2.大声注意報発令




「や。鋼の」

 イーストシティの駅で降りてみれば、脇にホークアイを連れたロイが片手を上げながらにこやかに挨拶をしてきた。爽やか過ぎるその笑みがどうにも胡散臭く見えるのは、エドワードが彼を嫌っているせいだろうか。会いたくない人物に出会ってしまったと、エドワードはこれでもかという程嫌そうに顔を顰めた。

「あれ、大佐。こんにちは」

 一方のアルフォンスは普通に挨拶を返している。エドワードのようにロイを毛嫌いしている様子は無い。

「なんだね、その嫌そうな顔は」
「くあ~~! 大佐の管轄なら放っときゃよかった!!」

 にやにやと笑みを浮かべるロイに背を向け、エドワードは額を押さえて忌々しげに言った。
 『鋼の錬金術師』であるエドワードは15歳という幼さながら軍属で、国家資格を取るきっかけを与えたロイとは顔馴染みであった。

「……っと。まだ元には戻れてはいないんだね」

 周囲に目を向けていたロイだったが、エドワードの右手に気付いて言った。
 トレインジャック首謀者のバルドを倒す際に機械鎧を刃物に変えた為、いつもつけている手袋が破れて鋼が露わになっている。
 ロイはエドワードの手足の機械鎧の事も、アルフォンスの鎧の事も知っている。彼らが元の身体に戻るために旅をしている事も、だ。
 現在エドワード達は、元の生身の身体へ戻るため、“賢者の石”の情報を求めて東部の街を虱潰しに探し歩いていた。だが、良い文献などは未だ見つかっていない。

「噂は聞いてるよ。あちこちで色々やらかしてるそうじゃないか」
「げっ。……相変わらず地獄耳だな」
「君の行動が派手なだけだろう」

 苦虫を噛み潰したような表情のエドワードに、ロイは肩を竦めた。
 そして、ロイはまた周囲に目を向ける。

「さっきからキョロキョロしてるけど、誰か捜してるのか?」

 エドワードが尋ねる。
 会話しながらも、ロイは何度か周囲に目を回していた。

「まぁな」
「乗客?」
「ああ。君達会わなかったか? 青い髪の……」

「うわぁ!!」
「貴様……ぐあっ!!」

 ロイの言葉を遮って悲鳴が聞こえた。
 二人が目を向けると、首謀者のバルドが自身の機械鎧に仕込んでいたナイフでロープから抜け出していた。縄を牽いていた憲兵が血を流して倒れている。
 怒り露わに息の荒いバルドは、ロイとエドワードを鬼のような形相で睨みつけていた。今にもこちらに飛び掛って来そうである。
 脇に控えていたホークアイが、銃を構えて前に出ようとする。だが、ロイはそれを手で制した。

「これでいい」

 自信有りげに笑みを浮かべ、右手を差し出した。
 その手袋の甲に描かれているのは、二重の円に三角形、そして炎とサラマンダー。練成陣だ。

「おおおおおおおッ!!!」

 怒りのままに叫びながら、バルドが突っ込んでくる。
 それに焦る事もなく、ロイは右手の指をパチンと鳴らした。
 途端、バルドの体は炎に包まれた。

「ごぉああッ!!?」

 炎に焼かれて、バルドはたまらず悲鳴をあげた。
 倒れこんだところを憲兵に取り押さえられる。

「手加減しておいた。まだ逆らうというなら次は消し炭にするが?」
「ど畜生めッ……テメェ何者だ!!」

 押さえつけられたバルドが、下からロイを睨みつけて言った。
 ロイは得意げに笑みを浮かべた。

「私はロイ・マスタング。地位は大佐だ。そしてもうひとつ……“焔の錬金術師”だ。覚えておきたまえ」
「ぶはッ!!」

 それは少し離れたところから聞こえた。
 突然の声にエドワード達が振り向くと、先程までいなかったはずのが腹を抱えて笑っていた。

「『焔の錬金術師だ。覚えておきたまえ』……だーってさぁ! ぷふーッ!! 格好つけー!! 無能ー!!」

 声真似しつつも、ロイを指差しながら爆笑している。エドワードとアルフォンスが不思議そうに顔を見合わせた。
 ロイの額に青筋が浮かび、頬がひくりと引きつった。

……久しぶりに会っての第一声はそれか?」
「いちいち格好つけるあんたが悪いんだって……っく……あははっやべぇ腹痛い……!」

 ヒーヒー言いながらがこちらに近づいてくる。どうやらロイ達とは知り合いのようだ。
 そういえば、とエドワードは思う。先程ロイが「青い髪の」誰かを捜していたようだった。の事だったに違いない。

「あ、ジャン少尉だー! おっひさー!」
「おー、久しぶり。相変わらず元気そうだなー」

 片手を上げながら挨拶するに、ハボックが手を上げて返す。
 ロイだけでは無く、東方司令部の面々と知り合いらしい。だが、随分と親しげではないか。

「というか、。会う度私の事を無能と言うのをいい加減やめたまえ」
「えー、いいじゃん。事実だし」
「私のどこが無能だ」
「全て?」

 全く悪気の無さそうな表情で首を傾げるに、エドワードは思わずブッと吹き出した。
 自分もロイに好き放題言いたい事を言う方だが、さすがにここまで貶してはいないはずだ。

