「うは……すげーなこりゃ……」

 焼け焦げた駅のホームの床を見ながら、憲兵の一人が驚きの声を上げた。
 ロイが指を弾いただけで、何も無いところに突然炎が現れ、首謀者の男を包み込んだ。それが幻覚ではなかったことは、しっかりと焦げた床が証明している。

「ああ、大佐達のあれ見るの初めてか」

 その声に気が付いたハボックが、胸ポケットから煙草とライターを取り出しながら声をかけた。

「あ……ハボック少尉」
「いったい、どうやったらあんな事ができるんですか!?」

 驚いていた二人の憲兵が敬礼を返しつつ、ハボックに問いかける。

「大佐の手袋は発火布っつー特殊なのでできててよ。強く摩擦すると火花を発する。あとは空気中の酸素濃度を可燃物の周りで調整してやれば……『ボン!』だそうだ」

 ボッとライターの火をつけながら、ハボックは解説をした。

「理屈はわかりますけど、そんな……」
「それをやってのけるのが、錬金術師ってやつよ。の方の錬成も似たようなもんだ」

 つい先程、ロイの炎を打ち消した。あれは彼女の錬金術によるものだ。彼女もロイと同じく、国家資格を持った錬金術師である。

「ちなみに、大佐の隣にいるちっこいのも国家錬金術師だぞ」

 状況報告のために未だロイと話をしているエドワードを指差しながら、ハボックは付け加えた。

「え!! じゃあ、今回犯人全員を取り押さえたのって……」

 憲兵達が驚いてエドワードを見る。

「信じられんな……」
「ああ……」

 まだ子供にしか見えない人物が、今回の犯人全員を取り押さえた。何も無いところに炎を生み出す。そして、その炎を打ち消す。
 それをやってのけるのが錬金術師。

「人間じゃねえよ……」

 まるで恐ろしいものを見るように、二人は錬金術師達に目を向けた。




   

3.鋼の兄弟





「今回の件で一つ貸しができたね。大佐」

 来客用の椅子に深く腰掛けたエドワードが、にやりーんと効果音がつきそうな程の笑みを浮かべて偉そうに言った。
 事後処理の為に駅に数名を残しているが、ほとんどの兵は司令部に帰って来ていた。現在執務室に居るのは部屋の主のロイ、そしてエドワードとアルフォンスである。

「……君に借りをつくるのは気色が悪い」

 エドワードの意地の悪い笑みに、ロイは手を組み合わせながら嫌そうに表情を歪める。そして、すぐに折れたようにハァとため息をついた。

「いいだろう。何が望みだね」
「さっすが♪ 話が早いね」

 エドワードは満足げな表情でカラカラと笑った。
 知り合ってからはそれなりの長さが経っている為、お互いの人間性は多少とも理解していた。ロイの管轄でエドワードが手柄を立てた。彼が何も要求してこないはずが無いのだ。

「邪魔するぜーい」

 そんなやる気の無い声と共に、執務室のドアが大きな音をたてて開かれた。
 三人がドアに目を向けると、そこにいたのは案の定だった。私服から着替えたらしく、ロイ達と同じ青い軍服を着ていた。自分の分だけ紅茶を淹れてきたようで、行儀悪くもその場でズズズと飲んでいる。そして、器用に足でドアを閉めた。
 エドワードとアルフォンスが呆然と見ている中、ロイが盛大なため息をついた。

……いくら君が私の上司だからといって、ノックせずに入って来るのはどうかと思うんだが」

 呆れ果てたようにロイが言う。

「いいじゃん。ここ、私の執務室も兼用なんだから」

 何を馬鹿なことを言っているのかといった様子で笑いながら、は部屋に入ってすぐ左手にある机に腰掛けた。
 エドワード達は何度かこの執務室に入ったことがあったが、何故机が二つもあるのかずっと不思議に思っていた。その謎が今解けた。本来あるべき場所にある、部屋の正面の机がここの司令官であるロイの物。後から置いたのであろう、部屋の左側にある机はの物だったのだ。今までそこに人が座っているところを見たことは無かった。
 そんなの様子に、ロイは盛大なため息をつき片手で額を抑えた。

「おい、大佐……いいのか? こんなのが上司で」
「言ってくれるな。鋼の……」

 エドワードは呆れた表情でを指さし、首だけロイに向けて問いかける。ロイはげんなりとした様子で項垂れた。いいのかと聞かれたところで、昇進を決める権限がロイにあるわけでは無い為どうしようも無い。
 今日会ったばかりの兄弟は、何故が将軍職についているのだろうかと思わずにはいられなかった。それ程にに将軍の威厳なんて欠片も見当たらない。

