9.凸凹コンビ
イシュヴァール人と軍は、宗教的価値観の違いによって衝突を繰り返していた。
イシュヴァールでは、彼ら独自のイシュヴァラという神を信仰していた。
彼らは錬金術を良しとしなかった。新たに物質を創造する錬金術は、神への冒涜に当たるというのが彼らの考えだったからだ。
そうして、互いが互いを受け入れられないまま続いていた小競り合いは、ある日大規模な内乱へと発展した。
それは今から十三年前。
軍の者が誤ってイシュヴァールの子供を射殺してしまったのが引き金だった。
暴動はだんだんと広がっていき、いつしか内乱の火は東部全域へと広がった。
七年間に及ぶ攻防の末、上層部から下された作戦は『国家錬金術師を投入してのイシュヴァール殲滅戦』だった。
六年前、ロイやアームストロングを始めとする国家錬金術師が東部へと派遣された。
当時は11歳で資格も持ってはいなかったが、それと同時に殲滅戦へと赴いた。勿論が殲滅戦に参加したわけではない。彼女は前線には出ず、ただ後方支援をしていただけだ。
殲滅というだけあって、イシュヴァール人はほとんどの人間が殺された。僅かな生き残りは、今は軍によって決められた居住区に隔離されるような形で細々と暮らしている。
それは戦争というよりも、ただの虐殺だった。
だからこそ、イシュヴァールの生き残りであるスカーの復讐に正当性がある、とロイは言う。
だが、それをくだらないと一蹴したのはエドワードだった。関係のない人間を巻き込む復讐のどこに正当性があるんだ、と彼は言う。
国家錬金術師のみを狙うならばまだしも、スカーは周囲の関係ない人間をも殺している。なりふり構わない人間というのは一番厄介で恐いものである。
かと言って、こちらとて簡単に死んでやるわけにもいかないければ、他の犠牲者が出るのを黙って見過ごすわけにもいかない。
「次に会った時は問答無用で……潰す」
ロイがそう断言した。
誰もが真剣な表情でロイに目を向ける、静かな司令室。
そこに、カチャッと小さな扉の開く音と共に、
「へっくし!」
のくしゃみが響いた。
一気に室内の緊張感は消え去り、全員の視線がドアへと向いた。
は首からタオルをぶら下げて、鼻をこすっていた。
「あー……風邪引いたかな……」
大分濡れたしなー……と呟きながら、は室内へと足を進める。
雨で濡れてしまったため、今までシャワー室で温まっていたのだった。
「おっ。湯上がり。いいねぇ。色っぽいなー」
「ははは、ジャン少尉。煽てても何もでないぞー」
笑いながら言うハボックに、が頭を拭きながら言った。
ホークアイが笑顔で尋ねる。
「。体の方は? もういいの?」
「もう全然元気でーす! お気遣い感謝!」
ニコニコと笑いながら、右手を上にあげて元気良く答える。つい数時間前まで苦しんでいたとは到底思えない程元気だ。
黒い半袖から見える細い腕には、白い包帯が痛々しげに巻かれていた。スカーに分解されかけた怪我である。頬に貼られている絆創膏に目を向けながら、エドワードはほっと息をつく。痛そうな素振りも無く動かしているところを見ると、大した怪我ではなかったようだ。
エドワードのそんな視線には気付かず、はエドワードの前の机に腰掛けて、まだ乾いていない髪をタオルで拭き始めた。
「さて! エルリック兄弟は、これからどうする?」
話を仕切りなおさんとばかりに、ヒューズが立ち上がって兄弟に尋ねた。
「うん……アルの鎧を直してやりたいんだけど、オレこの腕じゃ術を使えないしなぁ……」
エドワードが頬を掻きながら言った。
エドワードの練成は両手を合わせる方法の為、右手が壊れてしまった今錬金術が使えないのである。
すると、間髪入れずに、アームストロングが突然バッと上着を脱ぎ捨ててポーズを決めた。
「我輩が直してやろうか?」
「遠慮します」
アルフォンスも、これまた間髪入れずに断った。隆々の筋肉を見せ付けて「直してやろうか?」と言われても、素直に頷けるはずも無い。
誰があんたに頼むよ……と思わず小さく呟いたに、隣のハボックも無言で頷いた。
アルフォンスの鎧と魂の定着方法は、定着させたエドワードのみが知っている。知らない人間が下手に修理をして、もし失敗すればアルフォンスは死んでしまう。アルフォンスを直すためには、まずはエドワードの腕を直すしかない、という事だ。
「そうよねぇ……錬金術の使えないエドワード君なんて……」
「ただの口の悪いガキっすね」
「くそ生意気な豆だ」
「小さいだけの役立たず」
「無能だな無能!」
ホークアイの呟きに便乗して、続いたのはハボック、ヒューズ、、ロイだ。テンポの良さはさすがである。うんうん、と頷いているあたりホークアイも同意見らしい。