「仕事サボるし、格好つけだし、女たらしだし。雨降ったらしけるし!
「しけるとか言うな!」

 笑顔のに思わずロイも怒鳴って返す。
 エドワードはそのやりとりについに爆笑。アルフォンスははらはらと様子を見守っていた。
 頭が痛くなってきたと、ロイは額に手を当ててため息をついた。

「全く失敬なやつだな……仕事だって、別に毎日サボっているわけではないだろうが」
「ねぇねぇ、少尉! 彼女できたー?」
「私の話を無視するんじゃない!」

 華麗にしかとするに向けて、ロイはついに指をパチンと鳴らした。
 先程バルドに向けたものと同じ。その指を鳴らして生まれるのは炎だ。

「おい、大佐!?」

 ぎょっとしたエドワードがロイに静止の言葉を投げた。
 駆け出そうと思ったが、間に合わない。
 は振り返ったものの、逃げようとしない。ロイの炎がを包む……そう、思った。

「「えっ!?」」

 ジュッ! という音と、エルリック兄弟の驚いた声が重なった。
 火花は確かにあったものの、それっきり。爆発が起こることはなく、が右手を差し出すと同時に炎は消え、辺りに白い煙が漂った。何をした様子も無い。ただ黒い手袋をした右手が差し出されているだけだ。
 兄弟は思わず目を丸くするが、大半の軍人達はまるで見慣れているかのように苦笑を漏らす者ばかりだ。

「危ないなー。そんなに怒らなくてもいいじゃん。いつもの事でしょ?」

 いつもロイに「無能」と言っているようだ。危うく巻き添えをくらいそうになったハボックは、の隣で顔を引きつらせていた。

「つーか、私に火は効かないって知ってるでしょーが」
「……ならば、消せぬ程火力をあげてやろうか?」
「ほほほー! やってみればー? まあ、意味ないと思うけどね!」

 明らかに挑発していると、その挑発に乗っているロイ。
 オイオイとエドワードが顔を引きつらせるのだが、誰も止める素振りを見せない。というか、見て見ぬふりを決め込んでいるようだ。
 ロイが指を前に出して構える。もロイの方を見た。

「後悔するなよ!」
「どっちが!」

「いい加減にしてください!! マスタング大佐!! 将軍!!」

 ホークアイの怒号が駅のホームに響き渡った。
 辺りがシーンと静まり返る。
 構えたままの格好でフリーズしたロイとは、ホークアイを凝視していた。顔を引きつらせ、冷や汗を流しながら。

「大佐。将軍。お二人が勝負をするのは一向に構いませんが、場をわきまえて頂かないと困ります。こんな人が大勢居る所で喧嘩されては迷惑です。やるなら他所でやってください」
「「ご……ごめんなさい」」

 二人は声を揃えて素直に謝った。
 これ以上ホークアイを怒らせるのは危険だと瞬時に理解する。彼女の右手には愛用のブローニング。下手をすれば蜂の巣だ。
 ホークアイの迫力にエルリック兄弟は揃って固まり、ハボックは苦笑を漏らす。

「いやー……ちょっと遊びすぎたかなぁ……なーんて。ほら、私とロイって仲良しだし……ね、ねぇ?」
「あ、ああ。そうだとも……」

 二人は無理やり笑顔を作っているが、声は面白い程上ずっている。ぎこちない動きでお互い近づくと、引きつった笑みで握手を交わした。
 ひとまず争い事は収まったらしい。エルリック兄弟はほっと息をつく。

「……ん?」
「あれ……?」

 エドワードとアルフォンスが同時に声を漏らした。
 うっかりホークアイが怒鳴ったという事に気をとられていたが、彼女はエドワード達の聞き慣れない名前を呼ばなかっただろうか。
 彼女が呼んだのはマスタング大佐――これはロイの事である――そして将軍。

「え……将軍って…………はぁ!?」

 エドワードが震える指でを指す。
 そう。ホークアイは間違いなく、に向かって「将軍」と呼んだはずだ。
 皆がエドワードを見て、それからきょとんとしているを見た。

「なんだ、。言ってないのか?」
「別にそこまで名乗る必要無いかなーって」

 どうせ信じないだろうしね、とは肩を竦める。
 確かにと思いながら、ロイは息を吐いた。

「自己紹介してやれ」
「んでは、改めまして」

 言われて、はエルリック兄弟の方を向くと、ビシッと慣れた手つきで敬礼をした。

「国軍少将、です。ついでに、“流水の錬金術師”とも呼ばれております」

 ポカーンと口を開けたまま、目も見開いてエドワードはを凝視する。
 アルフォンスからも驚いている雰囲気が読み取れる。

「鋼の錬金術師殿、そして弟くん。列車奪還お疲れ様でした。おかげで私はとっても楽出来たよ! センキュー!」
「ああ、やっぱり何もやってないんだな」
「やだなぁ、活躍の場を譲っただけだってば」

 呆れるロイに向かって、やれやれとは首を振って言い訳をした。

 自分達と然程歳が変わらないはずの
 国軍少将。
 そして、国家錬金術師。

 エドワードはひくりと口元を引きつらせた。

「う……」

「「嘘ぉぉ――――――っ!!!!???」」

本日のイーストシティの駅は、よく大声が響く日である。