14.最後の
「脱線事故?」
が中央から西方の支部へと戻ってきて二日後の夕方。街の視察も終わったため、明日には別の司令部へ移動しようと思っていたところ、そんな話が耳に飛び込んできた。
状況確認のため走り回っている兵達を横目に、報告を受けている司令官である大佐の元へと歩み寄る。
「はい。レールが老朽化により歪んでいたようで、脱線し、林の中に突っ込んだそうです」
「場所は?」
「ランカスという町の近くで……ここです」
大佐へ報告を行っていた兵が、地方版の詳細地図を広げて場所を指で示す。
ランカスはこの街から三駅程先にある小さな町だった。被害状況を聞くと、怪我人が数人いるものの、地方路線であるため元々乗客は少なく、全員がランカスへと徒歩で移動を行なったとのことだ。一番近い司令部がここだったため、応援要請が来たらしい。
司令室では乗客名簿の作成、搬送先の病院や、怪我人の状況等をまとめるのに慌しく兵達が動き回っていた。
「それにしても、レールの老朽化……定期点検は行なってるんじゃないの?」
「そのはずですが……」
申し訳無さそうに大佐は言葉を濁す。各駅や路線の点検は鉄道会社の管轄である。司令部の方で詳細を把握できていないことが悪いことではないが、この地域を担当する鉄道会社の点検や報告が杜撰であったということは問題だ。後で詳細を問い詰める必要がある。
深くため息をつき、は頭を掻いた。
「仕方ない、行くか……。準備して」
「はっ!」
兵は敬礼すると、駆け足で司令室から出て行った。
「将軍、自ら行かれるのですか?」
驚いたように大佐が問いかける。
「レールが歪んでるんでしょ? さっさと直すなら、錬金術使うのが一番手っ取り早いよ」
だから自分が行って直す、とは言う。そういうことならば、と大佐も納得をした。この司令部に錬金術師はいないのだ。形が変わっただけであれば、元に戻せばいいだけ。難しい作業でもない。
「雨が降っていますし、お気をつけください。あの辺りは地盤が緩く、土砂崩れも頻繁に起こるところですから」
「ゲ。マジか」
大佐からの言葉に、は顔を引きつらせる。窓の外に目を向ければ、つい先程まで小降りだった雨も本格的に降り始めていた。
「まあ、精々巻き込まれないように注意するよ」
そう言って、は肩を竦めた。
コートを手に持ち司令室を出ると、現場へと向かう為の準備に追われる兵達が走り回っていた。小さな司令部だ。脱線事故一つでも、兵達にとっては大きな事件に変わりない。
もうしばらく準備にかかりそうだなと思ったところで、ふと数日前のセントラルでのことを思い出す。
病院でのことだ。ロスとブロッシュはその場にいたものの、ヒューズ達には声もかけずに帰って来てしまった。
ちょうど時間もあることだし、電話の一本でも入れておくか。そう思い、は電話のある場所へと向かった。
『……ってことで、わざわざ電話してきたのか? お前、意外と律儀だな』
「あんた私のこと何だと思ってんの?」
軍法会議所のヒューズへと電話をしてみれば、まさかそんなことで電話をしてくると思わなかったと本気で驚いた声で言われ、受話器を握る手に力が入った。
「エド達のことも気になったしね。あの後、特に問題なし?」
『ああ。つーか、あいつもう退院して、他の街行ったぞ』
「はあ!? まだ怪我治りきってないのに?」
数日前のエドワードは、まだ頭にも入院着の下にも包帯が巻かれていた。軽い怪我だったわけではないはずだが、もう退院して他の街に移動したという。
落ち着きが無いというか、何というか。思わず米神に手をあてため息を吐く。
『「いつまでもこんな消毒液臭い所にこもってられっか!」だってよ。お前も前に似たような事言ってたな』
「だって病院嫌いだし」
『ガキめ』
「若者と言ってくれる? 三十路のオッサン」
