ニューオプティンを去った後、は北・西のいくつかの町を視察した。
そしてイーストシティでのスカーの事件から約半月ほど経ったある日。滞在している司令室の壁にかかっているカレンダーを見て日付を確認し、それから時計を確認する。
「そろそろか」と呟くなり、は荷物を纏め、司令官に声をかけ、司令部を出て駅に向かって歩いていった。
司令官に告げたのは、たったの一言だった。
「明日の午後には帰るから」
11.早すぎた再会
コンコン。日も暮れかけてきた頃、とある病室のドアがノックされた。
「どーぞー?」
ベッドの上で、患者である少年――エドワードが返事をした。それと、同時におかしいなと思う。
病室の前にはアームストロングの部下で、現在護衛としてついているロスとブロッシュがいるはずだ。誰かが来たのならば、二人が先に声を掛けてくるのではないだろうか。
ノックをした人物はしばし無言だったが、ゆっくりとドアを開けた……ように思えたのはほんの一瞬だけだった。
開きかけたドアは、バーンッ!という大きな音と共に勢い良く開け放たれた。
「やっほーエドー!! 病室に整備師の彼女連れ込んでるってー? 見せつけてくれるじゃないかこの豆ーっ!!」
片手を掲げ、病院であるにも関わらず満面の笑みで叫んだのは、たった一言で仕事を放り出してきた・その人である。
半月ぶりの突然の来訪者に驚くよりも先に、見舞いに来ての第一声に思わずエドワードはベッドから転げ落ちそうになった。
「彼女じゃねぇ!! つーか、誰が豆だ誰が!!」
エドワードはにビシッと指を突きつけ、鬼のような形相で睨みつけた。だが、この反応もの予想の範疇である。
「やーねー。豆と言えば、エドワードさん以外にいないじゃないですかー」
ホホホと片手を口元に当てて笑う様は、まるで世間話をするおばさんだ。
「んだとゴルァァァア!!」
「あんまり叫ぶと傷口開くよ?」
「誰が叫ばせてるんだ! だ・れ・が!!」
「まぁまぁ。相変わらず沸点低いなぁ。ハイ、お見舞い」
怒らせているのは自分であるにも関わらず、まったく気にせずにはエドワードにビニールの袋を手渡した。
見舞い品。怒鳴っていたエドワードもふと止まり、「あ、サンキュ」と思わず礼を言って素直に袋を受け取った。
「やっぱお見舞いの定番は、白桃の缶詰かなーと思ってね」
「へー、桃。あれ? これは……?」
ガサガサと袋を漁って出てきたのは、白桃の缶詰。
そして、数本のビン。中身は白濁色の液体。
「……」
「背伸ばせよ、少年!」
ひくりと頬を引きつらせるエドワードに向かって、は楽しそうに親指を立てた。
「……何で、見舞いに牛乳なんて持ってくるんだよ……?」
「牛乳飲んで早く怪我治してね、っていう私からの愛さ!」
「いや、意味わかんない」
骨折したわけでもあるまいし、とエドワードは顔を青褪めさせる。
牛乳は嫌いだった。にそれを話したことは無かったはずだが……誰かから聞いたのだろうか。愉快そうなの表情を見る限りでは、偶然持ってきたというわけではなさそうだ。
開いているドアからロスとブロッシュが顔を覗かせているのが見えた。二人は苦笑した後に、ゆっくりと開いたままのドアを閉めた。いや、閉めないでどうにかしてくれこの女。……エドワードの心は届かなかった。
「ったく……。お前、何しに来たんだよ」
エドワードは額を押さえてため息をついた。どうして見舞いに来た人間に、入院患者が疲れさせられているのか。
は何事も無かったかのように、近くにあった椅子を引き寄せて座った。
「何しにって……お見舞い以外に何しに来たように見える?」
「明らかに遊びに来たようにしか……ていうか、仕事はどうしたんだよ仕事は」
「そんなの、途中で抜けて来たに決まってんじゃん。明日の午後には帰るよ」
深く息を吐き出すの顔には、改めて見ると若干疲れの色が浮かんでいるように見えた。エドワードは意外そうに目を丸くする。
もしかして、自分が入院したのを聞いて、忙しい中わざわざ見舞いに来てくれたというのだろうか。
そう感激したのも束の間。