「ごめん兄さん。フォローできないよ」
「いじめだー!!」
良い事は一つたりとも挙げられていないにも関わらず、弟は兄をフォローする気は無いようだ。
酷すぎると叫ぶエドワードだが、全て事実であるため言い返せない。
味方が誰もいないとわかると、悲壮感を漂わせつつ、エドワードは大きくため息をついた。
「しょーがない……うちの整備師の所に行ってくるか」
兄弟の故郷のリゼンブール。そこに彼の機械鎧の整備師がいるという。片腕がないまま歩き回るわけにもいかないため、一旦故郷に帰る以外に選択肢はなかった。
スカーによる市街の被害状況の確認やタッカー邸の殺害事件での処理でバタバタと慌しい司令室内で、これからのことを考える。宿に預けた荷物の回収に、切符の手配。先に連絡をすべきかとも一瞬考えたが、まあいいか、とエドワードはすぐに自己完結した。
「で……何で泣いてんの?アレ」
呆れたようなの声が聞こえ、エドワードは目を向けた。
そこには、涙と鼻水を豪快に流しているアームストロングが居た。そんな彼の視線の先にいるのはエドワード。エドワードの顔がサーッと青くなり、ロイは頭を抱えた。
「聞いたぞ、エドワード・エルリック!!」
「ギニャーッ!!」
勢い良く、アームストロングは力の限りエドワードに抱きつく。エドワードの骨がバキボキと軋んだ。
「母親を生き返らせようとした、その無垢な愛! さらに己の命を捨てる覚悟で、弟の魂を練成したすさまじき愛! 我輩感動!!」
「寄るな」
再び抱き付こうと両腕を広げるアームストロングの顔を、エドワードは容赦なく足蹴にした。
何故アームストロングが知っているのか。自分は話していないし、恐らくアルフォンスも話してはいない。と、なれば……。
エドワードはツカツカとロイの元へ歩いていくと、恨みを込めて睨みつけた。
「口が軽いぜ、大佐」
「いやあ……あんな暑苦しいのに詰め寄られたら、君の過去を喋らざるをえなくてね……」
思わず目を逸らせながら、ロイは乾いた笑みを浮かべた。
「と、言う訳で。その義肢屋の所まで、我輩が護衛を引き受けようではないか!」
どういう訳かは全くもってわからなかったが、アームストロングはハンカチで涙を吹きながら名乗りを上げた。
ゲッと顔を引きつらせたのは勿論エドワードである。
「はぁ!? なに寝ボケた事言ってんだ! 護衛なんていらねーよ!」
「エドワード君。またいつスカーが襲って来るかもわからない中を、その身体で移動しようと言うのよ。奴に対抗できるだけの護衛をつけるのは当然でしょう?」
「それに、その身体じゃアルを運んでやる事もできないだろ?」
拒否するエドワードだが、ホークアイとハボックの言うことも尤もで、ぐっと言葉に詰まる。
確かに、左手しかない状態では錬金術は使えない。両腕でも歯が立たなかったスカー相手に、片手で挑むなんて無理に決まっている。勿論、大きなアルフォンスを運ぶことが出来るはずもなかった。
「だったら別に少佐じゃなくても!」
他に誰かいないか。エドワードはバッと周囲に目を向けた。
「俺ぁ仕事が山積みだから、すぐ中央に帰らなきゃならん」
ヒューズは不可。
「私がここを離れる訳にはいかないだろう」
「大佐のお守りが大変なのよ」
ロイも不可で、勿論ホークアイも不可。
「あんなやばいのから守りきれる自信無いし」
「「「以下同文」」」
ハボックに続いて、ブレダ、ファルマン、フュリーの三人も不可だった。
ようするに、アームストロング以外に手が空いていて、かつそれなりの戦闘能力を持った人物はいないということのようだ。
アームストロングは目を光らせながら、エドワードの頭に手を置いた。
「決まりだな!」
随分誇らしげである。
「勝手に決めんなよ!!」
どうしてもアームストロングと一緒なのは嫌らしい。
そして、ふと思い立ってに目を向けた。
「は!? 一緒に行くならの方がマシだって!!」
「マシって……あんた、他に言い方無いわけ……?」
の口元がひくりと引きつった。
「私だって仕事あるの。明日には次の町に行かなきゃいけないんだから」
「えー……?」
「それ以前に、私が護衛についたところでアルは運べないよ」
「あー……そっか。それもそうだな」
エドワードは渋々納得した。
相変わらずTシャツ姿のままのの腕は、自分と比べたって細い。決して筋肉がついていないわけではないが、それでも二メートルもの鎧を担ぎ上げるだけの力は無いに決まっている。
「次は何処行くんだ?」
ヒューズの問いに、は苦々しげに顔を顰めた。
「ニューオプティン」
「ご愁傷様」
「うっさい」
ニヤリと笑みを浮かべるロイをすかさず睨みつける。
