7.vs 傷の男





「くそっ! 雨が滑る!」

 タッカーの家を飛び出したは、雨の中、大通りへ向かって全力疾走していた。
 バシャバシャと足元で水を跳ね上げながら、ずぶ濡れになるのも気にせずにただひたすら走る。何度か雨に滑って転びそうになりつつも、その度に上手くバランスをとって転ばずにいた。

 大通り方面という大まかな情報しか無い。大通りと言っても範囲は広いのだ。片っ端から街の中を探すにしても、手のつけようが無い。
 大通りに辿り着きはしたものの、さて何処から探すか。
 息もあがってきた頃、建物の角から何人もの人々が悲鳴を上げて走って来るのが見えた。怯えた表情から見ても、何かから逃げているようだ。
 近い、とそう確信すると、は人々が出てきたその角を曲がる。
 すると、遠くの方で微かに青白い練成反応の光が見えた。

「見つけたッ!」

 ぐんと走る速度を上げる。

 二人の姿が確認出来た。一人はエドワード。もう一人は見慣れない男である。
 エドワードの右腕は破壊されていた。機械鎧が粉々になって地面に落ちている。
 もう一人の男はスカーであると確信した。
 エドワードの錬金術は両手を合わせて行うはずだ。片手を失ったエドワードは錬金術を使えない。

 スカーが、右手を振り上げる。

 は舌打ちすると急ブレーキをかけて立ち止まり、地面に両手をバンッと叩きつけた。
 途端、青白い光が走り、そこからエドワードの居る場所までの地面が猛スピードで凍り出した。即座にエドワードの前まで凍った地面は、スカーとの間に分厚い氷の壁を生み出す。濡れている地面に降り続ける雨。水分の量には申し分無い。

「えっ!?」

 突然現れた氷の壁に、エドワードもスカーも思わず目を見開いた。
 一瞬、アルフォンスの錬金術かと思った。だが、今アルフォンスは鎧を破壊されている。それに、彼は練成陣を描かねばならない為、こんな速度での練成は不可能だ。
 一体誰が。
 その疑問はすぐに解決された。

「見つけたよ。スカー」

 今までそこには無かった第三者の声に、エドワードとスカーの二人は顔を向けた。
 そこに立っていたのは、肩で息をしているだ。
 深い藍色の瞳は、一直線にスカーを睨みつけている。

「「!?」」

 エドワードとアルフォンスが叫んだ。
 ピクリとスカーの眉が動く。

……? “流水の錬金術師”、か?」
「だったら何?」

 怯むことなく、は返す。
 その返事を肯定と受け取り、スカーは口元を上げた。

「くくく……。今日は何と良き日だ。国家錬金術師が自ら現れるとは」

 その間にも、は周囲に目を走らせていた。
 エドワードの姿からして、恐らくもう戦えないだろう。少し離れたところにいるのはアルフォンスだ。腹の部分の鎧を大きく破壊されている。こちらも到底戦えそうに無い。
 本当に危機一髪のところだったと内心で安堵し、はスカーに目を戻す。

「何故、国家錬金術師ばかり狙う? 錬金術師なら他にもたくさん居るでしょうが。一体何が目的?」
「これから死ぬ貴様に言う必要は無い」
「……あっそ。じゃあ、力ずくで聞き出す!」

 そう啖呵を切ると、は両手を少し間を開けて近づけた。
 バチィッと両手の間で練成反応が起こり、次の瞬間、の手には氷の刃が握られていた。左右の掌に刻まれた錬成陣により、周囲の水分子を再構築し凝固させたのだ。
 練成時間は、僅か一瞬。

「これが……の練成……」

 驚いてエドワードは呟く。
 いつもへらへらと無駄に明るく、将軍の威厳どころか、どうして国家資格をとれたのかもわからないような人物だった。
 だが、練成した刃を構えるの姿を見て、やはりその構えが素人のそれでは無いと感じる。国家錬金術師。そして、少将という地位は伊達では無いようだった。

 ふぅっと息を深く吐くと、は地面を踏み込んだ。
 素早く間合いを詰めると、スカーに斬りかかる。
 スカーは難なくかわすと、右手を勢い良くに向けてきた。それを体勢を低くする事で避け、その体勢から上体を起こすと同時に刃を振り上げる。
 今度は避けずに、スカーは両手で刃を受け止めた。掌に血が滲む。
 左手で刃を掴んだまま、右手を刀身に当てる。
 刃を挟んだ手の先は、の顔面。

 ハッとして、エドワードが叫んだ。

!! 右腕に気をつけろ!!」
「いっ!?」

 青白い光と共に刃は粉砕され、そのままスカーの右手がの眼前に迫る。
 それを慌てて仰け反ってかわすと、その勢いのままスカーの顔目掛けて足を振り上げた。だが、それはスカーの顎を僅かに掠めるに過ぎなかった。
 チッと舌打ちをして、スカーはから間合いをとる。もそのまま地面を蹴り、回転してスカーとの距離を開けた。見事な体術を繰り広げるを見て、エドワードはホッと息をついた。
 の先程まで居た場所には、粉々に砕けた氷の破片が散らばっている。

(あの右手でモノを破壊するのか……)

 気をつけないと、と呟いてエドワードにちらりと目を向ける。

 機械鎧は鋼で出来ている為、刃物や銃弾なんてものともしない。簡単には壊れたりしないのだ。
 それを、スカーは破壊した。否、分解といった方が正しいのだろう。
 確かに、今さっきの氷を破壊した時に見えた光は練成反応。恐らく練成をする工程のうちの、分解で止めている。
 錬金術は「理解」して「分解」して「再構築」する。理解できているならば分解は容易い。

