その家では、盛大なパーティーが行われていた。
12.しあわせ
「エリシアちゃん、お誕生日おめでとー!!」
クラッカーの音、盛大な拍手、そして笑顔。
言葉が叫ばれると同時に、本日の主役である女の子がふっと蝋燭の火を吹き消した。再び拍手とおめでとうの言葉が飛び交い、エリシアは嬉しそうに満面の笑みを浮かべた。
今日は、ヒューズ家の愛娘エリシアの誕生日だ。
テーブルにはヒューズの妻、グレイシアが作った料理がたくさん並んでいる。
エリシアは嬉しそうに、貰ったプレゼントを開けたりして楽しんでいた。
コンコン。
玄関のノッカーが鳴り、おっ、とヒューズは声を上げて笑みを浮かべた。玄関へ向かおうとするグレイシアを呼び止め、代わりに自分が向かう。
誰が来たのだろう。やけに嬉しそうな表情で玄関先へと向かったヒューズの背を見送りながら、エルリック兄弟の幼馴染であるウィンリィは首を傾げた。
「よう。よく来たな」
玄関のドアを開けて、ヒューズは笑みを浮かべる。やあ、と片手を上げて立っていたのはだった。
入れ入れ、と言ってヒューズはを家の中へと招き入れる。
「遅れて悪いね。エドの所で、ちょっと話し込んじゃって」
「ああ、あいつの見舞い行ってたのか。全然構わねえよ。まだ始めたばかりだしな」
話しながら、ヒューズの後についてパーティが行われているリビングへと向かう。
「あっ! おねえちゃん!」
リビングに入るなり、気が付いたエリシアが笑顔で駆け寄ってくる。はしゃがみこんで、その小さな体を抱きとめた。
「エリシアちゃん久しぶり。元気だった?」
「うん!」
元気に頷くエリシアに、はそっかそっかと言いながら笑みを浮かべる。そして、持ってきた包装紙に包まれた箱をエリシアへと手渡した。
「はい、これ。お誕生日おめでとう」
「わあ! おねえちゃん、ありがとー!」
ちゃんとお礼を言った後、エリシアは「やったー!」と言いながらプレゼントを頭の上に掲げ、他の友達たちのところに駆けて行く。そんな姿をは微笑ましげに見送った。
「ちゃん、いつもありがとうね。今日もどこか他の司令部からわざわざ来てくれたんでしょう?」
エリシアと入れ替わるように近づいてきたグレイシアが笑顔で礼を言った。は立ち上がって首を振る。
「いえいえ。このくらい気にしないでください。エリシアちゃんの誕生日の方が仕事より大事ですから」
「そう! そうだよな! いやあ、はよくわかってる!!」
の首にガッと腕を回して引き寄せ、ヒューズは満面の笑みで言った。
「あんた今日何時から休みとってんの」
「午後全部まるっと休みだ」
「ああ、そう」
軍法会議所も暇ではないだろうに。大方誰かに仕事を押し付けて来たのだろうと思い、その誰かに哀れみながらはため息をついた。
パーティは夕方からなのに午後丸々休みを取ったということは、エリシアへのプレゼントでも山のように買っていたに違いない。例年通りのパターンだ。
「おっと、そうだ。エドんとこ行って来たっつってたな」
「うん? そうだけど」
それがどうしたのだろう。そう思いながら、呼ばれるままにヒューズの後をついていく。
そして、ほとんどが見知った顔である中に、一人初対面の少女がいることに気が付いた。ヒューズがその少女の肩をぽんと叩いた。
「ほら、この子があいつの機械鎧の整備師」
「ああ。リゼンブールの幼馴染っていう」
なるほど、とは納得する。病院でエドワードが、幼馴染の整備師がヒューズの家に行ったと言っていた事を思い出した。見覚えがない顔なのも当然である。
「私は・。よろしくね」
いつも通りの黒い手袋をつけたままの右手を差し出しながら、はウィンリィへと笑みを向けた。錬成陣の刻まれた両手を晒すことは滅多にしない。
「あ、貴女がさん!」
ウィンリィは目を丸くする。そして同時に、ヒューズが笑顔で出迎えに行った理由を理解した。彼らの関係は、リゼンブールでアームストロングから聞いている。
そして、ウィンリィは笑顔での右手を取る。
「ウィンリィ・ロックベルです。エド達から、あたし達と歳が変わらないくらいの将軍さんだって話聞いてて、どんな人なんだろうって思ってたんです」
「はっは! 普通のガキだろ」