『まだ29だ!!』
大声で叫ばれ、思わず受話器を耳から放す。どうせあと数ヶ月なのだから大して変わらないだろうに、とは内心思う。
『ウィンリィちゃんもあいつらと一緒に行っちまって、もう、エリシアが寂しい寂しいって言ってよお。お前、次いつセントラルに帰って来るんだ?』
ウィンリィはセントラルに滞在中、ヒューズの家に泊まっていた。エリシアがウィンリィに懐いてしまったためだ。も一晩だけで帰ってしまい、すぐにウィンリィもいなくなってしまったため、エリシアは寂しくて仕方が無いのだろう。
「うーん、来週辺りには一旦帰ろうかと思ってるけど」
残りの行く予定の支部を思い浮かべて数えながら答える。
『お、そうか! じゃあ、うち寄ってけよ! グレイシアに話しとくから、飯でも食ってけ! ついでに泊まってけ! エリシアも喜ぶからよ!』
急に明るい声色に変わったヒューズが矢継ぎ早に言う。はあ、とは息を吐いた。
「別に遊びに帰るわけじゃないんだけど」
各地域を回った報告書のまとめと提出。そして次の地域の事前調査。中央に帰っても特に休暇を取れるわけでもなく仕事をし、また一週間もしないうちに地方巡りをすることになるだろう。
『いいじゃねえか。お前、滅多に帰って来ねえんだから』
「つい二日程前にお会いしませんでしたかね、ヒューズ中佐」
『っかー、かわいくねえ! お前、そんなにうちに来るのが嫌か!』
「嫌だなんて言ってないでしょ。家族団欒のお邪魔になるんじゃないかしら、って思ってるだけ」
『今更、何言ってんだ。お前も家族みたいなもんだろ』
ヒューズの言葉に、返答が詰まった。
家族みたいなものだろう。ヒューズはそう言った。
自分の人生のうちの半分以上の付き合いがあるのは確かだった。誕生日を祝ったり、祝われたりするのも確かだ。そんな血の繋がっていない自分を、家族なようなものだと思ってくれているのだろうか。
家族のいない、自分のことを。
『何なら、俺のこと「お兄ちゃん」って呼んでくれてもいいんだぜ?』
ふふん、と笑いながらヒューズが言った。
はため息をつく。
「誰が呼ぶかオッサン」
『かわいくねえ!』
「かわいくなくて結構」
ばかばかしい話だ。ふっとは笑みを浮かべる。
けれど、そんな風に自分のことを思ってくれる彼を、疎ましく思ったことなどない。小さい頃から、ヒューズはいつも自分のことを気にかけてくれていた。その関係が周囲から「兄妹のようだ」と言われることには、否定してばかりだけれど。
ふと近くに人の気配がし、が目を向けると、兵が一人立っていた。
「お話中失礼します。将軍、そろそろ……」
「あー、はいはい。今行く」
出発準備が出来たらしい。兵は敬礼すると、先に外へと向かって走っていった。
『何だ? どっか行くのか?』
今のやりとりを電話越しに聞いて、ヒューズが問う。
「うん。脱線事故があってね。老朽化によるレールの歪みが原因だっていうから、ちょっと行って直して来ようかと思って」
『老朽化ぁ? 点検サボってんじゃねーぞ』
「まったくだよ」
ため息が重なった。
「土砂崩れが多い場所みたいでね。雨も降ってるし。やってらんないわ」
受話器を持ったまま器用にコートを着ながら、は愚痴る。見知らぬ誰かが仕事をサボったおかげで、こうして自分の余計な仕事が増えたわけである。文句の一つでも言わなければ気が済まない。
『生き埋めにならないように気をつけろよ。ま、お前にゃいらねえ心配か』
「ちょっと。少しは心配してよ」
むっとしながら言えば、ヒューズは声を上げて笑った。本当に心配していないようだ。何度目かわからないため息をつく。
『まあ、気をつけて行ってこいや。こっち帰って来る時は連絡しろよ!』
「はいはい。じゃあ、またね」
『おう。またな』
ガチャン、と受話器を置く。