「まぁ、牛乳買ったついでにエドに持ってってからかってやろーって思ったのが第一だけどね」
「……」
にこりと笑うに対し、エドワードの頬はひくりと引きつった。
……どうやら自分の考えは甘かったらしい。こめかみを押さえながら、怒鳴りたいのを必死に堪えた。に「普通」というものは求めるだけ無駄のようだ。
「つーか、何でお前オレが牛乳嫌いだって知ってんだよ……」
「小さい子は牛乳嫌いって相場が決まってるもんだよ、おチビちゃん」
「……落ち着けオレ。大人になるんだ。子供相手にムキになるな。オレは大人オレは大人オレは大人オレは大人……」
ビキビキと額に青筋を浮かべ、これでもかというほど拳を握り締めながらエドワードは念仏のように唱えた。殴りたい衝動をありったけの理性で押さえつける。
「大人ねぇ……護衛の目を盗んで、言うこと聞かずに第五研究所に忍び込むのが大人のすること?」
先程までの様子とは一転、呆れたように息を吐きながらが言う。
ピタリとエドワードの動きが止まった。僅かに冷や汗を流しながらこちらに目を向けてくるエドワードに、は再度ため息をつく。
「さっき司令部で少佐に聞いた。『賢者の石探し頑張れ』とは言ったけど、あくまで安全な方法でのつもりで言ったんだけどね」
「だって……」
「だってじゃない」
言いかけるエドワードの言葉を、は強い口調で遮った。
エドワードは目を瞠る。目の前にいるは先程までテンションの高い様子とはまるで違って……。
「死ぬかもしれなかったんだよ」
スカーを前にした時のような、真剣な表情そのもの。
うっと言葉に詰まり、目を逸らす。言い返すことは出来なかった。
二人はついに賢者の石の有力な情報を手に入れていた。
賢者の石を作るために必要なものは何なのか……それも理解してしまった。それは一つの真実。
そして、『真実の奥の更なる真実』を求めて、今は使われていない第五研究所へと乗り込んだ。アームストロングに大人しくしていろと言われたにも関わらず、だ。
その挙句、怪我をして入院してしまっている。ロスやブロッシュにも散々怒られた。
悪いのは、言うことを聞かなかった自分達。言い返せる言葉など、あるはずがなかった。
「……ごめん」
俯き、エドワードは素直に謝罪した。
しばし沈黙が続き、は息を吐いた。
「まぁ……大事に至らなくて良かったよ。いくら情報掴んだとは言え、元の身体に戻る前に無茶して死んだら意味無いんじゃないの? ちょっと考えて行動しなさいよ」
「……えっと、オレらが何で第五研究所に忍び込んだか、聞いたか?」
「ううん。少佐、それは教えてくれなくて。何で?」
「ああ、いや! いいんだ。……聞かないでくれ」
エドワードの言い様に眉を寄せながらも、はそれ以上聞こうとはしなかった。
「そういや、アルは?」
話題を変えるように、が問う。もう何分も病室に滞在しているが、アルフォンスが戻ってくることはなかった。
思えば、この病室に来る間も見かけなかったが……。
「多分、廊下とかにいるんじゃないか? ……最近、アルおかしいんだ」
エドワードは表情を曇らせる。は首を傾げた。
「なに? 兄弟喧嘩でもしたの?」
「いや……してない。でも、第五研究所から帰って来てから、何か変なんだよ。オレに遠慮気味っていうか……避けてるような」
「ふーん……」
二人は一緒に忍び込んだと聞いている。ということは、エドワードが無茶をしたことに怒っている可能性は低そうだ。
研究所にいる間に何かあったのだろうか。
帰りに探して声を掛けて行こうかと思い、は立ち上がった。
「さて。そろそろ行くかな」
「仕事?」
「なーんで、こんな時間から司令部行って仕事しなきゃなんないの。違うよ。これからマースの家行くんだ」
「マースって……ヒューズ中佐?」
そこで、エドワードはがファーストネームだけで呼ぶ相手が「ロイ」と「マース」だけなのに気が付いた。ハボックやホークアイはファーストネームに加えて階級名だ。