そして視線をロイからエドワードへと戻し、は笑みを浮かべた。
「と、言うわけで。大人しく少佐と一緒に行きなさいな」
無駄に爽やかなその笑顔が腹立たしかった。
「だから、嫌だっての!!」
「子供は大人の言う事をきくものだ!」
「子供扱いするな!!」
に向かって怒鳴り、話に加わってきたアームストロングにもまた怒鳴って返す。
「この……アルも何か言ってやれ!」
そう言って弟にも話を振る。
「兄さん!! ボクこの鎧の身体になってから、初めて子供扱いされたよ!!」
しかし、弟は大喜びだった。
二メートルもの鎧姿であると、なかなか子供扱いはされないものである。そんなアルフォンスには嬉しい一言だったようだ。
結局、ロイの「まだ駄々をこねると言うのなら、命令違反という事で軍法会議にかけるが、どうかね?」という脅しによって、エドワードも承諾せざるを得なくなった。
そうと決まれば、出発の準備をしなければならない。意気込んだアームストロングは、早速アルフォンスを木箱に入れ、荷札をつけた。……荷物扱いの方が安いとのことだ。
初めて子供扱いされたことに喜んだのも束の間。アルフォンスは初めての荷物扱いに涙を堪えなければならなかった。
「って、何処かの司令部にずっと居るわけじゃないんだな。てっきり東方司令部勤務なんだと思ってたよ」
アームストロングがヒューズやロイと話をしている為、出発まで少し余裕があった。その間に、エドワードは相変わらずダルそうに椅子に座っているに話しかける。
汽車で鉢合わせたのは、が休暇から帰って来ただとかそういう事だと思っていた。だが、東方司令部の次はニューオプティンにある司令部に行くという。ロイ達のように一箇所に留まっているわけではないようだ。
「一応、中央司令部勤務なんだけどね。視察とか監査であちこち行ってんの」
「へー。将軍職に就いてんのに、そんな下っ端がやるような仕事してんのな」
「いいのいいの、私が好きでやってるんだから。色んな地域で色んな人に会って話聞いたりできるから楽しいよ。若いからってことで、結構好き勝手やらせてもらってるんだ」
「ふーん。部下とかいないの?」
「いるよ、二人。中央に置きっぱなしだけどね」
部下といっても、の年齢が異例であることを考えれば、より年上だろう。よく、こんな年下の部下に納まっていられるなとエドワードは思う。
「じゃあ、また何処かで会うかもしれないんだな」
自分達もあちこち歩き回っている身だ。司令部は国内に何箇所もある。何処かでばったりと出会うこともあるかもしれない。
は笑って頷いた。
「そうだね。ていうか、今まで一度も出会わなかったのが逆に不思議で仕方無いよ。こんなに目立つ二人組なのに」
「……それはどういう意味でだ?」
「誰も凸凹コンビだなんて言ってないよ」
「言っとるわァァアアア!!」
すぐ近くにあった椅子を蹴り飛ばしながらエドワードは怒鳴った。それに対するリアクションは無く、はただ可笑しそうに笑うだけというのが実に腹立たしい。
一体どんな育ち方をしたら、こんな図太い神経を持った女に育つのだろう。親の顔が見てみたいものだとエドワードは深く深くため息をついた。
「そういやお前、オレの腕とかアルの体とか見ても驚かなかったな。……まぁ、オレの方列車の時にわかってたと思うけど」
「ああ……前からロイに聞いてたしね。アルも足音聞いて納得した」
「……良い耳をお持ちなこって。あんのクソ大佐」
どうやら、知らないところで自分達の過去は広まっているらしい。エドワードは後方にいるロイを思いっきり睨みつけた。
そんなエドワードの様子に、は苦笑を漏らす。
「エドワード・エルリック! そろそろ行くぞ!」
丁度話は終わったらしく、アームストロングがアルフォンスを担ぎながら声をかけた。アームストロングと話をしていたロイとヒューズも顔を向けてくるが、何故か物凄い表情でこちらにガンを飛ばしていたエドワードに、怪訝そうに首を傾げた。との会話は聞こえていない。
エドワードは深いため息と共に肩を落とした。
「はいはい。つーか、いちいちフルネームで呼ぶな」
「じゃ、気をつけてね。そして色々と頑張って」
「ああ……色々の内容は聞かないでおくよ……」
ハハハと乾いた笑みを浮かべながら、エドワードは遠い目をする。あんな暑苦しいのと一緒だなんて、先が思いやられると言いたげだ。
クスクスと笑みを漏らし、はスッと右の拳を差し出した。それに気付き、エドワードは目を丸くする。そして、すぐに笑みを浮かべると、同じように左の拳を差し出した。
「賢者の石探し、頑張ってね」
「おう。お前も仕事頑張れよ」
ゴツンと、互いの拳が合わさった。