城の周囲にいた軍隊は解散したようだった。研究所へ向かう時と打って変わって、エマは体を引きずるようにして工房に帰って来た。工房の前には、レオンが立っている。エマに気付いて、向こうも体を引きずるようにして近付いてきた。
「なんだ、出迎えか?」
エマが苦笑する。レオンはくしゃりと顔を歪め、何か言いたそうにしたが、全部飲みこんだようだった。
「……ああ。まあ、無事でよかった。アイヴスはさっき送り届けられた。装置は?」
「持ってきた」
工房に入る。作業台の上にアイヴスが横たわっていた。レオンに装置を渡す。
「へえ、これが……」
そう呟いて、レオンは作業に入る。アイヴスの上体を起こし、エマが支える。後頭部が開いたまま配線が飛び出している。装置を元の位置にセットして、配線を繋いでいく。片腕ではやりにくかったのか、レオンは腕を吊っていたシーツを取って、痛がりながら作業を続ける。繋ぎ終わり、他の壊れたところがないかを確認し、電源を入れた。アイヴスが瞼を開ける。ただのレンズではない。瞳に光が宿った。
「あ、れ……ぼく……どうして……」
アイヴスがエマとレオンを見て、目を見開いた。
「エマちゃん! レオンくん! その怪我……!」
そこまで言って、アイヴスはすべて理解したようだった。
「ぼくのせいで、こんなことに……ごめんなさい、ごめんなさい!」
「いいって、気にするな」
レオンが笑う。エマはまだ笑わなかった。
「アイヴス、動けるな。見せなきゃならないものがある」
「え?」
「おい、エマ!」
「知る権利はあるだろ」
エマが先に隠し部屋へと降りていく。アイヴスが作業台から降りて、後を追う。最後にレオンが続いた。
「こんにちは、アイヴス。君が無事で僕も嬉しいよ」
「兄さん!」
クラウスを見てアイヴスが目を丸くした。そして、その隣にある寝台にエマの両親が横たわっていることに気が付く。
「あ、あ……パパ……ママ……これは、これはどういう……」
フィリップの情報を計算し終えたアイヴスの演算装置は、既に五歳児の処理を超えていた。状況はすぐに計算され、結果はすぐに導き出される。アイヴスは膝から崩れ落ちた。
「ぼくが、ぼくが生まれたから……! パパとママが死ぬ必要なんてなかった! ぼくを作らなければ、二人はエマちゃんのところに帰れたのに!」
ぽろぽろと、アイヴスの目から涙が落ちた。エマとレオンは、涙を流すオートマタを初めて見た。その機能は、オートマタには不要だからだ。
「驚いたかい? 二人はね、アイヴスを本当の子供のように可愛がっていたんだ。涙を流す……そんな、機械には不要な機能も、彼らはアイヴスには必要だと思った」
機械に感情はない。それが定説だ。エマは今までそんな機械を見たことはないし、レオンだってそんな機械を作るだなんて考えたことはないだろう。それが人間と機械の違いであるとも思っていた。だが、目の前のオートマタは、製作者の死を知って涙を流している。たとえ計算で導き出されたものだとしても、それが悲しみという感情でなければ何だというのだ。少なくとも、演算結果は「悲しいから涙を流せ」と言っているのに。
「アイヴス。私たちはここに残るつもりはない」
エマがアイヴスの背に話しかける。
「おまえがここに残るなら止めない。もし私たちについて来るなら、うちに来ればいい」
「俺んちな?」
レオンが口を挟んだ。エマが横目で睨む。
「おまえが選べ。父さんと母さんの子供なら、何がしたいか、どうしたいか、自分で選べるだろ」
アイヴスはしばらく背を向けたまま俯いていた。
「……パパとママの、お墓を、作りたい」
ぽつりと、アイヴスはそう言った。
「うん、そうだな。作ろう」
エマが頷く。
「この部屋は見つかりたくないから、壊したい」
「うん、わかった。壊そう」
「ぼくは――」
アイヴスが立ち上がって、エマの方を振り返る。目にいっぱいの涙を溜めて、アイヴスはこう言った。
「ぼくは……エマちゃんと一緒にいたい……! 一緒にいても、いいですか……!」
半ズボンの裾をぎゅっと握り、アイヴスは唇を噛んだ。エマが足を踏み出す。アイヴスに近付いて、その頭に左手をのせた。
「いいに決まってるだろ。おまえは私の弟なんだから」
ふっと優しい笑みを浮かべて、エマは言う。アイヴスはくしゃりと顔を歪ませて、エマに抱きついて、声をあげて泣いた。
「成長したね、エマ」
クラウスが手を叩いていた。
「大人になった」
「……私の幼少期を知らないくせによく言う」
「知っているとも。君の幼い頃のデータはあるからね。サイボーグになっている可能性も、ゼロではなかったから特に驚きもなかったよ」
エマとレオンが目を見開く。クラウスは笑った。
「ヴィルヘルムはこう推測した。エマは寂しがりやだけれど強がりだ。両親がいなくなったことで、無茶なことをしだすかもしれない。自分が何かアクションを起こすことで、両親が帰って来るのではないかと期待した――たとえば困った人を助ける正義の味方とか、ね。近所のレオンくんもきっと協力してくれるだろう」
「……バレてる」
レオンが唸った。
「そんな中で、大怪我をすることもあるだろう。君の反応を見てわかったけれど、先代クラウスは既に壊れているようだね。そうなると自宅に何かあった可能性がある。エマが無事である可能性……そう考えると、レオンくんに手伝ってもらって肉体を改造しているかもしれない」
「……父さんはその可能性を知っていながら、一度も連絡を寄越さず、帰っても来なかったってわけか」
