも、イーストシティでもない。

「車出します」

 真っ先にハボックがそう言った。
 目を丸くするロイに、ハボックは苦笑を返す。

「俺もあのじゃじゃ馬娘は心配っすから」
「ああ。悪いな」
「らしくない事言わないでくださいよ」

 肩を竦めると、ハボックは執務室を足早に出て行った。
 遅れてロイも立ち上がる。

「中尉。少し出てくる」

 コートを羽織ながらロイはホークアイへと言った。
 ホークアイは静かに頷いた。

「ええ。……どうぞ、行ってあげてください」

 その声は、とても優しい。

「すまない」

 ホークアイへ眉を下げて笑って返すと、ロイも執務室を出て行った。
 司令部を出ると、既にエンジンのかかった車が正面に停まっていた。運転席にハボックがいることを確認し、ロイは助手席のドアを開けて乗り込んだ。ハボックがアクセルを踏み込む。行き先の指示が無くても、二人が考えいている目的地は同じ場所であった。

「それにしても……もう四年ですか」

 煙草の煙を少し開けた窓から外へと流しながら、ハボックが言った。

「ああ……しかし、まだ四年だ」

 窓枠に肘をつき、外の景色を眺めつつロイは言う。

「あの子の心の傷が癒えるには、まだまだ時間は足りん」


―― ただいま

雨の中、血塗れの軍服で帰って来た少女の泣きそうな笑顔が、今でも忘れられない。