 そう。分解できるのだ。
 たとえそれが、人の肉体だとしても。

 脳裏を、タッカー邸の死体が横切った。

「……」

 眉を寄せて歯噛みする。
 確かにニーナはあのまま生きていたとしても、実験動物としての扱いを受けていたかもしれない。それは予測していた。
 だからこそ何とかしようと思っていた。どうにかしようと思っていた。ニーナとアレキサンダーがこれ以上苦しまないように、対策を練るはずだった。
 正面に立っているスカーが、こちらを睨みながら右手の骨をパキッと鳴らす。

 あの男は、そんな可能性すらも切り捨てたのだ。

 スカーは地面を強く蹴って間合いを詰めてきた。
 ぐんと右手を伸ばしてくるが、はそれを寸でのところで避けて右手を自身の腰に回した。腰のホルスターに納められている銃を抜き、至近距離から発砲する。それすらも読んでいたのか、スカーは身を屈めてそれをかわす。乾いた音だけが、雨音の中に響く。
 二人の動きは止まる事は無い。
 そのままの低い体勢で回転をつけたスカーの足がへと伸びてくる。

「っ!!」

 危うく腹に直撃しそうだった足を、両腕でガードする。その衝撃で背後へと吹き飛ばされる。
 エドワードが名を叫ぶ声が微かに聞こえた。だが、返事を返す暇など無い。が着地した時には、目前にスカーが迫っていた。
 瞬時に、は右手を上から下へサッと振り下ろした。練成反応と共にそこに出来たのは分厚い水の壁。間髪入れずに、今度は両手を向ける。バチッと光が走り、壁は水から氷へと変化した。

「……無駄な事を」

 スカーは戸惑うことなくその壁に右手をあてる。
 大きな破壊音と共に、氷は呆気なく破壊された。
 だが、その壁の向こうには……氷の刃を構えたの姿。

「!!」
「せいッ!」

 目の前のスカーに向かって、は刃を振り下ろす。
 勢いづいて避けきれないと判断したスカーは、そのまま両手で刃を掴んで止めた。

「随分と多くの人を殺してきたね……。国家錬金術師を殺すために……多くの犠牲を出して」

 グッと足と手に力を入れる。
 スカーの血が、刃を伝って滴り落ちた。

「あんた……人の命を何だと思ってるの? 人を殺して……何が目的なの!?」
「……言ったはずだ。貴様にそれを言う必要は無い」

 はスカーを睨みつけると、壊れそうな氷の刃を再練成させる。降り続ける雨をも吸収し、刃の側面から大量の棘が生える。スカーの手や肩を掠るものの、スカーは驚く事もなくすぐに棘をも破壊する。
 持ち手のみになってしまった刃の破片をスカーに投げつけ、すぐに別のものを練成しようと両手を構える。
 だが、それよりも先にスカーがの左肩を掴んだ。

「神に祈る間はやらぬ」

 力が強くて抜け出せない。

「死ね」
「このっ……!」

 再びホルスターから銃を抜き、スカーの右手に当てるなりすぐに引き金を引いた。
 乾いた発砲音と、青白い光が走るのは、ほぼ同時だった。
 お互いが素早く後ろへと跳んで、距離を離す。
 相打ちといったところだろうか。スカーの右腕を銃弾が掠り、は肩を中心に腕や頬に切り傷が出来る。
 もう少し遅かったら左肩を失っていた。ボロボロになった軍服の左肩部分がそれを物語っていた。
 出血は酷くない。は頬を流れる血を服の袖で拭い、ふぅっと深く息を吐き出す。

(そろそろロイ達が来る……それまでなんとか持たせれば……)

 いつでも仕掛けられるよう、スカーは体勢を整える。
 眉を寄せつつ、が一歩スカーへと近づいた。
 その時だった。

「―――ッ!!」

 ズキン! との体を突然激しい痛みが貫いた。
 体を支えられなくなり、ガクンとその場に膝をつく。

ッ!?」
「ゲホッ……ガハッ……!!」

 腹を抱えては蹲る。苦しそうに咳き込む姿は、先程までスカー相手に善戦していた人物とは思えない。
 エドワードが名を呼んでもは反応を返せない。全身を駆ける痛みに、声が出ない。
 エドワードには何が起こったのか理解出来なかった。
 今までなんでもない様子で戦っていたというのに、攻撃を受けたわけでもないのに、が突然膝をついたのだ。

「く、そッ……こんな、時に……ッ!!」

 が自分に苛立ったように呻く。
 だが、思いとは裏腹に体は言う事を聞いてくれなかった。力が入らない。

「ぐッ……ぁ……!」
「……」

 その様子を黙って見ていたスカーが、に一歩近づいた。

ッ!! 逃げろ!!」

 それに気が付いたエドワードが叫ぶ。
 だが、は動けない。片方の手で腹をおさえ、片方の手を地面につけ、苦しそうに浅い呼吸を繰り返す。
 スカーが一歩、また一歩とに近付いていく。
 の目の前に立つと、顔を上げさえしないの頭に右手を近づけた。

ッ!!」

 エドワードの声が響く。
 その時、

 ドンッ

 空に、一発の銃声が響いた。
 スカーの動きが止まる。

「そこまでだ」

 スカーとエドワードが目を向ける。
 そこには、後ろにホークアイとハボックを従えた、ロイが立っていた。