「ガキ言うな」
笑いながらの背を叩いてくるヒューズの足を蹴る。
けれど、本当にそうだとウィンリィは思った。将軍という役職についているというのに、目の前にいる少女は自分達と全然変わりないようにしか見えない。
仲良さ気に言い合い叩き合い笑い合いをしているとヒューズを見て、ウィンリィも思わず笑顔を零す。兄妹のような。アームストロングの言っていたその言葉は、決して間違いではないのだろうとウィンリィは思った。
ヒューズ家に呼ばれている客は、ほとんどの顔見知りばかりだ。ヒューズの家の近所の者や、エリシアの友達の家族、中央司令部や軍法会議所勤務の者も数名いるが、将軍がいようと今日は無礼講だ。グレイシアの作った料理を食べながら、他愛の無い話をして笑い合うところに、仕事上の上下関係など不要なものだ。
「パパ!」
エリシアがヒューズのもとへと駆けて行くのが見え、も近づいていった。
「パパがくれたねずみさん、動かないよぅ」
「あれー? 不良品だったかな」
ぜんまい式のねずみのおもちゃだった。
「返品しといでよ。取り替えてくれるでしょ」
「そうだなあ……」
の言葉に同意を返しながら、ヒューズがまいったなと頭を掻く。
その隣で、くすっと笑ったのはウィンリィだった。
「エリシアちゃん、ちょっと見せてくれる?」
腰を屈めて、ウィンリィはエリシアに手を差し出した。
エリシアに手渡されたねずみのおもちゃを持って、ウィンリィは自分のバッグの中から工具箱を取り出し、椅子に座った。テーブルの上で、慣れた手つきでドライバーを使ってねずみのおもちゃを分解していく。
「やっぱり歯車がずれてる。これをこうして……」
呟きながらの作業はすぐに終わった。
「はい」
開けていた蓋を閉じ、ウィンリィがぜんまいを巻いてテーブルに置くと、ねずみはゆっくりと走り出した。
「わぁ!! すごいすごーい!!」
「ほー。器用なもんだな」
「さすが機械鎧整備師」
エリシアは大喜び、それに続いて二人がそれぞれ感心したように声をあげる。
エリシアと子供達は、ウィンリィを「おもちゃのお医者さんだ!」と尊敬の眼差しで見上げる。ウィンリィは苦笑しながら子供達を見ていた。普段、機械鎧という高度な技術の義肢を作っている身としては、あの程度のおもちゃを直すくらい簡単すぎることだ。
「あいつの整備師やってるって?」
ヒューズが酒を片手に、膝にエリシアを乗せているウィンリィに向かって問いかけた。
「ええ。同じリゼンブールの生まれで、家が近かったっていうのもあって。小さい頃からいつも一緒で、きょうだいみたいなものですよ」
「あんなだから、手間かかるだろ」
笑いながらヒューズが言う。苦笑しながらウィンリィは頷いた。
「手間がかかるって言うか、心配ばっかり。今日も呼び出されてみれば、エドは大ケガで入院してるし。アルは何か悩んでるみたいだし」
ウィンリィは話しながら、だんだんと俯いていく。
テーブルに肘をつきながら、は何も言わずに話に耳を傾けていた。エドワードの怪我も、アルフォンスが何か悩んでいることも、先程病院で実際に見てきたため知っている。
「……エドの機械鎧……半月位前に新しいのをつけてやったのに、今日見たらもう傷だらけでした」
彼らが第五研究所で何者かと戦ったことなど、ウィンリィは知らない。他の誰も、彼女に何故彼が入院するに至ったかの話はしてはいないだろう。
「だけど何があったかなんて、あいつら絶対言わないんですよ。元の身体に戻る旅に出る時も、相談もなかったし」
ウィンリィは膝の上で、ぎゅっと手を握った。
「本当のきょうだいなら、旅に出る事も今日のケガの事も、きちんと話してくれたのかな」
「相談しなかったんじゃなくて、相談する必要が無かったんだろ」
ヒューズの言葉に、ウィンリィは顔を上げた。
も横目でヒューズを見る。
ヒューズは笑顔でウィンリィを見た後、眼鏡を外した。
「ウィンリィちゃんなら、言わなくてもわかってくれるって思ったんだよ。あいつらは」
「……言葉で示してくれなきゃわからない事もあります」
「しょーがねぇよなぁ。男ってのは、言葉よりも行動で示す生き物だから」
眼鏡を拭きながら、ヒューズは苦笑した。
