「……というわけでして、少将の名が上がっております」
「いかがですか? 少将」
「私は構いません。ですが、私は別の人物を推薦します」
「ほう? その人物とは一体……」
20.休職命令
ヒューズの死に続いて、国家錬金術師でもある少将が重傷を負った、しかも本人は病院を抜け出し行方不明……と、一時混乱が生じた中央司令部だったが、現在はすっかり平常通りの日々に戻っていた。
そんなよく晴れた、ある日の午後。
廊下を歩いていたアームストロングは、視界の端で青い髪が揺れるのを見た。そちらに目を向けると、見知った人物が廊下角への姿を消すところだった。
「あれは……」
アームストングはその人物を追って、廊下の角を曲がった。
そこにいたのは想像通り、今ここに居るはずではない人物だった。
「!」
アームストングが名を呼ぶ。
先を歩いていたが、気だるそうに振り向いた。
「ああ、少佐」
やあ、と左手をひらりと振った。
「もう、戻ってきていたのか? 東方司令部にいたのでは……」
「昨日帰って来てね。さっきまで会議あったの」
「まだ療養が必要であろう……」
「ちょっと大事な会議だったから。休むわけにはいかなかったんだ」
は左肩だけ竦めて返した。
今日は右腕を吊ってはいなかったが、まだ治ったわけではない。包帯まみれで、いかにも怪我をしていますという状態で司令部内を歩き回りたくないという、ただのの意地だった。頭の包帯も取ってしまい、見た目は最低限の絆創膏が張られているだけであるため、軽傷に見えなくもない。出勤するなり、それを見たリッドに「馬鹿ですか」とストレートな言葉を投げられたのは今朝の話。
仕事熱心だな、とアームストロングもため息混じりに言った。
「で、調子の方はどうだ?」
「んー……まあ、あまりよろしくはないね」
顔色は病院に運び込まれた時程では無いものの、やはり良くはない。軍服の下には、まだたくさんの包帯が巻かれている。傷が痛むのか顔はずっと顰めっ面だ。
「大丈夫か? 会議が終わったのなら今日はもう帰ったほうが良いのでは……」
「いやそれはちょっと……でも、うーん……とりあえず、仮眠室行って少し寝て来ようかな……」
ため息をつきながら、が言った時だった。
「将軍」
背後から足音と共に、聞き覚えのある声がした。
とアームストロングはその声に驚いて、慌てて後ろを振り向く。その人物は、にこやかな笑顔で立っていた。
「だ、大総統!?」
とアームストロングが、急いで敬礼をした。
だが、は右腕を動かそうとして、すぐに顔を顰めた。そして、右手の代わりに左手で敬礼をする。
「左手で失礼します……」
「良い良い。楽にしたまえ」
大総統――キング・ブラッドレイが右手で合図をする。
二人は手を下ろした。
「怪我の具合はどうだね?」
「ええ……まあ……ボチボチといった所ですか……」
「うむ。会議中も見ていて、あまり調子が良いようには見えなかったのでな」
先程が出席していた会議は、ブラッドレイを始め、将官を中心とした上層部の者達で行われた。
会議中、はなるべく平静を装っていたつもりだったのだが、ブラッドレイには見破られていたようだ。
「どうだろう? 少し休暇をとっては」
「休暇……ですか?」
驚いて、が聞き返す。
ブラッドレイが頷いた。
「しかし、仕事も残ってますし……もう数日休みましたから、これ以上休むわけには……」
「なに。そんなに重要な仕事があるわけではないだろう」
「しかし……」
「君は働き過ぎだ。たまには休養も必要だよ。なあ、アームストロング少佐?」
「え……あ、はい。その通りであります」
突然話を振られたアームストロングは、驚きながらも大総統に同意を示す。
がアームストロングを横目でじとりと睨んだ。
「まだ、ヒューズ准将の事も整理がついてないだろう。この機会に、心と体。両方を休めたまえ」
「……」
ヒューズの名前を聞き、は目を逸らした。アームストロングも気まずそうに立っている。