「で? 何の話してたの?」

 話を中断させた張本人だというのに、全く気にした様子も無くが尋ねる。

「そうだ、話の途中だったんだよな。大佐。この近辺で、生態練成に詳しい図書館か錬金術師を紹介してくれないかな」
「今すぐかい? せっかちだな、全く」

 そう言いながらも、ロイは立ち上がった。

「オレ達は一日も早く元に戻りたいの!」
「久しぶりに会ったんだから、お茶の一杯くらいゆっくり付き合いたまえよ」
「……野郎と茶ぁ飲んで何が楽しいんだよ」

 顔を引きつらせるエドワードに、ロイは肩を竦めて見せた。
 ロイは壁際に立っている棚の前まで行くと、ぶつぶつ呟きながら何かを探し出した。エドワードの要望に答えるべく資料を探しているようだ。その背を見ながら、エドワードとアルフォンスはロイが資料を発見するのを待っている。そんな二人を見ているのはだった。

 エドワードは「元に戻りたい」と言った。
 何に、とは聞かない。それが二人の身体の事だというのは安易に予測出来たからだ。
 エドワードの右袖から見え隠れする機械鎧。左足も確かに機械鎧だった。
 そして、鎧の身体のアルフォンス。

 二人の話は以前、ロイに聞いたことがあった。
 何年か前、死んだ母親を生き返らせようとして禁忌である人体練成を行った。その為、エドワードは左足を。アルフォンスは全てをリバウンドとして失った。
 だが、エドワードは自身の右腕を代価としてアルフォンスの魂を呼び戻し、鎧に定着させる事に成功。現在、アルフォンスの鎧の中には何も入っていない。空っぽの鎧に魂のみが定着しているのである。
 は実際に出会ってまさかと思ったが、アルフォンスの足音を聞いているうちに納得した。あの空洞感のある音は、中に人が入っていては聞こえる事は無い。

「ええと、たしか……。ああ、これだ」

 ロイの声が聞こえて、思考を中断してそちらを見る。
 丁度ロイが目当てのものを見つけたようだ。

「『遺伝的に異なる二種以上の生物を代価とする人為的合成』――つまり合成獣練成の研究者が市内に住んでいる」

 バインダーから一枚の書類を抜き出して、ロイが言った。

「“綴命の錬金術師”、ショウ・タッカー」

 名を告げたのはロイではなくだった。
 三人の視線がに向く。

「二年前に、人語を使う合成獣の練成に成功して資格とった人でしょ?」
「そうだ。よく覚えてたな」
「珍しい事例だったからね」

 が紅茶を飲みながら答えた。

「つーか人語を使うって……人の言葉を喋るの? 合成獣が?」

 エドワードが驚いて言った。
 合成獣(キメラ)というのはその名の通り、二種以上の生物を合成してできる新たな生物の事である。人語を話すには相当知能が高くなくてはいけない。それに加え、人間だからこそ出来る発音だってあるのだ。
 同じく国家資格を持っているエドワードだが、未だかつてそんな合成獣の存在を聞いた事は無かった。が珍しいと言っているあたり、やはりタッカー以外にそれを成し得た人物は居ないのだろう。

「そのようだね。私は当時の担当じゃないから実物は見ていないのだが、人の言う事を理解し、そして喋ったそうだよ。……ただ一言。『死にたい』と」

 静まり返った中、エルリック兄弟が息を呑んだ。

「その後、エサも食べずに死んだそうだ」
「私はその合成獣見に行ったけど、その時はもう死んじゃってたよ。生きてたら合成獣からも話聞けたかもしれないけど」

 ロイは資料を元の位置に戻しながら、の言葉に「全くだな」と同意を示した。
 言葉を話すというのがどの程度まで話せるのかわからないが、少なくとも「死にたい」と自分の意志を伝えられる程の知能はあったようだ。何故死にたがっていたのか、その話も聞けたかもしれないのだが。
 ふと視線を感じたが顔を向けると、不思議そうな表情のエドワードと目が合った。
 眉を寄せて「何?」と尋ねる。

「いや、って何歳から軍に入ってんのかなーと思って」
「何で?」
「だって、オレらと同い年くらいなのに二年前にはもう軍人やってたって事だろ?」
って何歳なの?」

 アルフォンスが尋ねる。
 は紅茶を啜りながら答えた。

「17」
「「えっ!?」」

 二人の驚きの声がユニゾンした。
 の機嫌は驚かれた事によって明らかに下がり、ロイはそれを見ておかしそうに肩を震わせる。

「なに、その『えっ!?』ってのは」
「いや……若いんだろうなとは思ってたけど、そこまでボクらと歳が近いとは思わなくて……」
「オレ、もうちょい下でも有りだと思うぞ……」
「ええ!? さすがにそれは無いでしょ」
「だってお前……オレ、こいつが年上だなんて思いたくねえよ。せめて同い年だ同い年」