「苦しい事は、なるべくなら自分以外の人に背負わせなくない。心配もかけたくない。だから言わない」
諭すように。ゆっくりと言葉を続ける。
「それでもあの兄弟が弱音を吐いたら、そん時はきっちり受け止めてやる。それでいいんじゃないか?」
ウィンリィは未だ視線を下に向けたままだった。
彼らは自分に心配をかけないようにしている。苦しい事も背負わせないようにしている。けれど、それは自分がまるで蚊帳の外のようで、少し寂しく感じるのも事実だった。
危険なことをしているのはわかっている。けれど、彼らが何をしているのかはわからない。幼い頃から一緒に育った仲だというのに、何も話してくれない。それがとてももどかしい。
「エリシアちゃーん!」
数人の男の子がこちらへ走ってきた。
そして、ウィンリィの膝から降りたエリシアの手を引きながら、「あそぼ!」「エリシアちゃんはボクとあそぶんだよー」等と口々に言っている。
「あはは。娘さん、もてもてですね」
その様子を見て、ウィンリィが微笑ましげに言った。
ヒューズがピクッと反応して、額に青筋を浮かぶ。
はあ、とがため息をついた。その言葉は、彼にとって禁句に等しい。
「おい小僧ども。うちの娘に手ェ出したら、タダじゃおかねぇぞ!」
拳銃の安全装置をガシャンと外しながら、ヒューズは低い声で少年達を威嚇する。
「ヒューズさんは、行動で示しすぎ!!」
大人気なさすぎるその様子に、ウィンリィは慌ててツッコミを入れた。
客は全員帰り、エリシアを寝かしつける為にグレイシアが部屋へ行き、ウィンリィも宛がわれた客間へと戻った。
まだパーティの余韻が残るリビングに、とヒューズの二人が隣合って座っている。
「今日はありがとうな」
「いいっていいって。私にとっちゃ、マースもグレイシアさんもエリシアちゃんも家族みたいなもんなんだし。誕生日くらい、いつでも来るって」
ヒューズの言葉に、が笑顔で答える。
ヒューズの結婚式も、エリシアの出産時も、そして誕生日も。いつだっては笑顔で祝福した。エリシアが産まれた時に感動のあまり号泣するヒューズを、グレイシアの代わりに宥めたのは他でもないだ。
「そういや、去年もこの話したっけな」
「そうだっけ? 覚えてないや」
「去年はお前16歳か」
若いなー、と言いながらヒューズは酒の入ったグラスを傾ける。
「エリシアちゃんが生まれた時なんて、私14だよ」
が苦笑しながら言う。
「うわー。ガキだなーお前」
「そりゃねー」
「それにしても、まだ十代かー。若いなー」
「マース、オヤジくさーい。まぁ、もうすぐ三十の大台に突入だから仕方ないか」
「うるせえ」
ヒューズがグラスの酒をぐいっと飲み干した。
笑いながら、も一口ジュースを飲む。
「やっぱロイは来ないんだね」
そういえば、とが言った。ヒューズが「ああ」と一言。
「あいつも忙しいだろうしな」
「忙しくなくても来ないでしょ」
「多分な」
お互い、ロイとも長い付き合いである。いくら親友の娘の誕生日とはいえ、わざわざイーストシティから遥々セントラルまで祝いに来るほどマメな男ではないことは重々承知だ。
「お前は毎年よく来てくれるよな」
「呼ばれなくても参上するよ」
はぐっと親指を立てる。
「私の誕生日だって、いつも祝ってくれるでしょ」
そして、は嬉しそうに笑みを浮かべた。
初めて二人がの誕生日を祝ったのは、彼女が7歳の時だった。あれから十年。仕事の都合で当日では無いことはあれど、今でも二人は毎年の誕生日を祝ってくれる。ヒューズは自宅にを招いて、グレイシアに頼んで作って貰った料理で、ヒューズ一家とという少ない人数でのパーティを必ず行うのだ。
そのお返しというわけではないが、はエリシアの誕生日には必ず来るようにしている。
「あいつも娘を持てばこの気持ちがわかるだろうけどなー」
深くため息をつきながらヒューズが言った。途端、が腹を抱えて笑い出した。
「アッハハハハハ!! ロイに娘ぇ!? 彼女もいないのにぃー!」
「だから俺は前から、早くカミさんもらえって言ってんだけどなぁ」
「どうだろうねぇ? ロイにお嫁さんなんて出来るのやら?」
