スカー襲撃事件の翌日。はニューオプティンにある司令部の前に立っていた。
 司令部の建物を見上げて、周囲に誰もいないのをいいことに露骨に嫌そうに顔を顰めている。
 東方司令部でロイに言われた「ご愁傷様」という言葉を思い出し、深くため息をついて肩を落とす。嫌がったところで行かないわけにもいかないのだが。
 は背筋を伸ばし、意を決して司令部の門をくぐった。




   

10.軍と市民の関係





「やあ、少将」
「どうも、こんにちは。ハクロ少将」

 司令部に入り、受付に話をすると、しばらくしてハクロが後ろで手を組んでやって来た。ハクロ相変わらずのしかめっ面だが、は気にせず笑顔で挨拶をする。

「今回も監査と、市内の設備の点検を怠っていないかを見させていただきますね」
「構わない。問題無いとは思うがね」

 奥へと並んで歩きながら、二人は目を合わせずに言葉を交わす。

「先日はすまなかったな。私とした事が、久々のバカンスに浮かれていたようだ」

 ハクロは更に表情を顰めて言った。トレインジャックの時の事を思い出しているようだ。
 は首を振る。

「いえ、ご無事で何よりです。……耳の具合はいかがですか?」

 ハクロの左耳を見ながらが問いかける。
 耳には包帯が巻いてあった。バルドに脅された際に、撃たれたのだそうだ。

「ああ、問題ない。えぐられているから、元には戻らないがね。仕事に差し支えは無い」
「そうですか。安心しました」
「最近は東部も治安が悪いからな。出歩くときも注意せねばならん。全く……東方司令部のマスタング大佐は何をしているんだか」

 の表情が一瞬だけ曇った。

「私は以前から、彼のような若者に司令官は向いていないと思っていた。あの歳で大佐の地位にいるからといって、有能であるとは限らんからな」
「はぁ……」

 何と返す事も出来ず、は曖昧に相槌を打つ。
 すぐ隣に17歳で少将の地位にいる人物もいるのだが、ハクロはそんな事はまったく気にしていないようだ。

「そういえば、イーストシティにスカーが出たそうだな。しかも、包囲しておきながら逃がしたと聞いた……君も現場に居合わせたらしいが?」
「ええ。まぁ」
「情けないのではないか? 国家錬金術師の将軍と大佐が揃っても、捕らえられないとは」
「申し訳ありません」

 抑揚の無い声で謝罪し、は軽く頭を下げた。
 ハクロはあからさまにため息をつき、無言で歩き始める。
 ため息をつきたいのはこちらの方だ。そう声には出さず、は気付かれないように小さく息を吐いた。

 荷物を置き、ハクロから資料を受け取ると、は早速町の視察に出かける事にした。

「あー……疲れた」

 司令部から数百メートル離れるなり、は独り言を呟きながら大げさに肩を落とした。同時に深くため息を吐き出す。
 会う度に聞かされるのは同じ事ばかり。東部にある全ての司令部の中心になっているのが東方司令部だ。そこの指揮を任されているのが、若くして大佐の地位にいる人物となれば気に食わないのは当然だった。もわかっている為、ため息をつくだけに留める。
 自身も17歳という若さで中央の上層部にいる。当然周りからは良い目をされないことの方が多い。自分は少将という地位なだけあって、反感を持たれたところで直接ぐちぐち言われることが少ないだけだ。
 は再びため息を吐き出すと、資料に目を通しながら歩き始めた。

「やぁ、ちゃん。来てたんだね」

 声をかけられ、は資料から目を上げる。
 食品店の前で開店の準備をしている夫婦が笑顔で手を振っていた。も笑顔を返す。

「おじさん、おばさん。こんにちは」
「久しぶりだねぇ。前に来たのはいつだったっけ?」
「えーっと……三ヶ月くらい前になりますかね」
「相変わらず色んな地域回ってるのか?」
「はい。昨日まではイーストシティにいたんですよ」
「はぁ……ちゃんがここの司令官になってくれれば、もう少し良い町になるだろうにねぇ」