 むすっと口を尖らせているを、エドワードは目を細めて見ていた。
 駅でのあの様子。そして、執務室へ入って来た時のあの自由奔放な態度。この少女が年上で、しかも将軍職についているだなんて思いたくなかった。彼女の軍服の肩章が確かに少将を示すものであっても、未だ信じきれないのだ。

「失礼なやつだな……つーか、同い年って。エド、何歳よ」
「15」

 途端に、は飲んでいた紅茶をブッと吹き出した。思わずエドワードはぎょっと目を瞠る。

「じゅ、15!? 私そんなにガキじゃないし!!」
「ちょっと待て。その言い方だと何か? オレはガキだと?」
「うん、見た目からして。ていうか、もっと下だと思ってた」
「誰が蟻並みのどチビだァァァアアッ!!!」

 ああ、やっぱり身長関連の話題は禁句なのか。とは怒鳴るエドワードを平然と見ながらそう思う。
 女性にしては高めの身長であるとエドワードは、頭一つ分弱程度の身長差があった。彼の厚底ブーツの分を除けば、その差はもう少し開くかもしれない。実の所、エドワードの年齢は13歳くらいかと思っていたのだが、言った後の様子が安易に想像出来たためにその言葉は飲み込んでおいた。
 それにしても、「見た目からして」としか言っていないというのに反応するという事は、少なからず自分の背が低い事について自覚はしているようだ。言った後が煩そうなので言わないが。

「鋼の。私としては、そろそろタッカー邸に案内したいんだが……」

 ロイはチラリと時計に目を向けて、未だ一方的な言い合いをしているエドワードに言った。

「そんなにが気に入ったかね」
「馬鹿も休み休み言えよ大佐この野郎」
「私、キレやすい男とちっさい男にゃ興味ないわー」
「誰がミジンコだゴルァアアアッ!!!」
……ちょっと、いい加減兄さんで遊ぶのやめて……」

 涼しい顔のに、再びキレだすエドワード。ロイはおかしそうに笑っている。
 際限なく続きそうなこの有様に、げんなりした様子でアルフォンスがストップをかけた。




「えーっと……列車強盗は、東部過激派の『青の団』の犯行でー……首謀者はー……えー……」
「バルドよ」
「おお、そうだそうだ。バールードー……っと」

 ぶつぶつと呟きながら、列車強盗事件についての書類を書いているのはだった。
 エドワード達がタッカーの家に行くのを見送った後、執務室で一人仕事を始めていた。
 机の前にはホークアイが立っている。ロイに書類を持って来た彼女は、仕事をしているを見つけて一度部屋を出て行くと、の為にコーヒーを持って再びやってきたのだった。
 このロイの執務室にあるの机は、数年前にハボックやブレダに頼んで、本人の知らぬ間に勝手に置いたものだ。当時「部屋が狭くなる」「何故私の部屋に」等と散々文句を言われたが、そんな言葉などの耳には入ってこない。ロイとが、もう十年近くの付き合いがあるが為に出来る勝手気ままな行動である。

「そういえば、良かったわね。エドワードくん達に会えて。前から会いたいって言ってたでしょ?」

 外に出ている時は『将軍』と呼ぶホークアイだが、司令部やプライベートで関わる時は『』と呼び敬語も使わなくなる。ロイ程ではないにしても、とホークアイの付き合いも随分な長さだ。にとってホークアイは姉のような存在であり、彼女にとってもは妹のようなものなのである。

「そうそう。会ってみたいと思ってから、一体何年経ったか……四年?」
「あら。そんなに?」
「そうだよ。あの二人が人体練成したって、ロイに聞いてからだもん」

 コンコンと机をペンで突きながらは言う。
 ロイに彼らの話を聞いたのは四年前。彼らが人体練成し、ロイとホークアイが彼らの元を訪れて少ししてからだった。
 会ってみたいと思っていたのだが、兄弟が司令部を訪れる時に限ってはいない。そのままいつの間にか四年の月日が経っていた。

「あの子達が禁忌を犯したのか……」

 鋼の手足。鎧の身体。
 ただ、母親にもう一度会いたかっただけだった。
 そんな純粋な想いで、彼らは禁忌を犯した。

「初対面なのに……やっぱり、他人と思えないんだよなぁ……」

 何処か遠くを見ながら、はすっと目を細めた。
 無意識に左手で腹を押さえる。

 そこにあるのは、消える事の無い傷痕。

……」
「ん? ああ、ごめんね」

 心配そうに見てくるホークアイに、は何でもないような顔で手を振った。

「そうだ、リザ中尉。こっちの書類なんだけどさー」

 ペンを置いて、は脇の書類の山を漁り出した。
 顔にかかってきた髪を、邪魔だとばかりに耳にかける。
 青の髪の合間から見えるのは、左耳の赤いピアス。
 ホークアイは目に入ったそれを見て、僅かに眉を寄せた。