ロイとヒューズにとっては妹のような存在なのだと、リゼンブールにいる時にアームストロングが言っていた。改めて考えれば、やはりにとっても彼らが特別な存在であることに違いはないのだろう。
だが、一体何をしに行くというのだろう。もしかしなくとも、が仕事を放り出して来たのはこの為だったのではないか。
はにっこりと微笑んだ。
「今日はマースの娘のエリシアちゃんの三歳の誕生日なんだよ」
毎年恒例の誕生日パーティーさ! とは笑う。
は毎年この日になると、仕事を放ってでも中央へ帰って来ていた。エリシアの誕生日を祝うためである。
今年もその為に帰って来たのだが、一度中央司令部に寄ったところでエドワードの入院を聞き、先に病院に寄ったのだった。
「へー、そうなんだ。だから今日は午後から非番って言ってたのか」
「来たの?」
「ああ、昼過ぎ頃かな。……そういや、ウィンリィは中佐んち泊まるって言ってたな」
「ウィンリィ?」
「リゼンブールの幼馴染。機械鎧の整備師の」
「ああ。エドの彼女」
「だから彼女じゃないって!!」
ポンと納得したように手を叩くに、エドワードが顔を赤くして怒鳴った。
「ったく……まぁ、オレは行けないから、オレの分まで祝って来てよ」
「オーケーオーケー! それじゃ、また明日帰る前に寄るね」
「おう。サンキューな」
「いえいえ」
素直に礼を言うエドワードにも笑みを返し、手を振って病室を後にした。
病室を出ると、両脇に立つロスとブロッシュがビシッと敬礼する。その様子には思わず苦笑し、「お疲れ様」と一声掛けて敬礼を返した。
そして、アルフォンスを探す為には廊下を歩き出す。
「いやしかし、エドワード君……将軍にまでタメ口ですか」
「歳も近いし……良いんじゃないかしら」
の背を見送り、ロスとブロッシュは顔を見合わせて息を吐いた。
「アールアルアル……お、見っけ」
廊下をきょろきょろと見回しながら歩いていると、病室から随分離れた辺りでアルフォンスを見つけた。
長椅子の端に、一人でただじっと座っている。何か考え込んでいるようだ。
「アールっ」
「……?」
呼ばれると、アルフォンスは驚いて顔を上げた。仕事はどうしたのかと聞かれ、は迷いもせずに「休みだ」と答えた。嘘である。
にこりと笑みを浮かべ、はアルフォンスの隣に腰を下ろした。
「何か悩み事?」
「え? ……どうして?」
「私が一人でいたい時って大抵何か考え込む時だから」
違う? とは首を傾げる。
に目を向け、それから顔を前に戻すと、アルフォンスはゆっくりと頷いた。
「一人で考えて、答えが出る問題?」
「……ううん。きっと出ない」
「それじゃあ……」
「でも」
の言葉を遮り、再びへと目を向ける。
「……ありがとう……でも、には絶対にわからない問題なんだ」
ごめんね。アルフォンスは力なく謝罪した。
拒絶に苛立つわけでもなく、は冷静に考える。これは思った以上に重症のようだ。無理に聞き出そうとしたところで、話してはくれないだろう。
時間がかかりそうだ。そう判断し、はコツンとアルフォンスの腕を叩いた。驚いて、アルフォンスがを見る。
「私にわからないなら、何も聞かないよ。……でも、エドになら話したっていいんじゃないの?」
動揺するように、鎧がガシャンと鳴った。
……悩みはエドワードも関係すること。アルフォンスの反応で、内容の把握を試みる。
「……うん……そうだね」
しばしの沈黙の後、アルフォンスは何処か納得したように声を漏らした。それが意外で、は一瞬だけ眉を顰める。
エドワードに関連する悩み。だからこそエドワードには言えない。……そういう悩みでは無いようだ。
それ以降は沈黙が続いてしまった。は息を吐いて立ち上がった。
「じゃ、私そろそろ行かないと」
「あ……兄さんの見舞い、来てくれたんだよね。……ありがとう」
「……うーん……でも、ぶっちゃけたところエドよりも重症者がいるような……」
「え?」
「ああ、いや、こっちの話」
首を傾げるアルフォンスに、はひらひらと手を振る。
「また明日来るね」
「うん、それじゃ」
は笑顔で手を振り、アルフォンスもそれに手を振って返した。