 女性はため息を吐きながらしみじみと言った。
 その様子には苦笑する。

「何言ってるんですか。私みたいな小娘に、司令部全体を指揮するような力まだ無いですよ」
「まったまたー。ちゃんはすぐそうやって謙遜するんだから」
「いやいや。それじゃあ、私は他の所も周りますので」
「終わったらまた寄ってきなー」
「はーい」

 は手を振り、店を後にした。
 そして、しばらく歩いた後に息を吐く。
 この町では、軍はあまり良く思われていない。ニューオプティンに限らず、軍への不審感を持つ国民は少なからずいるのである。
 そういった考えを持つ者が反軍組織を立ち上げ、軍事国家であるこの国を変えようとしている。先日のトレインジャック犯である『青の団』は、反軍組織の中でも過激派に位置するグループであった。
 も初めてこの町に来た時は冷たい目で見られたものだが、今では市民の方から声をかけてもらえるようになっていた。誠意を持って接すれば、市民もちゃんとわかってくれるのだ。


 そして翌日。

『で。何の用だ?』
「いや、特に用はないんだけど」

 は町外れの電話ボックスの中にいた。
 相手は東方司令部の若き司令官だ。

『用は無いって……じゃあ、何故かけてきたんだ』
「理由が無きゃ電話かけちゃいけないって決まりが何処にあるんですかー」
『勤務時間中であるならば、私用の電話はれっきとした怠業であると思うのだが?』
「問題ないよ。自主休憩中だから
人はそれをサボっていると言うのだよ、将軍
「うっさいなぁ……愚痴くらい聞いてやろうって気は無いのかい? マスタング大佐」
『こちらは生憎と仕事中なのでね』

 あくまで聞く気は無いらしいロイの様子に息を吐く。
 彼が電話に集中していないのは声でわかった。書類に目を通しながらなのだろう。それなのに、ツッコミもしっかり行うとは器用な男だ。

『君は、何を言われても都合の悪いことは聞き流すという、見事なスキルを持っているだろう。いつものように適当に流したまえ』
「あんたがまったく褒める気が無いのはわかってるから何も言わないけど。……それでも、毎度同じ事言われりゃいい加減嫌にもなるっての」
『……まぁ、トレインジャックに引き続き、スカーを逃がした後だしな』
「そうそう。私にロイのことで文句言われてもどうすることもできませーん、って感じ」
『フォローしておいてくれても良いのだが?』
「めんどい」
『……』

 間髪入れずに断られ、ロイはしばし無言になった。その後、ため息と共に紙を捲る音が聞こえた。
 も息を吐く。

「それじゃ」
『もういいのか?』
「珍しく仕事してるんでしょ。私もそろそろ戻るよ」
『珍しくとは何だ珍しくとは』

 失敬だな、とロイは不機嫌そうに言い返す。そんなロイの様子には小さく笑みを零す。
 笑う声が聞こえたのか、ロイは黙った。

『……まぁ、あまり気を張らずに適度に頑張りたまえ』
「うん、わかってる。サンキュ」

 一言礼を言い、別れの言葉を告げてはゆっくりと受話器を置いた。
 しばし通信の切れた電話を見つめ、ここ数日で何度目かわからないため息を吐く。
 そうして、は電話ボックスを出て、司令部へ向かって歩き出した。




 は三日間ニューオプティンに滞在し、監査と視察は問題無く終わった。ようやく別の町に移動できるのである。内心ガッツポーズしていたことは、勿論本人しか知らない。
 次に来る時にはまた前もって連絡すると告げ、は司令部を後にした。
 駅までの道のりで、何人もの市民から「もう行っちゃうのかい?」「また来てね」等と声をかけられる。は、その一つ一つに笑顔で返事を返した。
 その途中、を笑顔で見送った人々が、すれ違った軍人の背中を睨みつけていたところを目撃した。

 あえてこの町に問題があるとすれば、軍が市民の信頼を得ていないところだろう。
 はその様子を見ながら、そう思った。