そして戦争は終わった。
江戸に帰って来た千鶴は、その足での家へと向かった。一人でやってきた千鶴を見て、母は静かに迎え入れた。ちょうど父も帰って来ている時間帯だった。
「ちゃんが、京に行く時に持っていた刀です」
すっと刀を一振り差し出す。下緒は随分とぼろぼろになり、鞘も汚れていた。
「持って来てくれたのか」
「すみません、私物がそれしか残ってなくて……」
は最後の戦いの前に、私物のほとんどを処分していた。元々持っていた物は少なかった。結果、千鶴が帰り際に部屋を片付けに行っても、綺麗に整頓されており、机の上にこの刀が一振り置いてあるだけだったのだ。
「ありがとう、千鶴ちゃん」
刀を受け取り、父は愛おしそうに鞘を撫ぜた。
「それから――こちらを」
懐から取り出したものを、二人に渡す。
「これは……写真か?」
二人が一枚の紙を覗き込む。
「はい。箱館で、戦が始まる前に撮ったものです。たぶん土方さんが……こうなるのをわかっていて撮ったんだと思います」
は頑固だから。戦うと決めたから。土方も、最後はこうなることを予期していたのだろう。千鶴と同じように、土方ものことをよくわかっていた。
椅子に座った千鶴と、その隣に立つの姿。胸を張り、誇らしげに笑みを浮かべている。
はこの家には帰って来なかった。帰って来たのは、一振りの刀と写真が一枚。
と土方は箱館の地で眠っている。場所は誰にも言っていない。千鶴と相馬の二人しか知らない。だから、誰も彼らの眠りを妨げることもない。
母は写真を見て涙を堪えきれず、顔を覆った。
「……これは、君が持っていなさい」
しばし写真を見つめていた父親が、千鶴に写真を差し出した。
「え? でも……」
「私物はこの二つしかないのだろう? 形見分けというやつだ」
写真を受け取りながら、千鶴は俯いた。
「……私なんかが、分けていただいてよいのでしょうか」
千鶴が呟く。ふ、と父が笑みを浮かべる。
「は、君を守ることを何より優先した。自分よりもだ。それは、最終的に君が望まないことになるのではないかと私は危惧していた」
父親は知っていた。だけが気付いていなかった、その危うさを。
「そんなあの子がね、ここに筒袖を着て別れを告げに来た時、思ったんだよ。……この子はきっと、千鶴ちゃんとの別れもきちんと済ませて、立派にお役目を果たせると」
新選組と出会って、は変わった。強くなった。それは決して、剣の腕だけではない。
「……はい」
千鶴が声を震わせた。
「はい。私たち、ちゃんとお別れしました」
顔を上げ、千鶴は泣きそうな顔で告げた。
「箱館の桜は五月に咲くんです。そんな満開の桜の下で、ちゃんは私に、『いってくる』って……」
そして自分は止めることなく、「いってらっしゃい」と言った。帰って来ることがないことなどわかっていたのに、再会を約束する言葉で別れを告げた。
「そして、土方さんは……新選組の副長が言っていました。ちゃんを、新選組隊士として連れて行く、と」
千鶴は涙を堪えて笑みを浮かべる。
「新選組の隊士さんって、すごいんです。ちゃんも、まるで怖いものなんてないみたいに、銃や大砲相手に刀で斬りこんでいくんです。ちゃんを認めていたのは幹部隊士の皆さんだけじゃない、土方さんも右腕を任すほどになって……」
一度言葉を区切り、視線を写真に落とした。
「だから……ちゃんは、最期まで立派に戦ったのだと、私は思います」
写真の二人は笑っている。
「だって、ちゃん、笑ってたんです」
最後の姿を思いだす。血に塗れて、傷だらけで、こんな姿になるまで戦っていたことが不思議なくらいで。
「まるで、幸せな夢でも見ているかのように……目を閉じてっ……」
「ありがとう、千鶴ちゃん……を看取ってくれたんだね」
父が微笑む。
「やっぱり、その写真は君が持っているべきだ」