確かにまだいろいろなことの整理がつけられていない。
彼が知ってしまった「何か」についても。彼と自分と対峙した「何か」についても。考えて整理するには情報はあまりにも大きなものも小さなものも散らばりすぎていて、綺麗にピースははまってくれない。今どのピースが存在しているのか。あとどのピースが足りていないのか。それらをゆっくりと思考する余裕も無かった。
「将軍」
「はい」
再びがブラッドレイへと目を向ける。
そして、ブラッドレイの表情が先程までの笑顔とは違い険しいものへと変わっており、は姿勢を正した。
「今日から一ヶ月休暇を与える。その間一切の軍事に関わる事を禁じる」
「え……」
「たまには仕事を忘れてのんびりしたまえ」
が何か問う前に、また笑顔に戻ったブラッドレイがゆったりとした口調で言った。
「では。私はこれで」
右手を上げると、ハハハと笑いながらブラッドレイは去っていく。
その場に残された二人は、しばらくの間呆然と立ったままその背を見送る。
いつ見ても嵐のような人だとは思う。
「どうするのだ、?」
「ああ言われちゃ、休むしかないでしょ……」
アームストロングに問われ、は頭を掻く。
「……ていうか、アレは所謂職権乱用というやつでは?」
「一応、の事を考えて言ってくださったのではないか」
「でもさー……」
確かにブラッドレイの心遣いは有り難い。上からの命令であれば、長期休暇を取ったとしても周囲に何か言われることもないだろう。だが、あそこまで強制する事だろうか。
「まあ、言われたもんはしょうがないか……」
しばらくは考え込んでいたが、諦めたようにため息をついた。アームストロングが頷いた。
「うむ。我輩から見ていても、は少々働きすぎな面はあるからな。この機会にゆっくり休んで、怪我も治すと良い」
「自分的には結構サボってるつもりなんだけどなあ」
は眉を寄せた。どうも真面目に仕事をしていると傍から見て思われている節がある。どちらかというと自分は不真面目の部類だと思っているのだが。ただ、東方司令部の司令官よりは真面目であるという自信はあった。
自宅に一ヶ月いるのは苦痛すぎる。軍に関わるな、と言われてしまったからにはロイのところに遊びに行くわけにもいかない。必然的に軍に関わることになってしまうだろう。
「それで、どこか行くんですか?」
執務室に戻って来たに話を聞いたレインが、首を傾げて問いかけた。
「うん。折角だし、久しぶりに知り合いのとこ遊びに行って来ようかと思って」
一ヶ月司令部をあけるにあたって、細かな雑務を左手のみでこなしながらは答える。
リッドは両足を机の上に乗せて、コーヒーを飲んでいた。
「つーか将軍、中央と東方司令部以外に友達とかいたんですか」
「何なのあんた? そんなに殴られたいの?」
「あの、さん……何だか部屋が寒くなったんですけど」
ぎろりとがリッドを睨むと同時、室内の気温がぐっと下がる。気がするだけではなく、実際にこの上司が空気を冷やすことをできるということを部下の二人は良く知っている。冗談です、とリッドは頬を引きつらせて目を逸らしながら言った。
「というわけで、またしばらく留守にするから」
ため息をついては言う。
「えーん。ただでさえさんいつもいないのに、またしばらく会えなくなるなんて寂しいですう」
以上に大きなため息をつきながら、レインは机に突っ伏した。は面倒そうな表情を隠しもせずにレインへ目を向ける。
「いい歳した男がえーんなんて言うんじゃない気持ち悪い」
「ひどい! 男女差別反対です! ボク、心は乙女ですからねっ!」
がばっと起き上がってレインが訴えるが、は目も合わさずにはいはいと適当にあしらっただけだった。女ならば良いとは一言も言っていない。
「とはいえ……突然連絡したら怒られるだろうなあ……」
机に頬杖をつき、は小さく呟き、また息を吐いた。
もう何年も聞いていない怒鳴り声が今から聞こえるようだった。