ハ、とエマは眉を下げて笑う。
「……ほんっとに、技術馬鹿な親だよ」
娘の無事を確信して、研究に没頭していたというのだから。
「さて。じゃあ、二人の墓を作るとするか。街の人にも協力してもらわないとな」
「うん!」
「ああ、エマの右腕を先に戻さないとな」
「左腕も歪んでるし足も壊れた。あと排熱処理をもう少し効率良くしろ」
「ここじゃできませーん」
エマとレオンのやり取りを聞いてアイヴスがくすくすと笑った。笑うアイヴスを見て、二人も表情を緩める。
寝台のカプセルはクラウスによって開けられた。外傷はない。クラウス曰く、窒素をこのカプセル内に充満させて死んだのだという。痛みなかったのならそれでいいと、エマは思った。
エマとレオンが二人を工房へと運び出す。一度隠し部屋を閉じて、職人街の人たちに声を掛ける。近所付き合いは多少はあったようで、皆快く手伝ってくれた。ローゼンシティの職人街には、この地域で亡くなった人のための技師の墓地があるという。棺は職人街の人たちによってあっという間に作られた。二人を墓地の片隅に埋める。土を被せながら、アイヴスはまた涙を流していた。
「――本当にいいのか?」
エマは隠し部屋にいた。右腕は取り外してレオンに預けてあるため、肩から先がなかった。クラウスが頷く。
「うん。僕はローゼンシティで二人の助手として生まれた存在だから。このままここで役目を終えるよ」
「……そうか」
この工房は隠し部屋もろとも壊すことにした。クラウスはそこに残るというのだ。
「何か思うことがありそうだけど。最後に話を聞こうか」
クラウスが言う。エマは眉を寄せた。
「……別に。大した話じゃないけど」
ぼそぼそとエマが言う。少し考えてから、エマは続けた。
「アイヴスは感情がある。計算されていたとしても、あの涙は嘘じゃない」
「そうだね」
「じゃあ、人間を定義するものってなんなんだ? 私は『感情』だと思っていた。感情は機械にはないものだ。だから――」
「エマは、自分は機械であると信じていた」
言葉の先を言われて、エマはクラウスに目を向ける。
「僕はね、自分で選択できることこそが人間か機械かを分ける要素だと思う」
「選択できること? 機械だって選択するだろ」
「そう。だから、選択できる機械は、人間でもいいんじゃないかな」
クラウスの言葉に、エマは目を丸くする。機械と人間の差別化。違いは何か。自分はずっとそう考え続けてきたのに、クラウスは「機械も人間でいい」と言う。
「フィリップ殿下はオートマタで居続けることを拒否した。これも選択だ。彼はとても人間らしい機械だった」
「人間らしい機械……」
エマにはよくわからなかった。人間は作れないものだ。人間は機械ではなく、機械は人間ではない。でも、機械も人間らしくはあれるとクラウスは言う。
「これから技術は発展し、もっと人間らしい機械が生まれ、人間と機械の境目はどんどんなくなっていくだろう。人間の相棒となりうる機械が生まれる」
「世界は、それで良くなるのか?」
エマが問う。クラウスは笑った。
「さあ。それは君たち次第だ。人間と機械がどのように未来を歩んでいくかは、当事者たちが開拓していくしかない。最適な未来になるよう、僕は祈っているけどね」
エマは俯いて黙り込んだ。
「だからね、エマ。君は自信をもって、自分は人間であると言っていいんだよ」
「……」
クラウスが、ずっと悩んでいた自分へ答えをくれる。
「君の思考は誰にも邪魔されない。誰にも君の選択を邪魔する権利はない。君は自由だ。そうだろう?」
この体になってからずっと、自分は機械だと思っていた。機械だと、思い込もうとしていた。人間である部分の方が少ないのは事実で、誰かに「おまえは人間ではない」と言われた時にショックが少なく済むからだ。
「……オートマタが、サイボーグに言うアドバイスがそれかよ」
エマが苦笑する。
「まあ、僕もそこそこ人間らしい機械である自負はあるけどね」
クラウスも笑った。
「何より、僕は君の兄であるよう作られた。君と出会ってからの期間は短いけれど、君をとても愛おしく、大切に思っているんだよ」
「……」
「アドバイスの一つくらい、妹にしたっていいだろう?」
胸のもやもやが消えた気がした。このもやもやは機械の体になってからずっとあったもので、自分は機械なのか人間なのかと自問し続ける度に増えるものだから、エマは自分を機械であると決めた。でも、人間らしい機械がいてもいいらしい。
「……ありがとう、兄さん」
クラウスは驚いて目を丸くした。そして、少し照れながら笑った。
「そうそう、最後に一つだけ。ヴィルヘルムとヨハナ……父さんと母さんからのメッセージを再生しよう」
クラウスが目を閉じて、そうして口を開く。発せられたのは、久しく聞いていなかった父の声だった。
「――君は私たちを恨んでいるかもしれない。でも、私たちは人間を愛した。機械を愛した。そして、君のことは何よりも愛している。君の選択が素晴らしいものであるように、祈っているよ」
クラウスが目を開ける。そしてエマに向かって手を振った。エマも微笑んで、手を振る。それが、クラウスとの別れだった。
エマの腕にとりあえずの応急処置が施され、レオンが三日間の旅に耐えられるくらいに体力が回復した頃。工房にあった火薬を使って、工房を爆破した。隠し部屋は念入りに。崩れ落ちる工房を見て、アイヴスはずっとエマの手を握っていた。