どうやらセントラルに帰ったらヒューズの家に行くことは決定したようだ。そうとなれば、グレイシアとエリシアに何か土産でも買うべきか。最後に寄る街の土産物は何があっただろう。
そんな事を考えながら、は雨の降る中、外へと出て行った。
空は一向に晴れる気配がなく、現場に到着した時には雨雲のせいもあって、辺りはすっかり暗くなっていた。
数名の兵達と共にやってきたは、車のヘッドライトで周囲を照らしながら状況確認を行なう。地方路線であるため、汽車の車両はたったの三両。見事に線路脇の林に頭から突っ込んでいた。中途半端に線路に車両が残っているわけでもないため、こちらは翌日以降の天候を見ての作業でも問題は無さそうだ。
雨の中、先に来ていた兵に原因となっている場所へと案内してもらう。車のヘッドライトに照らされた線路を見て、は思わずうわと声を上げた。元々は小さな歪みだったのかもしれないが、その上を汽車が走行したことにより力がかかり、レールは大きく歪み、枕木も折れてしまっていた。
「こちらの修復にもかなり時間がかかることが予想されますし、しばらくこの路線の運行は中止になるかと……」
案内をした兵がに告げるが、それにはひらひらと手を振って返す。
「何の為に私が来たと思ってるの」
は? と兵はわけがわからないといった声を上げる。
はポケットから手帳を取り出すと、そこにペンでさっと円を描き、更に書き込みを行なう。錬成陣だった。そして、手帳のページを破くと、その紙を線路へと叩き付けた。
バチィッと青白い閃光が線路上を走り、周囲にいた兵から驚きの声が上がる。
光が止むと、歪んだレールは再構成され、折れた枕木も綺麗に元に戻っていた。
「れ、錬金術、ですか……!?」
「別に水の錬成しか出来ないわけじゃないよ、流水の錬金術師は」
屈んでいた体勢から、よっこらせと声を出して立ち上がる。
「すごいですね……錬金術師がいれば、整備士いらずじゃないですか」
驚いた様子で兵が言うが、は首を振った。
「古いレールや枕木を新しくしたわけじゃないよ。形を元に戻しただけ。これでひとまず汽車は走れると思うけど、後日ちゃんと点検と修理はさせといて」
「あ、はい! わかりました」
足でトントンとレールを叩きながらは兵に告げる。
雨はまだ降り続けていたし、もう夜だ。今日出来る事はこのくらいだろうから撤収しよう。
そんな話を周囲の兵と話していた、その時だった。
「おい! 早く逃げろ!!」
遠くでそんな声が聞こえ、は振り返った。兵達が叫びながら逃げるのが、車のヘッドライトに照らされて微かに見えた。
地面が揺れるのを足下で感じ、ハッとする。
「土砂が崩れるぞーッ!!」
その声は、大きな地響きにかき消されそうだった。
崖の一部が崩落するのが見え、は舌打ちした。そして、瞬時に右手をその方向へと翳す。先程とは規模の違う、まるで稲妻のような青白い閃光が空を奔った。
眩い光と共に、地響きは鳴り止んだ。
の錬成により、雨が一瞬にして凍り付いて崩れた土砂を受け止め、そして土砂の中の水分すらも凍らせて石ころ一つ落ちてこない。それは、線路に崩れ落ちるほんの手前で止められた。はほっと息をつく。
「こ、氷……!?」
「全員無事?」
逃げていた兵達の方に歩いて近付き、が問う。暗い林の中から、逃げていた兵達が戻ってきた。
「え? あ、はい……あの、これ将軍が……?」
誰もが驚愕の表情で、崩れる途中で氷によって受け止められた土砂とを交互に見ている。彼らには一体何が起こったのか理解できていないのだろう。突然氷が現れたことも、遠くにいたはずのがそれを錬成したことも、信じられない事象でしかない。
ざわめく兵達を見て、は小さく息を吐く。
「……デタラメ人間の万国ビックリショー、か」
「は?」
「なんでもない」