千鶴が顔を上げた。
「二人はいつも一緒だっただろう?」
はい、と千鶴は声を震わせる。
「思い出すよ。まだ小さかった頃、泣いてしまった千鶴ちゃんの手を引いて、傷だらけで帰って来るのことを」
は千鶴のことで喧嘩してばかりだったし、それを自分の役割のように思っていたことだろう。千鶴はのすべてだった。あの頃は。
「何があっても、君たちは一緒だった。だから、私は京に行くことにも反対はしなかったんだ」
父はそう言って立ち上がると、千鶴の前に膝をつき、肩に手を置いた。
「二人で一緒にいなさい。せめて写真の中だけでも」
「ええ、そうね……あんなに仲良しだったんだから」
涙を拭いながら、母もようやく笑みを浮かべた。千鶴の頬を涙が伝う。
「……ありがとう、ございます」
二人に頭を下げた。ぽたりと、写真に涙が落ちた。
◆◆◆
明治になって数年が経った。最後の新選組局長として流罪となっていた相馬も、江戸もとい東京に戻って来ていた。千鶴と相馬は互いに連絡を取り合いながらも、それぞれの暮らしをしていた。
そんな、ある春のこと。
「あ、雪村先輩! こっちです!」
港で、相馬が手を振った。千鶴が相馬を見つけて駆け寄った。
「お変わりないですか?」
「ええ。相馬君は?」
「俺も変わりなく」
千鶴の荷物を持って、相馬が微笑む。
「じゃあ、行きましょうか」
二人は船に乗り込んだ。行先は北海道函館。ようやく世間が落ち着きを取り戻し、二人の予定も合った頃合い。皆の墓参りをしようということになったのだ。
函館の地に到着し、二人は宿に荷物を置いて、早速出掛けることにした。
五月の函館は桜が見頃だ。桜が舞う中を歩き、二人は、二人だけが知っている彼らの墓所を訪れた。土方とは二人一緒に眠っている。土方がを連れて行くと言ったからだ。
「ちゃん、向こうでも元気にしてるかな」
手を合わせ、千鶴が呟く。隣で相馬が笑った。
「沖田さんたちとも会えたでしょうから、元気に決まってます」
「ふふ、きっと剣術の稽古してるね」
「さんは向上心の塊ですからね……」
千鶴がくすくすと笑う。そして、懐から写真を取り出して見つめた。
「その写真は……」
「土方さんの計らいで撮ったの。私の宝物」
千鶴が微笑んだ。
「ちゃんのこと、残っているのがこれしかないから」
写真はいい。見ればいつでも当時のことを思い出せる。
「忘れないようにしてるの。ちゃんという親友がいたこと……という、新選組隊士がいたこと」
最後まで諦めずに戦うのだと。誠の志を胸に、皆の思いを背負って、刀を持ち続けた新選組隊士。肩書が新選組でなくなって尚、彼女は新選組であった。
もう一枚の写真はが持っている。彼女を埋葬するとき、懐からはらりと落ちたのだ。銃弾を受けたらしいの顔の部分は焼けていたが、不思議と千鶴の上にはほとんど血がついていなかった。彼女は、自分を戦いの地に連れて行ってくれたのだと千鶴は思っている。最後まで、共にいられたのだと。
「ひとりが寂しいなって思うこともあるけど……この思い出があるから、私はひとりでも生きていける」
千鶴の隣で、相馬が眉を顰めた。
「……本当ですか?」
「え?」
驚いて千鶴が隣に目を向けると、相馬は目の前の桜の木を見上げていた。
「俺は新選組が懐かしい。京で雪村先輩と一緒に小姓の仕事をしたこと。さんたちに稽古でぼこぼこにされたこと。たくさんの戦いで敗北を味わって、それでも戦うと言った土方さんのこと……」
相馬は千鶴の方を見て苦笑する。
「思い出が多すぎて、ひとりでは抱えきれないんです」
そして、笑みを消して真っ直ぐに千鶴を見た。
「だから、雪村先輩。もし……あなたが良ければなのですが――」
桜が舞う。桜が舞う。
まるで、祝福するかのように。
あの日と同じように。
二人の間に、桜が舞う。