女遊びは好きだが、傍から見ていると家庭に落ち着こうという気はまったく見えない。ロイに嫁がいて娘がいる。まったく想像ができない図である。
は笑いすぎて思わず出てきた涙を拭いながら、落ち着くためにジュースの入ったグラスを手に取る。
「そういうお前には、彼氏いないのか?」
「ブッ!」
がグラスを傾けるのとヒューズが問うタイミングが完全に一致し、は思わず噴き出した。
ゲホゲホと咽た後、じとりと隣へ目を向ける。
「……いるように見える?」
「いや? 全然」
悩む間もなく真顔で否定された。
じゃあ聞くなよ、と思いながらは深く息を吐き、気を取り直してジュースを一口飲んだ。
「彼氏の一人や二人、作っとかなきゃ駄目だぞ?」
「いらね」
グラスをテーブルの上に置いて、ハァと息を吐く。
「マースがグレイシアさんと結婚して幸せなのは十分わかってるけど。私は今のところ彼氏なんてものの必要性を感じません」
「そんなこと言っても、いつかは結婚するだろ?」
「さぁ? しないんじゃないの?」
「しとけよ。ていうか、結婚しろ。俺がいろいろ手伝いしてやっから」
「言ってろ」
は適当に返しながら、目の前にある酒瓶を掴んでヒューズのグラスに注いだ。
「彼氏くらいつくれよ。支えてくれる人間は一人でも多い方がいい」
真剣な声で言うヒューズだが、は何も言わない。
十代という年齢で上層部に席を置くは、決して敵が少ないわけではない。そんなことは自分が一番良くわかっている。それを支えてくれる人間がいれば。考えたことがないわけではない。
ヒューズは酒を注がれたグラスを口に運んだ。
「結婚して軍辞めて幸せに暮らせよ。今までたくさん苦しんだんだ。それくらいしても罰は当たらねえだろ」
「お生憎様。私はまだまだ軍を辞める気は無いよ」
はグラスの中のジュースをすべて飲み干し、テーブルに置いた。
「……私にはまだやらなきゃいけない事がある」
そう言うの目は真剣なものだった。
曲げられない想い。
生きて、まだ軍でやらなければならないことがある。だから、まだまだ軍を辞めるつもりは毛頭ない。
「今までこれだけ傷ついて、苦しんだってのに……それでもまだ傷つこうとするのか?」
ヒューズが問う。
が今までどのような人生を歩んで来たのか。近しい場所で見てきたヒューズは知っている。まだ子供のくせに、子供らしからぬ言動をする彼女は、たった17年の間に、あまりにも多くのことを経験しすぎた。辛い事も、苦しい事も。
「別に傷つこうとしてるわけじゃないけどね」
眉を寄せるヒューズの表情を見て、は苦笑する。そして、再び手元の空のグラスに目を戻した。
「でも……この国の人達が平和に、幸せに暮らせるような国を作らなきゃいけない。その為なら、私はいくらだって傷つくよ。それで、この国が少しでも良くなるのなら」
は一息置いて、続けた。
「それが……私が生かされた意味だと思うから」
その横顔は、少し寂しげだった。
生かされた意味。彼女はいつしか、自分が生きることに義務感を持つようになってしまった。
目的の為に、必死に努力して、異例の早さで昇進して上層部に食らいついた。そして、どんなに苦しくても、弱音も吐かない。涙も流さない。
彼女の深い心の傷は、誰かが癒すこともできやしない。
「今でも行くのか? あの場所に」
ヒューズが問いかける。
「……年に何度か……近くに行った時に寄るくらいだよ」
が静かに答えた。
「……いつまでも引きずっちゃいけないのは、わかってるんだけどね」
はテーブルに肘をつき、自嘲するように笑った。
そんなの表情が痛々しくて、ヒューズは目を逸らした。
引きずってはいけないとは言うが、忘れることなんて到底出来やしない事は、彼女自身わかっているだろうに。
ヒューズは深く息を吐き頭を軽く掻くと、酒瓶を持って空になったのグラスにそれを注いだ。
「まあ、飲めや」
がヒューズを横目で呆れたように見た。
「……未成年者に酒勧めんな」
「堅え事言うなよ」
笑いながら、ヒューズは自分のグラスを上げて見せた。
が仕方ないなというような表情で、酒の注がれたコップを同じように持ち上げる。
「乾杯」
「乾杯」
部屋にグラス同士がぶつかる小さな音が響いた。