少し前に聞いた言葉を思わず呟き、は肩を竦めた。錬金術を使って驚かれるのは初めてではない。錬金術を使わない人にとってみれば、錬金術は魔法か何かのようにしか見えないのだ。
さて、と呟いては自分の錬成した氷を見上げる。
「……この土砂どうすっかな」
そう言うの表情は引きつっていた。
結局、なんとか元の崖の形に再構築することでその場凌ぎとして、達が元の街へ帰って来たのは日付が越えようかという頃だった。はそのまま司令部には戻らずに宿に帰ってすぐに寝てしまった。
翌朝、司令部に顔を出して、脱線事故の今後について話をしたら次の街へ移動しようと思い、荷物をまとめ、チェックアウトを済ませて司令部へと向かう。
「少将!!」
司令部に入るなり、大声でを呼んで駆け寄って来たのは司令官だった。
「おはよう。どうしたの、大佐。そんなに慌てて」
昨日の脱線事故の件で何か問題でもあったのだろうか。は首を傾げた。昨夜の状況から悪化したとすれば、また土砂崩れが起きたくらいのものだろうと思う。
「少将……落ち着いて聞いてください」
大佐は自身の呼吸を落ち着け、真剣な表情でを見る。その表情からは焦りというよりも困惑が読み取れ、ただ事では無いとの勘が告げる。
「先程、中央のハインド准尉から少将宛にお電話があったのですが……」
「レインから?」
中央司令部にいる部下からの電話があったようだ。
大佐は言うのを迷うような間の後、を真っ直ぐに見つめて、言った。
「中央のヒューズ中佐が……昨夜、お亡くなりになったそうです」
「…………は?」
大佐の言った言葉を頭の中で何度か繰り返し、ようやく意味を理解して、声を漏らす。
ヒューズ中佐が亡くなった、と。
確かに、そう言った。
「他殺であることは確実のようだと……まだ捜査は始まったばかりのようですが……」
「ちょっと待って」
続く大佐の言葉を、は鋭く遮った。
「……なに、言ってるの?」
声が思うように出ず、震えた。
「マースが死んだ……? なにそれ……笑えないよ、そんな冗談……」
ふざけるなと。馬鹿げた冗談は止めろと。
そう言って怒りたいのに、目の前にいる事を告げた人物は苦しげに目を伏せる。
まるで、本当だと言うように。
「嘘、だよね……?」
信じたくなくて、問いかける。
「嘘だよね? ねえ、嘘でしょう!?」
手から落ちた荷物が大きな音を立てたのも気にせずに、は大佐の軍服を両手で掴んだ。
そんな事を目の前の彼に言っても仕方がない、と冷静な自分がまるで他人事のように思う。けれど、自身は、冷静でいられるはずがなかった。
他殺だと、確かにそう言ったのだ。
「どうしてマースが殺されなきゃならないの!? 何で!?」
「少将」
大佐はの肩に手を載せ、もう片方の手で自分の軍服を握る手を優しく解く。
「ここはもう大丈夫ですから。……どうぞ、行ってください」
「……」
ほら。やっぱり嘘じゃない。
冷静な自分が囁いた。
は俯き、両手を大佐の軍服から離した。
そして、涙を堪えて顔を上げる。
「……私事で職務を途中放棄することが、いけない事だとわかっています。でも……すみません。今回はお許しください」
大佐は真剣な表情で頷いた。
「構いませんよ。十分後にセントラル行きの汽車が出ます。お早く」
は大佐へ向かって敬礼し、足下に落ちた荷物を掴んで、司令部を飛び出した。
駅までは走れば十分に間に合う距離だった。
汽車の出発時刻が変わるわけでもないのに、一秒でも速くセントラルへ戻りたくて、全力で走る。
「マースが……死んだ……?」
再び言葉にすると視界が滲み、ぐっと奥歯を噛み締めることで涙を堪えた。
「嘘だ……嘘だッ……!」
昨日、電話で話をしたじゃないか。
「またね」と、そう言ったじゃないか。
そのたった数時間後に、死んだというのか?
誰かに、殺されたというのか?
脳裏に、幸せそうに笑う友人の姿が浮かんで、消えた。